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第33話:湖上に顕現せし水の精霊


 船上から見渡す限り、湖面は突如として波紋一つなく静まり返った。

 まるで時が凍りついたかのように、風も音も消え、世界が沈黙した。

 しかし、静寂の中、水面から天へと無数の水柱が逆巻くように水を吸い上げていた。

 重力を忘れたかのように、蒼く澄んだ水が空へ昇っていく様は、異界の儀式のようだった。


 そして、船が軋みを上げて突然止まった。

 船体は見えない鎖に縛られたかのように微動だにしない。


「あれ!?う、動かないぃ!」

「おい!!アンポンタン!!何してやがるゥ!?」


 ケビンさんは舵を何度も回したが、手応えはなかった。


「寄越せェ!」

「あ、はい!!」


 痺れを切らしたように、オーグさんがケビンさんから舵を奪い取る。

 体格の差は明白で、オーグさんの方がケビンさんより筋力がありそうだった。


「だぁぁぁぁっ!!」


 だが舵は微動だにしない。

 オーグさんは観念すると、すぐに叫んだ。


「おィ!姉御ォ!!船が止まったぜェ!!」


 甲板に響く声に、私は不安げに空を見上げ、ミリアリアさんは怪訝な顔をした。


「……何かが、海の底で動いてる」


 銀髪を風に揺らしながら水面を覗き込んでいるメグーちゃんが呟いた。


「何か?」


 メグーちゃんの声に、私も船底を見つめる。


「姉御ォ!!」


 ミリアリアさんから返事がないため、オーグさんは再び呼びかける。


「分かっておる」


 ミリアリアさんの声は静かだったが、その瞳には鋭い光が宿っていた。

 彼女は帆に取り付けられた風の魔石を見上げる。

 魔石は淡く脈打つように光り、今も風を生んでいる。

 つまり、船が止まった原因はそこではない。何か、もっと根源的な力が船を縛っているのだ。


「アニー!」

「はい?」


 ミリアリアさんが私に指示をしようとしたその瞬間、水面が不自然に盛り上がった。


 波ではない。

 まるで巨大な生き物が海中から浮かび上がろうとするように、うねりながら天へ伸びていく。

 その水柱はやがて人の形を取り、透明な輪郭が空に浮かび上がった。

 目も口もないのに、確かにこちらを見下ろしていると感じさせる存在だった。


「水の精霊……!」


 ミリアリアさんが小さく呟いた。彼女の瞳には、脅威を前にした戦慄が走っている。


 水の精霊が姿を現した瞬間、空気が変わった。

 天へ昇る勢いを増していた水柱はピタリと止み、風さえも止まったかのようだった。


 だが次の瞬間、精霊が腕を振るうと海面が裂け、鋭利な水刃が甲板を襲った。


「来るぞ!」


 オーグさんが叫び、拳を振って水刃を弾く。

 だが一撃では止まらない。水刃は次々と生まれ、まるで意思を持つかのように船上の人間を狙ってくる。

 ミリアリアさんは剣を構え、魔力を込めた斬撃で水刃を切り裂いた。


「船が動かない原因は水の精霊だ!皆の者!!良いか!?」

「ま、待ってください!精霊と戦うんですか!?」


「無論だ!この場を切り抜ける術は他にない!!」


 その声を聞くより早く、私はすでにグリーの背に飛び乗っていた。

 精霊が姿を現した時点で、ここが戦場になると分かっていたのだ。

 グリーが甲板の端から飛び立ち、空中で旋回しながら精霊の周囲を警戒する。


「姉御ォ!!」

「む!!!」


 精霊から再び水刃が放たれる。先ほどとは比べ物にならない数だ。


『……なぜ、ヤー如きが……』


 降り注ぐ水刃が風を切る音に紛れて、深い怒りと悲しみを帯びた声が聞こえたように思えた。


(……聞こえた。誰かが聞いていないか、周囲を見た。誰も反応していない。私だけか)


「みんな!!」


 私はグリーの背から飛び出し、無数の水刃が船に降り注ぐ光景を目の当たりにした。

 しかしその水刃の雨は、薄い銀色の膜に阻まれて止まる。


「バリア!!」


 メグーちゃんの声とともに、銀色の光の膜が船全体を包んだ。

 降り注いだ水刃がその面に弾かれ、光の粒のように砕けて散った。

 コンテクストマジックだ。無数の水刃は船に到達することなく、ただの水滴となって銀色の膜の前で消えていった。


 攻撃を防がれた精霊は、顔の輪郭に表情はないが、悔しげな雰囲気を漂わせている。


 そんな時、再び声が聞こえた。


『……ヤー如きが……水の精……を操る……そ……馬鹿……と……ありえない。やはり……魔……の……供』


 やはり聞こえる。精霊の声は悔しさを滲ませていた。

 まるで本当は戦いたくないのに、それでも動かざるを得ないような声だった。


(……誰かに操られている?)


 精霊が再び腕を振り上げ、雨のように水刃を降らせようとする。

 いくらメグーちゃんでも、何度も耐えられるとは限らない。


「グリー!!」

「クルルぅ!!」


 グリフォンが空中から急降下し、精霊の背後を狙う。


「夜空に浮かぶは深紅!世界を赤く染め上げよ!紅の夜に誇れ!赤月花!!」


 私はスキルで赤月花を生み出した。

 魔力を吸い取る植物なら、精霊にも有効かもしれないと考えたのだ。


 だが精霊の身体は霧のように形を変え、赤月花は実体を捉えられなかった。


(植物は根を張る場所が必要だ。水には形がない。霧に根を張ることはできない──農民スキルが捉えた手応えのなさが、そのまま答えだった)


「っ……!」

「クルル!!」


 精霊は目障りそうに巨大な腕を振り払う。

 グリーは翼を広げて急停止し、続けて一気に加速した。

 その緩急で狙いを外し、振り払われた腕をかわした。


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