悲しみと時間と生命力
「どうして何も言わずに居なくなるんだよ。それでまたしれっと帰ってきて! なんだよ!」
キリュ゠チャは城の1階広間にでんと伏せていた。卵は藁を敷いた巣の上にあり、彼女はその上から自分の腹を当てている。ドラゴンはトカゲみたいな見た目だけど恒温動物だ。卵を温めるのも自分でできる。
「すぐに帰ってきたんだからいいだろう? どうせ帰ってくるつもりだったんだ」
うーっと歯軋りした。何か言いたいんだけど言い返せなかった。
周囲の人間はドラゴン相手に怒っている私にハラハラしていた。
「それでも何か言ってくれてもいいじゃないか」
ドラゴンは大きなリアクションもせずにじっと卵を温めている。「城の者に聞いたぞ。子供を亡くしたそうだな。それで私に八つ当たりか?」
「八つ当たりじゃない。お前にいて欲しかったのにいなくなったからだ。お前が悪い!」私はポカポカと彼女の頬のあたりを叩いた。「なんであんな風に行っちゃうんだよ!」
彼女は何も言わなかった。緑の鱗はもう背中の方まで広がっていて、全体の7割になっていた。このままでもいいくらいデザインとしてはしっくりきていた。
そろそろ1年という付き合いになっていた。私は自分でも驚くくらいこの帝国時代から生きている伝説のドラゴンにシンパシーを感じていた。孤高で、どうしようもなく立場が一人ぼっちなところを分かりあっていると勝手に思っていた。
そのまま彼女の頭の近くにくっついて体温を感じていると、キリュ゠チャが言った。「子供を亡くすのは初めてか?」
私は返事をしなかったがくっついたまま小さく頷いた。
キリュ゠チャは鼻で大きく深呼吸をした。もう彼女の息は臭わない。わずかに果物のような甘い匂いがするだけだ。彼女は肉よりも果物や穀物を好み、野菜と合わせてパンやご飯もよく食べた。魚も食べるが、生魚を丸呑みするより調理して味付けした魚を好んだ。彼女の深呼吸はまるで溜息のようだった。「深い悲しみに囚われて命を縮めた者をたくさん見てきた。自分はまだ生きているというのにな」
私は顔を上げた。顎の上に付いた目は私に瞳孔を向けることはなかった。広い視野を大きく捉えていた。私は服の袖で自分の涙をぐしぐしと拭った。
「アミュヘゾパウユは非常識なほど貪欲な知識欲を愛する。せっかく加護を受けているんだ。『悲しみを和らげる魔法』を自分に使ったらどうだ?」
その魔法は知っているし、使える。「へっ」鼻をすすった。「アミュヘゾパウユも子供を生んだことが?」
「もちろんだ。全部自分の実験に使った」
「ええ……」涙も引っこんだ。
姿は1度しか見てない。あとは大学にある彫刻で見たきりだが、穏やかに本を読んでいる姿が印象的だ。そんな人物には見えなかった。
「とても悲しい」私は言った。素直に言葉に出来た。「まだまだあの子たちには未来があったのに。生まれたばっかりだったのに」
「みんなそうだ。死んでいい年齢などない」彼女の声は優しかった。「お前も長生きすることだ」
私は思わず笑ってしまった。キリュ゠チャの言葉は普通の慰めの言葉と違ってちょっとズレている。これがドラゴンという生き物のせいなのか、彼女の性格のせいなのかは分からない。だが噛み合っていないとか、私の気持ちを理解してないという感覚はなかった。彼女はちゃんと慰めようとしている。元気づけようとしている。彼女なりの言葉で。
「ありがとう」私は彼女の顔から自分の体を離した。最後に手で押して1人で立った。「どうしようもなかったら自分に『悲しみを和らげる魔法』を使うことにするわ」
「それがいい」
私は大きく息を吐いた。
キリュ゠チャが言った。「ところでお前の娘だが、あれはいいな。私の子供と交換する気はないか?」




