表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/29

第8章

ひとりになった部屋で詩織はソファに座り、背もたれに体を預ける。冬の日は短い。窓からは夕日が差し込み、室内を赤く染め上げている。

鶴見詩織宅で行われた錬磨に関する追加の聴取が終わり、刑事たちが引きあげると、揺摩と斗摩も詩織にねぎらいの言葉をかけながら帰っていった。

疲労のためか、長い溜息がもれる。西日に照らされた天井を見上げてばんやりと考える。

先ほどの聴取のこと。死んだ錬磨のこと。それから、斗摩のこと。


鶴見詩織は滝村斗摩が好きだった。

この「好き」の中にはただ単に恋愛感情としての「好き」という気持ちだけでなく、同じ画家としての彼を敬愛する気持ちも含まれていた。

詩織の中の斗摩に対する感情は確かに強いものであったが、幸いにも、十代の女の子が陥りがちな、恋に恋する甘い砂糖菓子のような状態などではなかった。

詩織は自分が好意を寄せている、滝村斗摩という人間が、善人というには程遠い人物であることも、斗摩が自分に対して恋愛感情など全く抱いていないことも十分に承知していた。

全て承知の上で、鶴見詩織は滝村斗摩に恋していたのである。


警察に聞かれた際に錬磨に体の関係を迫られたことを語ったが、あの時には言わなかったことがある。

関係を持つことを拒んだ際に錬磨に言われた言葉、それが今もなお痛みを伴って詩織の心に刺さっている。

もともと苦手意識を持っていた相手であったが、あの言葉を投げつけられてからはより距離を置いて接するようなったのだ。

『純情ぶりやがって。お前、斗摩のことを意識しているようだがな、あれは女と遊びまくってるような人間だぞ。若き天才だか何だか知らんが、ちやほやされやがって。くだらねえ。お前が操立てしたところで、自分に都合のいい相手しか選ばねえ、クソ野郎よ。』

そう吐き捨てられたとき、詩織は、その言葉に痛みを感じながらも、冷静に受け入れた。

滝村斗摩という人間は、確かに錬磨のいう通りの人物なんだろうな、と思ったのだ。

錬摩の言葉に詩織の心は確かに痛んだが、それは自分の恋が叶わないと知った辛さゆえのものではない。好きな人をけなされた悔しさゆえでもない。

そんな最低な男に、これほどまでに心を傾けてしまう自分のどうしようもなさに失望したことから感じた痛みだった。

外面がよく、機転が利き、社交的な男だが、反面、人を利用することを何とも思っていないクソ野郎を、それでも詩織は深く愛していたのだ。


詩織はソファから立ち上がり、台所へ向かった。

慣れた手つきでコーヒーを入れる。湯気の立つマグカップを手にして、コーヒーの香りが満ちる台所を後にする。

そのまま、居間の奥に続く部屋へと向かった。

そこには詩織のアトリエがある。

詩織程度の技量と才能では絵を描くだけで食べていくことは難しい。

それでも、コンビニでアルバイトをしながら無理をして2LDKの広い部屋を借りているのは、画家としての作業スペースを確保するためだった。

狭くとも自分のアトリエと呼べる空間で創作に耽る時間が、人生で最も充実していると感じられるのだ。

照明を落とされたその部屋は、カーテンもひかれており薄暗い。

詩織は足元の画材を注意深く避けながら部屋の奥に立てられたイーゼルに近づく。

イーゼルに立てかけられたキャンバスには布がかけられている。そっとその布をめくり、現れた絵を熱っぽく見つめる。

右下に滝村草摩のサインが入ったその油絵を、詩織は慈しむように目を細めて鑑賞する。そうしながら思い出すのは、初めて斗摩と出会った時のことだった。




その頃の詩織は大学二年生だった。

地方の公立高校から都内の芸術系大学に進学して一年が経ち、二年生に進級した頃の詩織は進路の悩みを抱えていた。詩織は幼い頃から絵を描くことが好きだった。高校生の時にはいくつかの作品展で入選する程度の実力もあった。

