〜後日談3〜 二人の翼
きもち甘め。
アンナの出産騒動から数日後。
「キニフェに帰る前に、また城下町の案内をしましょうか?」
ギルウェの申し出を、ネリーは喜んで承諾した。
ネリーは妖精騎士の妻であると同時にアヴァロンとキニフェからやって来た客人扱いでもある。 お忍びという形にはなったが、 城下町を、つつがなく見てまわることが出来た。
加えて最近のウェレスは治安がどんどん良くなっているし、側には夫であるギルウェも居る。
町から丘の上の城に続く道を、語らいながら歩く。
「師匠が、去年そんなことを?」
「はい。一年前のお祭りの時に『自分の後継ぎは自分で産むしかない』と。
無事にお生まれになって、本当に良かった!」
アンナもモードレナも、経過は安定しており、食欲も旺盛で元気そのものだった。
アルトスもララべも、他の者達も、ひとまず安心している。
ネリーは、この旅のために、ギルウェから貰った赤い日傘をさしており上機嫌だった。 角が隠れているかどうか……これで少しは気にせずに済むだろう。
そんな彼女を見ながら、ギルウェは思案する。
「(ネリーも……子供が欲しくなってたり、しないだろうか?)」
***
ネリー達のウェレス滞在期間も終わり、仲間達に別れを惜しまれつつ出立した。
ウェレスからキニフェへ船に揺られ、王宮である不死鳥の館に帰還した、その次の日の早朝。
カーテンを閉めた窓の向こうは、日が昇り始めたようで薄っすら明るい。
「(あら珍しい)」
ネリーは、ギルウェより先に目覚めてしまった。
キニフェはウェレスよりも気温が寒く、ぬくぬくと暖かい布団の中から這い出すのは至難だ。
「(きっと、お疲れなのでしょう)」
昨日はフロレッタや城の皆に帰還の挨拶と、留守の間どうだったか、新たな仕事は発生していないか確認や報告を行った。
そしてギルウェは、長旅で疲れているだろうとネリーを気遣い『今日は大事をとってネリーと、早めに就寝します』とフロレッタに了解をとり、早々に王宮内に用意されている自室へ退散してしまった。
『……朝食の時間だけは守ってくださいましね?
あと義姉上様に無理をさせないで』
そう告げたフロレッタの言いつけ通りにしたいのは、やまやまだったらしいが……寝室へ戻った旦那様が言うことには
『何せ、船の中では全く愛し合えなかった』
『挨拶のキスをしてくれたのは……?』
『あれだけでは足りない』
「(その後は、もう……もう、あわわ)」
昨晩の記憶を思い起こしてしまったネリーは寝間着の裾を握りしめ、叫びたくなるのを耐える。
それでもネリーにとって、ギルウェが変わらず愛を注いでくれることは喜ばしい。
身が持つかどうかの心配は別として。
ネリーは、こちら側を向くギルウェの寝顔を遠慮なく見つめる。 青の翼も……。
昨晩、ネリーがギルウェの羽根に触れた時。 くすぐったかったらしく、根元をフニフニと触ったら何やら耐えている様子で……
『っく……!
ネリー、これ以上は危険だからいけない……!』
と、禁止されてしまった。
それでも眺めていれば、どうしても触れたくなる。
他ならぬ彼によって……そのように、調教されてしまった。
羽でなければ、起こさぬようにすれば大丈夫なはず……と、空色の強い銀の髪に触れる。 ふさふさとした癖毛の手触りが良くて、病みつきになる。
『朝の一族には癖毛が多いんです。 祖先からして速度を出して飛びまわっていたから、こうなってしまったんでしょう』
と、以前、彼は言っていた。 確かにサラサラで真っ直ぐな髪だと飛ぶ時に風で絡まりやすいでしょう、と返した覚えがネリーにはある。
結婚当初と変わらずギルウェはネリーに対し、森の向こうの湖の島に居たままでは、わからなかったことまで色々と教えてくれる。 そういうささやかな優しい時間が、ネリーには嬉しくて仕方がない。
ふふ、と笑えば、振動が伝わったものか……ギルウェがウン、と眉根を寄せた。
「(あら、いけない。 起こしてしまう)」
と、感じたネリーは、慌てて手を引っ込める。
これだけで充分だ、と自分に言い聞かせる。
いまだにネリーは、ギルウェと一緒になりたいと願う女性はいっぱい居ただろう……それくらい、わかる、独り占めしてしまったらバチが当たるのでは無いか? だから多くは望まない……と考えている。
「……ネリー……」
彼女の、そういった決意とは裏腹に、布団にくるまっていたギルウェの手が伸び……寝ている隙に髪に触れた犯人を抱き寄せるのだった。
ギルウェは夢を見ていた。 ネリーと睦みあっている夢。 幸せな昨晩の記憶の残りだろうか。
愛する妻を抱き寄せて、頭や頰、肩や腰を撫でる。触れると身体を震わせ、反応をくれる。
もっと可愛らしい反応を見たい……と、願う。
『どうして、そのように……ギルウェ様は、お優しいのですか?』
聖竜の姫が、熱のこもった瞳で見上げてくる。
『……こんなにネリーに対して、酷いことをしているのに?』
人の身に変幻したあげく男に良いようにされるのは本来、竜という種族からしてみれば屈辱だろうに。
基本的に誇り高くて縛られるのが嫌いなはずだ。
ウェレスで働いているディルなど半竜女達は……妖精や人間となど恋したがらないし、結婚もしたがらない。 もちろんルーデやエレーネなど例外もいるが。
『(ネリーも例外だろうか?)』
『わたしは、ひどいことなんて、されてませんよ?』
と、首を横に振って自分を否定してくる妻が可愛くて、ついギルウェは彼女の唇を塞いで黙らせる。
……あれ?
