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第25話:緑眼の巨影と白銀の刃


 地の精霊が一歩踏み出した。

 その足が石畳に降りるたびに、床が罅割れ、粉塵が舞い上がる。

 重力そのものが増したかのように、広間の空気が圧し潰されていく。


 振動が骨の奥まで伝わる。

 耳鳴りのような低い唸りが、床石の隙間から這い上がってくる。

 石の匂いと湿った土の匂いが混ざり、喉の奥にざらつきを残す。


 地龍たちも動きを止めていた。

 本能が、格上の存在を前に竦んでいる。

 胸の鼓動がゆっくりと、しかし確実に沈んでいくのが見えるようだった。


「お母さん、下がって」


 メグーちゃんが前に出た。

 銀髪が揺れ、瞳の奥に冷たい光が宿る。

 彼女の呼吸は浅く、指先に力がこもっている。

 恐怖を押し殺すように、顎を引いていた。


 精霊の腕が持ち上がった。

 岩の塊が軋む音がして、緑の光が掌に凝縮されていく。

 空気が熱を帯び、石の表面から小さな亀裂が走る。


「バリア!!」


 透明な壁が展開した瞬間、精霊の魔法が炸裂した。

 衝撃がバリアを揺らし、ひびが走る。

 メグーちゃんの足が、石畳をわずかに削った。

 衝撃波が指先を震わせ、耳の奥でガラスが割れるような高音が鳴る。


「……強い」


 短く呟いた。

 それだけで、どれほどの力かが分かった。

 言葉の裏に、計り知れない重さが滲んでいる。


 精霊が再び腕を持ち上げる。

 バリアのひびは、まだ塞がっていない。

 空気が再び引き締まり、時間が一瞬だけ遅くなる。


(もう一発来たら、凌げない)


 直感的にそう分かった。

 メグーちゃんでも、あの攻撃を二発は捌けない。

 心臓が跳ね、手のひらに汗がにじむ。

 決断の重さが肩にのしかかる。


 掌に緑の光が集まり始める。

 今度は先ほどより、密度が違う。

 光が皮膚を透かし、骨の奥まで冷たく染みていくようだ。


 そのとき──広間の入口から風が吹き込んだ。

 冷たい風が砂埃を巻き上げ、視界を一瞬白く染める。

 風の匂いは金属と油の混じったような、戦場の匂いだった。


 黄金の剣が、精霊の腕を弾いた。

 衝撃で精霊の体勢が崩れ、魔法が天井へと逸れる。

 崩れた石が降り注ぎ、砂埃が広間を白く染めた。

 振動が止み、空気が戻るまでの間、全員の呼吸が揃って止まった。


 砂埃の中から、人影が現れた。

 白銀の甲冑。黄金の剣を提げた男だ。

 甲冑の表面に残る擦り傷が、長い戦いの痕を語っている。


 息が止まった。

 隣でメグーちゃんも動きを止めている。

 胸の奥で何かがざわつき、警戒と安堵が同時に押し寄せる。


「よっと!地龍は片付けたよー!」


 その後ろに、黒装束の女性が飄々とした様子で立っている。

 彼女の背後で、地龍が血の海に沈んでいた。

 血の匂いが風に混じり、鼻腔を鋭く刺激する。


 地龍が、死んでいる。

 あの巨体が、あっさりと。

 信じられない速さに、思考が追いつかない。


(いつの間に……)


