6-6話 裏世界
第六章:歪みゆく世界:
元は重巡洋艦らしい鉄屑の甲板から、荒地の上空へと全員が飛び上がる。
高度と共に視界が開ければ、そこは山脈の絶壁に食い込むような、湾のような地形だった。その際には、斜めに転覆する数隻の駆逐艦サイズと、更には断崖の岩場に擦りつけられるように、半ば埋もれた大型の軍艦が座礁しているのだ。
よく見れば、その周囲には湾曲した鉄骨や、電波塔や橋脚跡や、元はクレーンらしき構造物の残骸が、船の周囲に大量に積層されていた。それらはまるで、浜辺にうち上げられた、浮遊ゴミのようだった。
「何で砂漠に朽ちた軍艦が… 海なんて何処にも無いんだぞ?」
滞空状態の幸太郎が、彼らの世界に存在してはいけない、朽ちた大型艦船を見下ろしていた。
「こちら側が異次元とか、異界って訳じゃ無いだろに…?」
湾の中央には浅い湖が存在して、まるで砂漠に萌えるオアシスのように、周囲を緑に飾っている。しかし草木の存在するのは、そこから山頂の積雪へ届く辺りまでで、南側の大半は赤岩と砂地の、火星のような荒地なのだ。
「トンネルの何処に転移門があったって事?」
羽を広げて横並びする彩葉が、ぼんやりと言葉にする。今見ている景観を、受け入れ切れていないようだ。
「転移はしていないよ? ヒロトが転移酔いしてないからね」
「カノン… そのネタ好きだよな…? もう酔わないって!」
少年にお姫様抱っこされて、ご満悦の様子で… と見せかけて、香音の心も動揺していた。困惑と僅かな恐怖の気配が、直接彼の腕に伝ってくる。
「……… カノン?」
「MAPは正常に動いているし、僕らは大絶壁の裏側に居るだけだよ……?」
言葉の平静さとは裏腹に、少年の首にぎゅっと抱きついてくる。日はだいぶ西に傾いていて、飛行するふたりの表情は、濃い陰影に隠され見ることが出来ない…。
「でもねぇ… あそこの丘がリダスの街なのかなぁ? どうみても人は居なさそう…」
桜咲も彼氏の腕の中から、荒地に突き出た島状の台地を指差した。MAPで確認すれば、位置的には確かに『リダスの囲郭都市』と表示されている。
彼らは翼を傾けると、そちらへ向けて滑空していく…。
「おいおい、本当にどういう事なんだ? 美味しいものなんて絶対に無いだろ…」
降り立った台地は、周囲を木壁の残骸で囲われた、数十軒程の屋敷跡が密集する廃村だった。その全てが倒壊して、崩れた茅葺きや焼瓦の下に埋まっていた。
「これ元から、囲郭都市って感じじゃないよな」
大翔が廃屋の瓦屋根に触れると、ボロっと簡単に崩れてしまう。破棄されてから、相当の時間が過ぎているのだろう。その経年劣化の様子から、此処には例の、謎の修復効果は働いていないようだ。
村の中央には、網の残骸や天日干しに使っていたような、広い板の作業台の名残が、畑らしい石塀に囲まれた一角に、ゴミ山となって積み上がっている。
「大量の網に、小舟の残骸… つまりこの村では、漁をしていたという事だろう?」
「この一帯は、昔は海だったんじゃないかな? この広大な盆地は水に満たされていて、島の漁村や、あの軍艦の港もあったのかも…」
香音が地図と地形を照らし合わせて言う。確かにそうでも考えなければ、辻褄が合わなかった。
それでもこの島は探索しながら歩いても、20分で見終えてしまう広さしか無い。こんな狭い敷地なのだが、地図上では確かに囲郭都市と表記されていた。
「ねぇ… 何でリダスが存在しないの…? そしたら他の国はどうなっている? この見渡す限りの砂漠の先に、人が住む街があるとは思えないんだけど…」
彩葉が幸太郎と向き合って、考えたくない想像を漏らしてしまう。
「お、おう… それにオレ達の知識では、リダスの囲郭都市だって、湖水と緑に囲まれた、白き城壁を持つ美しい観光都市って… 認識だよな? 何なんだよ、この枯れ果てた砂漠の有様は?」
「うん………」
「………」
互いに何かを言おうとしたが、それは上手くいかなかった。今、彼らの支えになっていた何かが、揺らいでいるのを感じていた。
「取りあえず、他の都市に向かってみないか? ちょっと気になる事もあるし…」
その大翔の提案に、全員が静かに頷くしかなかった…。
◇
「今日は此処までで、野営の準備をしよう」
