3-10話 香音というエルフ少女
第三章:クラン A.ドボルザーク:
クランマスターの少女、香音が、砦棟の地下へと降りる、鉄扉を開いていた。階下からは、むっとするカビ臭い湿気が立ち上がり、大翔は思わず顔をしかめる。
ま、まさか… 俺をこの牢屋に閉じ込める気じゃないよな…?
階段を降り切った地下一階は、独房と鉄格子の並んだ監獄エリアらしく、あまり気持ちの良い所ではない。その通路の突き当りにある大扉は、鋼鉄製の迫力ある貫抜が左右に張り出して、それは完全に錆びついて、扉と一体化するように朽ちていた。
「この奥は行かない方がいいよ。この城塞都市の地下を巡る、地下要塞と下水道の迷路だからね… 僕もこの大扉から先は知らないんだ」
「この錆び付いた扉を、無理に開けようとは思わないな…」
「あはは、確かにね。ヒロトに見せたい部屋はこっちだよ」
香音は地下の蒸し暑さを嫌がるように、蜜色のゆるふわヘアーを頭の上に結ってしまう。突然と顕になった白く細いうなじに、少年はドキリと鼓動を早めた。
4つ並んだ独房用の鉄扉のひとつに、少女が手を差し上げると、三重の魔方陣が立体的に浮かび上がる。扉は不自然なほどの重い音で解錠されると、内側にギィィと軋みながら開いていった。
「またえらく厳重な扉だな…」
少女を先頭に部屋に入ると、その扉の内側が地下金庫並の分厚い鋼板であることに驚かされた。どうやら内部は魔法的結界に守られているらしく、湿気もカビ臭さも皆無だった。
「これでも貴重な資産だからね… クラン共有の隠し倉庫というやつさ」
「結構広いな…… 」
奥に長い室内の壁や石棚の上には、美術品のように武器や防具が飾られてある。その整然と置かれた品々は、まるで美術館の展示を思わせた。
「少し前までは、この倉庫一杯になる程、レアやユニーク装備が積んであったんだ。この砦を買い取る時に、粗方を処分してしまってね。だから此処に残っているアイテムは、それなりに価値のある物ばかりだよ」
さらっと鑑定してみても、白銀装備や魔赤金鉱装備、獄墨鋼などの、大翔がまだ見たこともない、希少装備がずらりと並んでいた。
なんかレア物の美術館みたいだな… 上位クランは半端ないわ…。
「ヒロトを連れてきたのは、これを渡そうと思ってね」
背の低い少女が、蜜髪を揺らしながら背伸びをして、一本の剣を手にとった。それは大翔の鎧にも似た、濃紫の鞘に収まっている。
「この短剣は僕の親友が使っていたものなんだ。彼女は2年も前に消失してね… こういうものは形見という扱いでもないし、君が使ってくれると、宿った妖精も喜ぶと思うんだ」
そう言って差し出された短剣を、少年は両手で丁寧に受け取った。そして艶のある見事な鞘から、大柄な短剣をゆっくりと引き抜いてみる。ゴツい柄の先には、驚くほど滑らかな妖魔鋼の刀身に、不思議な紋様のエッジが輝く、幻想的な造形の得物なのだ。
:鑑定:
ブレイド オブ ネルフィヌ LV26 (Legend)
物理攻撃力+145 魔法攻撃力+102 攻撃速度185 耐久値 100%
対霊属性 対魔属性 恐慌効果42% 魔法封印33% 睡魔効果27% 体力吸収4% 気力吸収5% 夜妖精ネルフィヌの加護 ??? 伝説装備
「いや… 物理と魔法の両方に攻撃力あるんだな。確かに伝説装備… 凄い剣だけど、俺なんかが使ってもいいんか? 馴染んでる風を装ってるけど、俺は新入りだよ?」
香音は丸く大きな瞳を細めると、優しく、そして満足そうに微笑みを浮かべる。
「うちで短剣を使うメンバーはヒロトだけなんだ。それに君のそういう人の良さを、僕は気に入ってるんだよ。どうか、気兼ねなく使って欲しいな」
「そうか… じゃ遠慮なく」
軽い言葉とは逆に、まるで騎士の叙任の儀式のように跪いた少年が、天使のようなクランマスターへと礼を尽くす。
「君に妖精の加護があらんことを…」