 メグーちゃんが小さく息を呑む気配がした。

 驚きと、どこか後ろめたい安堵が混ざる。


「卿、こちらも露払いは完了しました」


 三角帽子を被った赤髪の女性が続く。

 彼女の背後では地龍の氷像が2体並んでいる。

 氷の表面が太陽のようにきらめき、冷気が足元にまとわりつく。


 そして、赤髪の女性が杖で床を叩くと同時に、地龍の氷像はガラガラと崩れ落ちる。

 氷が砕ける音が、短く鋭く響いた。


「ご苦労」


 男が短く言った。

 声は低く、こちらに向けた言葉ではなかった。

 その声に含まれる冷静さが、場の緊張をさらに引き締める。


「地の精霊が目覚めているとはな……近いのかもしれんぞ」


「えー……本当かな……そう言ってさ、いっつも外すんだよね」


「こら、卿に失礼ですよ」


 三人は精霊へと向かっていく。

 足音が石畳に軽く響き、砂埃が舞い上がる。


「それじゃ、やるとしますか」


「気を引き締めろ」


「へいへい」


「卿、私は動きを止めます」


「うむ」


 赤髪の女性が何かを唱えると、精霊の動きがわずかに鈍った。

 空気が粘り、時間がさらに引き伸ばされるような感覚が走る。

 その瞬間、黒装束の女が影のように動き、精霊の背へ回り込む。


「ほいっと!」


 次の瞬間、精霊の胸のコアがむき出しになる。

 私の目では、彼女が何をしたのか追えなかった。

 動作は速く、無駄がない。


「悪く思うな」


 強い光が放たれるそこへ、男の剣が深く突き刺さる。

 金属が岩を貫く音が、広間に鋭く落ちる。


 精霊が軋んだ。

 岩の体にひびが走り、緑の光が点滅する。

 やがて光が消え、精霊は石の塊となって崩れ落ちた。

 崩れる音が、しばらくの間、耳に残った。


 白銀の甲冑の男が、こちらを向いた。

 瞳には油断がなく、すぐに感情を読み取れない。

 しばらく、こちらを見ていた。

 その視線は、何かを探るようでもあり、ただの確認のようでもあった。


「怪我はないか」


「……はい」


 そのとき、広間を抜けてきた風が前髪を持ち上げた。

 いつもは目元を隠している髪が、はらりと捲れる。

 その一瞬、男の表情が揺いだ。


 男の動きが、止まった。


「卿?」


 赤髪の女性の怪訝な声に、甲冑の男は背筋を震わせる。

 咳払いが小さく、場の空気が再び変わる。


「ご、ごほん……ここから先は、危険だ」


 男は視線を逸らし、咳払いをひとつした。

 それから改めてこちらを向いたが、今度は目が合わないようにしている。


「貴殿のような……か……可憐な女性が向かうような場所ではない。天使の零落に何かが起きている」


 それだけ言って、男は仲間のもとへ戻った。

 三人は言葉を交わすことなく、広間の奥へと消えていく。

 足音が遠ざかるにつれて、広間の空気はまた重くなった。


 名前も、素性も、何も分からなかった。

 ただ、短い時間の中で受けた恩恵だけが確かに残っている。


「……行ったわね」


 メグーちゃんが、静かに言った。

 声に混じるのは、安堵と疑問と少しの戸惑いだった。


「うん」


 助けられた。

 それだけは確かだった。

 胸の奥で、感謝と同時に小さな不安が芽生える。


 広間には崩れた石と、精霊の残骸だけが残っていた。

 粉塵がゆっくりと床に落ち、時間が戻るように静けさが広がる。


「行こう。みんなが待ってるから」


 メグーちゃんと並んで、集合ポイントへと歩き出した。

 足取りは重いが、確かな一歩だった。


 通路の先に、見慣れた金髪が見えた。

 灯りが揺れ、影が伸びる。


「アニー!」


 ミリアリアさんが駆け寄ってくる。

 その後ろにオーグさんとケビンさんの姿がある。

 彼らの表情に、安堵が滲んでいる。


「無事か!?姿が消えたときは……」


 ミリアリアさんの声に、珍しく動揺が混じっていた。

 普段の威厳が、ほんの少しだけ崩れている。


「大丈夫です。色々ありましたけど」


「……そうか」


 ミリアリアさんは短く息をついた。

 それ以上は言わなかったが、肩の力が抜けるのが見えた。


「チンチクリン、無事で何よりだぜェ」


 オーグさんが豪快に笑う。

 その笑い声が、場の緊張を溶かしていく。


「よ、よかったです……本当に」


 ケビンさんが目を潤ませながら言った。

 感情が溢れそうで、声が震えている。


「お母さん、ただいま」


 メグーちゃんが、ミリアリアさんをまっすぐ見て言った。


「……うむ。おかえり、メグー」


 ミリアリアさんの声が、わずかに柔らかかった。

 その一言が、長い緊張の終わりを告げる鐘のように響いた。


 集合ポイントの灯りが、一行を静かに照らしていた。

 光は温かく、しかしどこか遠く冷たい余韻を残していた。


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