「……… あぁ… うん」
全員が疲れた様子で相槌を打つ。その表情は一様に暗いものだった。
その後リダスの囲郭都市(という表記の廃村)から、砂漠を遥かに南に行った『エルシナ立法国』と表示されたポイントを巡り、更に西に50キロ程を移動して、この場所『イベルノ自治領』まで到達したのだ。
各自の魔力の限界近くまで継続飛行をして、100キロ程の工程となっていた。その間、一人の人間も見えず、魔物どころか動物に至るまで、鳥以外ほとんど生物を確認出来ていない。
彼らはそのイベルノの城跡らしい一角に、避難小屋を適当に配置する。果たして、この封建制度時代風の日本の廃城が、イベルノという横文字なのかも怪しいところなのだが…。
高台に直置きしたのは、特に隠す必要もないという意味で、むしろ何かに遭遇したい気分なのだ。こちら側の世界は、砂漠と岩と廃墟だけが広がる、無人の荒野なのだから…。
「僕らのMAP情報にある、陣営の各都市国家は… 多分存在していないんだろう… エルシナ立法国は山岳地帯の谷間に残された、古い日本的な廃村だったし、此処は城下町の成れの果てだしね」
軽く言い流しているようだが、香音の表情は今にも泣き出しそうに見える。
オレが地下道なんて見つけたから……。
彼は今更それを後悔していた。冷静であろうとする、少女の姿は健気であり、そして危うくも感じられた…。
「カノン… 無理は… しないでくれよ?」
耳元でそう囁くと、「うん…」と、曖昧に笑みを浮かべる。
彼らが野営地に選んだのは、半壊した古城跡で、天守閣も含めた本丸の逆側は、見事に焼け落ちていた。そして一望できる城下の町も、大半を焼失した焼け野原になっている。かつてこの町を大火災が襲った事は明白だった。
「いや… これ火災じゃないな…」
城の周囲を探索していた大翔が、焼け落ちた木材の下に、すり鉢状の大穴を見つけて指差した。
「あれ見えるか? 爆撃か… もしくは多数の野砲で砲撃されたんだよ。焼け野原のあちこちにも爆発の跡が残ってる。大規模に攻撃されて、その後に放棄されたんじゃないか? それに…」
足元から数個の赤錆びた、金属製の筒を拾い上げた。
「こんな薬莢が、そこら中に転がってる。激しい銃撃戦があったんだろうな…」
「ねぇ、みんな来てくれるー? わたしも発見しちゃたみたい」
桜咲が全員を引き連れると、扉を失った正門の先に建つ、白漆喰の美しい倉を目指して行く。それだけが廃墟の中で異様に綺麗で、ものすごく居心地が悪かった。
「嘘だろ… これって……」
少年が、その違和感の正体を知って言葉を失う。
「みんな絶対にそれに触れるなよ!! 帰れなくなるぞ」
幸太郎が正面に立って、近づかせないように手を広げた。形こそ違うが、それは明らかに転移石と同種のものだ。もし触れれば、帰還登録がリセットされて、イリィタナルに戻れなくなると言う意味だった。
「なるほど… 転移石だけが健在なんだね…」
大翔の鑑定でも、『イベルノ転移石』とポップアップが表示している。やはり基本的システムは、境界の向こうと同じものだろう。
「みんな、取りあえず夕食を食べよう。そして今日見た連合国家の真実の話でもしようよ」
覚悟を決めたのか、香音の言葉は重く、陣営トップであるはずのメンバー達は、その真実に怯えていた…。
夕飯は幸太郎特製の、作り置きされたビーフシチューがメインになった。温め直したシチューを、素揚げした川海老や野菜にぶっ掛けて食べる、ご飯にもパンにも合う野営メシだ。
そして冷えた酒類も忘れない… というか、こっちがメインディシュだが。
「見た限りの情報から、オレの想像を話そうかな…?」
躊躇して誰も話し始めないので、精神的ダメージが少ない、新参の少年が口火を切る。
「この大絶壁の裏の世界… まぁ裏世界でもいいか? は多分、第二次世界大戦当時に似た世界観だったんだ」
少年は過去形で言い切った。直後に氷の魔法で強烈に冷えたエールを、ビンから直に流し込む。
「数十年なのか、数百年前なのかは分からないけど、この裏世界でも、オレ達と同じようなシステムで紛争があったんだ。みんなも転移石は見ただろ? そして、どういう結末かは分からないけど、こっちの世界は放棄された…?」