少女もノリノリで、凛とした表情で答えれば、その姿は気品ある王族の姫君のようで様になった。
「ははは、でも実際にその剣を手懐けるのは、大変だから頑張って欲しい… ナイトフェアリーは暴れん坊だからね」
大翔は腰ベルトに帯剣すると、なだめるように指先で触れる。
「なんだか生き物のようだな? それじゃ、よろしく頼むよ妖精くん」
そうしてその隠し部屋を再封印すると、蒸した地下から上階へと戻っていった。
その後、1階のトイレや浴室、倉庫部屋や厨房の整理の仕方などを教えられ、最後に居住階でもある3階で、個室のひとつを与えられた。
そのフロアーには8室もの広い個室が、扇状に並んでいて、今はその半分しか使われて居ないようだ。ちなみに浴場は男女別の入り口があり、飾り気は無いが、大きな湯船のある本格的なものだった。個室の方にもシャワールームがあるのだが、やはり広い風呂は魅力だろう。
「みんなは何処かへ出掛けたのか?」
そうえいば、地下に行ってからこっち、他のメンバーの姿が見当たらない。
「今日は『名月の夜市』だからな、冷やかしに行ったのだろう。ヒロトも行って来ると良いよ。出店もあるし、蚤の市は数少ない娯楽だよ」
「うーん、いや、今夜は静かにしているよ… まだ、騒ぐ気分にもならないんだ」
その少し憂いた物言いに、香音は静かに寄り添うように言葉を選ぶ…。
「ヒロト、厨房の冷蔵倉庫から、葡萄酒を一本持ってきてくれないか? 一番上の棚のに沢山あるからどれでも良いよ。屋上で一緒に風にでも当たろう」
「ん? 付き合ってくれるのか? カノンこそ市に行きたいんじゃないのか?」
「僕も今日はいいかな… 無駄に目立つので、賑やかな場所は好まないんだ…」
その瞬間、香音の整いすぎた横顔に、陰りが浮かぶのを見てしまった。
「お、おぅ… なら涼むのも良いか? 取ってくるよ」
「ワインクーラーは僕の『倉庫』にあるから、現物だけで大丈夫だよ」
「ああ、分かった!」
少年は何故か焦るように、螺旋階段を降りていった。
「おっ! 屋上は気持ち良いなぁ」
階段を登りきった先には小さな鉄戸があり、そこを開放した瞬間、涼しい夜風を肌に感じた。屋上は四隅に円形の高台があり、中央には錆びた鉄製の見張り櫓が建っていた。
「ヒロトこっちだよ」
声がする方に櫓を廻ると、木製のリクライニングチェアに、テーブルが並んだ、ちょっとしたウッドデッキがあった。
「なんかこういうの、無性に懐かしいよな…」
「あはは、そうだろ? みんな日本人だからね… 露天風呂とか、畳部屋でお茶とか、お月見に串団子とかが恋しいんだよ。あ、団子はないけど、チーズを摘むといいよ」
この夕日が落ち切れば、すぐに名月の巨大な月が昇るらしい。
大翔は少女に冷えた葡萄酒を手渡すと、隣のチェアに腰を降ろす。そこからは、ニ重の外壁の外に広がる、芝草の大丘陵と、緩やかに湾曲する河川の流れを見下ろせた。今まさに沈みゆく夕日に染められた、険しい峰々の連なりが、影絵のように浮いている。
「あの大陸を二分する『ハイズ連峰』の向こう側は、陣営戦争の主戦場だよ… 次の広域戦闘期間は15日後だから、訓練する時間があって良かった」
うまくコルクが抜けないのか、香音が地味に苦戦している。
「やはり訓練は必要なのか…」
「はは… クインテッドのヒロトが持つステータスは圧倒的さ… でもね、実戦はそれだけではないんだ。明日、彩葉とでも手合わせすれば、理解できると思うよ?」
少年は黙って葡萄酒を受け取ると、魔力腕を器用に使って、コルクを引き抜いて見せた。
「ヒロトは魔法操作も上手なんだね。ありがとう」
香音はふたつのグラスに、赤い葡萄酒を注ぐと、片方を彼に差し出した。
「いつの間にか… かな。二人分の命が掛かっていたから… そう思っていたからな… 必死に足掻いた結果だよ」
「そうか… その極限を知っている事が、君の強さかな…… さて、では頂こうよ」
