帰宅
洋館にたどり着くと、すぐさま昨日のうちに用意された部屋に向かった。執事の出迎えはなく、途中の回廊でも会わなくて、目的の場所へはすぐについた。そこは三階の奥まった場所にある部屋で、扉を開けるとまずは居間となっていて、片側に二つ並んでいる扉がそれぞれ書斎と寝室に繋がっている。ぼくは居間のソファには眼もくれずにさっそく寝室に入り、制服を脱がずにベッドに倒れこんだ。
いつものことだ、とぼくは自分に言い聞かせた。うつぶせのまま、何も珍しいことじゃない、こんなの日常茶飯事だと声には出さずにつぶやいた。そうだ。もう慣れている。
徐々に眠気が襲ってきた。あんなことがあったのに不思議なほど気持ちは落ち着いていた。これまでであれば悔しさや自分のふがいなさに心がかき乱され、一日中うじうじと悩むことが多かった。それが今日は違う。凛やアキラの顔をふいに思い浮かべても、すぐに頭から追い出すことができる。なぜだろう。一之瀬の家族に気を遣わなくても平気だからだ、とぼくは気づいた。あの家にいるときはいつも家族の目を気にする必要があって、その窮屈な思いが普段の精神状態にも影響していたに違いない。
「おい貴様、起きろ」
ふいに響いた声に、ぼくの意識は覚醒した。熟睡はしていなかった。ぼくはベッドから顔を上げた。扉付近の壁に背中を預けている執事がそこにいた。執事、というのは名前ではなく、その立場を示すものらしい。名前は教えてもらっていない。
「いまが何時かわかっているのか」
「なんの用」
ぼくはあくびをかみ殺し、ベッドの縁に腰掛けた。
執事が腕を組んだまま眉をひそめた。
「なんの用だと? 貴様、自分の立場がどんなものかわかっているのか」
「仕事なら、ちゃんとするよ」
昨日のうちに言葉遣いは直されていた。敬語はやめろ、と執事から厳しく言われていた。
「なんでも、言って」
「殊勝な発言だな。貴様はおれが命じればなんでもするというのか」
「できることなら」
「ほう」
執事が足音もなく近づいてきて、手袋に包まれた指でぼくの顎を持ち上げた。
「できること、というのは必ずしも本人の意思を尊重するとは限らないぞ」
執事の顔は同性のぼくから見ても美しかった。黒目がちの目は切れ長で、鼻筋が通っていて、唇は女の人みたいに赤かった。髯なんかも生えているあとはなくて、青白いくらいの顔色もおかしくは感じられない。こんな人が、どうしてこんなところで働いているのだろうとぼくは疑問に思う。お主人という仕事がわからなければ、執事の意味もわからない。
そうやって黙って見つめていると、執事はつまらなさそうに鼻を鳴らし、
「いいだろう。貴様に仕事を教えてやる」
と言って背中を見せた。
「ついてこい」




