第18話:芽吹きの音
バターとガーリックの芳香が神殿の湿った空気に溶け込み、香ばしい肉の匂いが漂っている。
ケビンさんの手で作られた、地龍のソテー。
「おかあさん、おいしそう!これ、食べていい?」
「うん、食べていいよ」
メグーちゃんは、どこからともなく皿に添えられているナイフを手に取る。
そのナイフの扱いが妙に手慣れていて、刃の角度や持ち方に無駄がない。
彼女は料理と向かい合った。
表面は香ばしく焼き上がり、きつね色の焼き目が美しい格子模様を描いている。
ナイフを入れると、外はカリッとした食感を残しつつ、中からは肉汁がじゅわっと溢れ出した。
芳醇なバターとガーリックの香りが立ち上り、鼻腔をくすぐる。
「おいしい!」
メグーちゃんは肉片を頬張り、幸せそうに笑う。
その笑顔は、神殿の陰鬱な空気を少しだけ晴らしてくれる光のようだった。
だが、彼女が肉を噛んだ瞬間、空気に小さな揺らぎが走った。
(微かな波紋のようなものが、周囲の魔力を震わせる)
メグーちゃんの体からは、食べる行為に合わせてほんの一瞬だけ光が漏れるように見えた。
それは儚い波紋のようで、すぐに消えた。
その瞬間、私の内側で何かが弾けた。
脳裏に、遠く古い祭壇から鳴るような、澄んだラッパの音が鳴り渡る。
その音は祝祭の合図というより、古い神託が目を覚ましたかのように神秘的で、湿った空気の中でひときわ明るく響いた。
(こんな音を聞くのは初めてだ)
胸が震える。
言葉にしようとするたびに、音が私の胸を揺らし、喜びと困惑が同時に押し寄せる。
(成長の音だって、聞いたことはあるけれど)
震える指先でスキル欄を空に呼び出した。
古い碑文のように文字が浮かび、光の筋が素材名を結んでいる。
リンゴ、ガーリック、バター、ローズマリー。
そして、地龍──。
そこで、ふいに視野の端に人影が映った。
はっと顔を上げると、ミリアリアさんがすぐそこまで来ていた。
いつからそこにいたのだろう。気配も音もなかった。
「っ、あ——、ミリアリアさん!ち、地龍が……生み出せるようになりました」
言葉にする自分が信じられない。
ミリアリアさんは口を開こうとした。
そのとき──わずかに空気が揺れた。
変化の予兆があった。
薄暗い神殿の奥から、月の糸のような銀髪が揺れて現れる。
光の揺らぎに包まれて、メグーちゃんが立っていた。
だが彼女は先ほどまでの幼い姿ではない。
成長の瞬間、体の周囲に柔らかな光が蠢き、魔力の波紋が衣を弾き飛ばしたのだ。
衣服は床に散り、そこに残された布切れが、変化の痕跡を物語っている。
「ちょ、ちょっと!?」
慌ててバックパックを探り、着替えを差し出す。
「ねぇ、お母さん、慌てすぎ」
「お、お母さん!?え、ええ?」
メグーちゃんは照れたように笑い、私の服を受け取って身に着ける。
その仕草には幼さの残滓が混じっていて、声にも時折子どもの高まりが残っていた。
「私はメグーよ」
「メグーちゃん!?」
叫びが柱に反響する。
成長した姿の中に、確かにあの子の無邪気さが残っている。
だが同時に、体内に宿る何かが変わったことを示す冷たい輝きが瞳の奥に見えた。
服がずいぶんと余っていた。
体の成長に衣服が追い付いていないのだろう。
その不恰好さと、メグーちゃんが恥ずかしそうに裾を引いている仕草が、微妙にちぐはぐで愛らしかった。
「さっきの地龍、物凄く芳醇な味がしたもの。きっと、すごーい量のマナが凝縮されていたのよ」
「体内の……マナ?」
メグーちゃんは目を輝かせる。
その表情は子どものように純粋だが、マナを摂取して成長するという仕組みが、ただの可愛らしさを超えた危うさを含んでいることを直感した。
(大量のマナを取り込むことは、何かを変える)
「メグーよ、必要ならばアニーとケビンに頼めば、また食べられるぞ」
「フェイがいる時にお願いしようかしら。そのたびに地龍に暴れられたら厄介でしょ」
その言葉の端で、言葉を飲み込む。
フェイのロールが盗賊だという説明が、空気を凍らせた。
「盗賊のスキルで命を盗んでしまえば、地龍なら一撃ね」
「フェイの秘密をそう簡単に話すでないぞ……メグー」
ミリアリアさんの声には、制止の重さがあった。
周囲を一瞥する素早い視線。
今は誰にも聞かれていないが、その習慣が抜けないのだろう。
神殿の静けさが、ふいに重さを帯びた気がした。
(盗賊が"命を盗む"とは、どういうことなのだろう)
フェイさんの笑顔が、頭の端をよぎる。
あの飄々とした物腰と、その言葉の間にある落差が、うまく結びつかない。
「何よ、ミリアリア、私にお説教するつもり?」
メグーちゃんは唇をわずかに尖らせた。
成長した体つきに、子どもの拗ねた仕草が残っている。
「メグーちゃん、そんな態度はダメだよ」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。
「……うん」
短い返事だった。
けれど、ちゃんと届いていた。
その素直さに、胸の中が少しだけほぐれる。
「ふむ……アニーには素直なままなようだ」
「な、何、文句でもあるの?」
メグーちゃんの頬が、ほんのり色づいた。
「文句はない。アニーはメグーに親愛を抱かれているようだ。こうして大きくなっても、その気持ちは変わらんようだな。うむ」
「うるさいわね。ミリアリア、恥ずかしくなること言わないでよ」
戸惑いと嬉しさが入り混じる胸を抱えた。
この瞬間、私たちの関係と、ロールの奥に潜む秘密が一斉に動き出したのを感じていた。