「でも… 何で都市国家が存在していないの…? わたし達が知っている常識… ディメテル連合はどうなってるのよ?」
「イロハその問題は、もう少し後で… 多分、カノンが話すと思うから…」
「わたしには、それが一番大事なの……」
エルフ耳をしゅんと垂らして言いよどむ。
「地形的に言えば、当時はリダスからエルシナまでを海岸線とした、海か巨大な湖が存在して、そこには近代的な軍艦が浮かび、逆に西側の高地と山岳では地上戦が戦われてた」
彼は石畳の床に、小銃や薬莢などを並べて見せる。この城跡に来る途中の高台には、朽ちた野砲陣地も発見していた。
「そして… 多分、この世界は大津波に襲われてるよ… リダスの高台にあった、家屋も枯れ木も石壁まで、全て同じ高度まで浸水した跡があった。そして周囲に点在する枯れ森の名残も、似たような標高でラインを引くように倒木している。あの不自然に座礁している軍艦は、大波に打ち上げられて崖面に擦りつけられたんだと思う。オレたちが侵入した亀裂は、その時に岩にでも裂かれたんだろ」
「地下トンネルを塞いでいたのは偶然だと…? その津波に襲われたっていうのは、まあ置いといて… 肝心の海は何処いったんだ?」
幸太郎も半ばヤケのように、エールを一気飲みをする。
「可能性とすれば、沖に引いたか大地が隆起したか… 水が干上がったか、ぐらいかな…? そこは良く分からない… でも、その災害が、此方の戦いを終わらせた可能性はあると思う。あちこちに被害の痕跡が残ったままだから」
「ヒロトは軽く流してるけどよ… 気持ち悪いのは、そんな銃器や大型の艦船が、何で大陸に存在しているかって謎だろ? 世界観が違いすぎるぞ…」
「本当に… 全てが不可解で何だか怖い… わたし達が信じてきた世界って、何なのかしら…」
彩葉が小さく震えると、香音を甘えるように抱きしめる。
「そうよ… だったらわたし達が守ってきたものは、何だったていうの…? この砂だらけの荒れ地のために、ずっと血を流してきた… それが真実なの……?」
悲観した表情をふるふると左右に振っている。こんなに取り乱した彼女は始めてだ。そんな彩葉の手を、蒼白のエルフの少女が両手で握りしめていた…。
「本当にしんどいね…… 僕も苦しくて仕方がない… でも、きっとそれが真実なんだろう。今日、僕らの眼で見た事が全てだから…」
香音の海色の瞳から、涙がひとつぶ、ふたつぶと流れ落ちる… それを見た彩葉もまた、切なげにしゃくりあげ始めた。その堪えても溢れてくる、抑えきれない哀しみの雫が、互いを淡く滲ませてしまう。
「もう… ふたりとも泣かないの…」
普段は絶対に見せない、クールなクランマスターの涙に、少なからず全員が動揺をすると、桜咲が慌てて背を優しく撫ぜ始めた。
「つまり、オレ達は… 騙されていたって事か…?」
厳つい料理人も、この件には相当に参っているようだった。
「ぐす… そうだね… イリィタナルの背後にある、5つの都市国家と十数の村や町を守る。そのための陣営戦争… 僕らはそれを信じて戦って来たから…… それが嘘だなんて…… ゴメン、気持ちを抑えれない…」
あぁ… 世界が歪んでいく… 本当に救いがないよ。
香音は、キシキシと何かが悲鳴を上げるのを聞いていた。戦ってきた時間の長さの分、一番心を痛めているのが彼女なのだろう…。
いくら死なない世界とはいえ、敵を殺せば罪悪感に蝕まれ、斬られれば激痛に吐き気もするだろう… その血みどろの戦場で戦うには、理由と何かの拠り所が必要だ。今日、少女らはそのひとつを失ったのだ…。
ディメテル連合陣営… そんなものは紛争の体裁を整えるための、存在しない偽の世界地図なのだから。
「残念だけど… 僕らが信じてきたものは、みんな嘘らしい……」
絞り出した少女の言葉は、消え入るほどに弱々しくて、それは叫ぶよりも悲痛に聞こえた…。
半ば観光気分の軽いノリでやってきた、世界を隔てる境界線のこちら側。そこには彼らの常識に存在していた、活気ある連合国家の姿はありませんでした…。
陣営戦争の根幹を揺るがすこの事実は、彼らの世界観を確実に歪めていくでしょう。
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