夢にしては感触が生々しい。
これは。
いやでも、そんな……まさか。
夢のはずでは……。
寝台の上のギルウェがうっすら瞼を開くと、黄金の眼を細めて耐えてくれているネリーが居た。
「……うわぁっ!?」
驚いて飛びのく。
寝ながら襲ってしまっていた。
息を荒くしていた妻は、恥ずかしそうに微笑む。
「やっぱり、寝ぼけてらしたんですね?
おはようございます」
「おはよう……ございます。
驚かせて、すみません」
「い、いえ、わたしが……いけないの。
最初に……触れてしまったから」
と、ネリーは顔を赤くして俯く。
「??? それでは、続きをしても?」
彼女が怒っていないのを良いことに、ギルウェは行動を再開することにした。
「寝起きはだめだ、頭がまわらない」
品の良い暖色の壁の寝室に二人きりで、しかも薄い寝間着姿。 抱きしめあうと肌触りが、伝わる温かみが心地いい。
「んッ……まだ、こんな時間なのに」
「朝の一族は早寝早起きなんです。
慣れてください?」
「今朝は、わたしのほうが早起き……っ!?」
ギルウェはネリーの腰に手をまわし、そのまま寝間着を少したくし上げ、尻尾を捕まえる。 白や赤や黄、不思議な色に煌めく鱗に覆われた尾。
「羽には羽毛があるのに、尻尾は鱗だけなのですね」
撫で回したあとで、尾の付け根を指の関節でグリグリ擦ると、竜尾の持ち主は気持ち良かったらしく
「あ、ギルウェ、様! 尻尾は、ちょ…ああん」
ネリーは、契約相手の腕の中で身をよじる。
「相変わらず、ここがたまらないんですね?」
「そんな、いけません」
ネリーにとってギルウェがこれまで触れた部分は、どこもかしこも気持ち良く感じる。
本当はやめてほしくない。 でも、それでは彼が疲れてしまうし、やめないでもっと続けてと頼んでしまいそうな自分が怖い。
「このまま食べてしまいたい」
「ダメ……先っぽだけ食べられたら……不恰好に、なっちゃう」
「新しく生やせないのですね? 安心してください。
食べたりなんかしませんよ」
それまでおとなしく、されるがままにされていたネリーの手が胸から動き、ギルウェの背にまわされる……ギュッとしがみつく。
「……ネリーは俺から理性を奪うのが上手ですね」
そう告げながら、普段たっぷり波打つネリーの橙の髪に指をかきいれ、隠された角を探り当てる。
「っ! そこ、は」
もう片方の小さくて可愛いらしい聖竜姫の白い角に口づける。 そのまま軽く歯を立て舌を這わせる。
「やめっ……! 危ない、です!」
押しのけようとする妻の手を難なく掴み、指を絡ませる。
「そうですよ、動くと危ないから。じっとしてて」
耳の近くでそんなこと言われては。 ネリーは言われた通りにするしか無かった。 角への刺激と触れ合う肌が温かくて心地よくて、力が抜ける。
いつの間にかネリーの背には光が集まり、しまっておいたはずの竜翼が現れていた。 ギルウェは、遠慮なく真白い羽毛の竜翼に触れる。
くすぐるように触ると根元のあたりで
「ひゃんっ!」
と、声をあげる。
「いつも触られているからお返しです」
「け、今朝は触ってません!」
ネリーは極力、竜の姿には戻りたくない、人の姿を保つため竜翼は出したくないと言っているのに、ギルウェはいつもネリーが気持ち良さに耐えきれなくなり翼を出してしまうまで愛でるのをやめてくれないのだ。
「…………〜!」
ネリーも対抗して手をまわし、ギルウェの翼の根元を同様に触った。
「っ! 俺のは触れなくて良いのです……!」
寝台で戯れるうちギルウェは光る翼を消してしまった。完全に日が昇り、月光の力は弱くなったと見える。
それでも、陽が沈まない夏のこの時期は、月の動きもめちゃくちゃになる。陽光の下でも出現してしまう妖精の翼を見ることが出来た日もあったはず、とネリーは去年の記憶を手繰り寄せる。
「(……楽しみにしておきましょう……!)」
青い羽毛の触り心地を思い返しながら、ネリーはギルウェに身を任せた。