少女が可愛い口元にグラスを寄せると、美味しそうに瞳を細めた。たぶん酒類は好きなのだろう。夕日に染まった髪が、夜風でさわさわと揺れて、丸みのある綺麗な横顔を撫でている。
子供のように、はしゃいだかと思えば、こうして見せる落ち着いた表情には、妙に大人びた色気を含んでいる…。
「ヒロトは僕に、あまり色目は使わないのだね? 結構な美少女キャラだと、自分なりに自覚しているのだけど」
大翔の内心を見透かすような、蒼い海色の瞳でからかってくる。
「んー ぶちゃけカノンは魅力的だけど、触れちゃいけない何かの葛藤? が見え隠れして、それで無遠慮には近づけない… そんな感じかな?」
「あはは、なるほどなぁ… 君が誰にでも適切な距離感でいれるのは、その無意識の洞察力によるものかな? それとも看破のスキルかい?」
「んっ? なんか遠回しにディスられてる?」
「違うよ… 本当に感心したのさ。そうだね… まぁどうみても僕は変わり者だろ? でも君には、もっと根深い、僕の根幹を見透かされているんだな…」
香音はチェアーから立ち上がると、高台から世界を見渡した。蜜色の髪が風に遊ばれて、それを片手で可愛らしく押さえてみせる。
「僕は前世では、17歳の男子高校生だったのさ… 何でこのエルフの少女の姿なのか、自分でも良く分からないんだよ。もしかしたら僕の前世では性同一性障害か、そこまで行かなくても、そういう願望があったのかと想像はしてるんだ…… だけど肝心の感情の記憶が酷く曖昧で、自分という輪郭が不確かで怖いんだ…」
その告白が、全く似合わないエルフの乙女は、砦の高みに美しく立ったままでいる…。
えっと… こんな可憐な少女の内面が、男子なのか… なんか、どうにもピンとこないな…。
「カノンは、出会ってすぐの俺に、ずいぶんとぶちゃけるんだな?」
彼女は自虐のような小さく笑う。
「はは、確かに少し早すぎたけれど… まぁ、クランの全員が周知しているし、それに、ここをはっきりさせておかないと、付き合いにくいと思ってね」
「なるほど…」
ん? 何だろ… この何かが引っかかる感じは……。
香音にとっては、やはり羞恥に近い告白なのだろう… 夕暮れの中でも分かるぐらいに、頬を紅く染めている。
「それって、あれじゃないのか……? えっと、言い方が悪いけど、いわゆるネカマ? 単に女子キャラ使いたかっただけなんじゃ? ネットゲーム世界では珍しくもないだろ…」
そこで香音は大きな瞳を見開いて、驚きの表情で固まってしまった。その唖然と呆けた顔は、純粋に素なのだろう…。
「ネ、ネカマかい… ははっ… あははははっ、そう言われると、なんか真剣に悩んで居たことが、馬鹿らしくなってしまったよ」
「ましてや、こんなゲーム的な幻想世界だぞ、何でもありだろ? それでカノンはどういう接し方が良いんだ? 男子高校生なんか? そしたらダチ的な口調でいくけどさ」
彼の砕けた感じの言い方に、頬に可愛らしく手を添える少女。
いや… 普通の女子より、よっぽど可憐だそ… カノンよ。
「そこも自分では曖昧で困っているんだよ。半端に男子の記憶がある片方で、もうこの華奢な身体で5年も過ごしていて、心が身体に惹かれているというか… 女性的な感情も多分にあってだね…」
「ああ、わかったよ、お互いにこのままでOKだな! まぁ男気のある女子ぐらいな扱いで良いだろ? 気に障る事があったら、ガンガン指摘しろよ。そして… 俺をカノンの仲間にしてくれ。取り敢えずそこから始めようぜ」
「ぜ… って…… あははっ。君は本当に興味深いな… こちらからも是非お願いするよ。ヒロト!」
そう言った少女の笑顔は、晴れやかに輝いて、そして恥じらうような乙女の表情を含んでいた。
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