だから、高校卒業後の進路を考えた時、特に迷うことなく芸術系の大学への進学を選んだ。

普段の学校生活を真面目に生活していたこともあり、幸いなことに推薦入試で第一志望の学校に合格することができた。

大学に進学してからの一年間は都会での一人暮らしの生活に慣れることと、学校の勉強についていくことに精一杯だったが、二年生になると、自分の今後の進路を嫌でも意識せざるを得ない。

その時、詩織は絵を描くことを仕事にする難しさに直面したのだった。

詩織は大学では油絵を専攻している。

これが、イラストレーション専攻であれば、アニメーション会社だの、広告会社だの、そういったところへの就職を考えただろうが、油絵を描く仕事など職業画家ぐらしか思いつかない。

いっそ、芸術とは無縁の企業を目指して就職活動の準備をするべきだろうか。

いや、それぐらいなら、絵の知識を生かせる他の職を探す方がよいだろう。

しかし、自分は絵を描くことを仕事にしたいとずっと願いつづけていたのではないか。かといって、職業画家で食べていくことがいかに難しいことなのか、知らぬわけでもない。


そんな悩みを抱えていた、ある六月下旬のことだった。

梅雨時にも関わらず、その日は雲一つない晴天だった。

頭上には青空が広がっていたが、初夏の暑さと湿度の影響で、街には気怠さが漂っていた。人々の道行く足取りも心なしか重たく感じられる。

詩織はお気に入りの折り畳み傘をバックに入れ、電車を乗り継いでのある美術館へ向かっていた。

新緑の映える並木道を通り抜けた先に、小さな公園がある。

その隣に目的の美術館があった。

そこで現在行われているのは「滝村草摩と若き才能展」だ。

現代の絵画界巨匠のひとりである滝村草摩が自身の作品の展示と共に現在の芸術界で活躍している若手芸術家の作品を展示するイベントで、本日が開催期間の最終日にあたる。

普段、若手芸術家の作品に興味を持たない人にも、若者の作品を堪能してもらいたいという草摩の発案で企画されたものらしい。

「急に都合が悪くなり行けなくなったのだ」と、大学の友人にチケットをもらったのが昨日のことだ。

たまたま予定もないし、ならば気分転換に訪れてみるのも悪くないと思い足を運ぶことにしたのだった。


人混みを避けるため、最終入場時間の一時間前に来たのが功を奏したのか、館内の人影はまばらだった。

詩織は館内を順番に歩き回り、作品の一つひとつをじっくりと眺めながら、作り上げた作者の感情に思いを馳せた。そして、作品の表現する世界に没入する。

展示されている若手芸術家の作品は油絵をはじめ、水彩、日本画、水墨画、版画、など多岐にわたる。中には現代アートの立体作品や、陶芸、彫刻に至るまで様々な作品が展示されており、詩織は日頃の悩みも忘れ作品鑑賞を楽しんだ。

詩織は絵を描くことはもちろん大好きであるが、芸術作品を鑑賞することも同じように好んでいた。

作品を鑑賞する中で、ある作品に対して深く共感したり、自身の創作に新たな視点を与えられたりと、刺激を与えられることが心地よかったからだ。

そういえば、大学の講義の中でも、教授から鑑賞における感性の豊かさを褒められたこともある。

作品から何かを感じ取ることにかけては、鶴見詩織は抜きん出た能力を有していたのである。


順路に沿って展示された作品を楽しむ詩織は、ふと、ある作品の前でその足を止めた。

作者や作品のテーマによっていくつかのブースに仕切られた展示室の最後のスペースだった。

今回のイベントの目玉のひとつである、二人の画家が合同制作した作品が展示されていた。

作品のテーマは『憧憬と嫉妬』。

制作者の二人が「憧憬」と「嫉妬」という二つのテーマに分かれて作品を描いている。

どちらの作品も八〇号(一四五.五cm×八十九.四cm)の大型の作品で、それが左右に並べて展示されていた。

向かって左には「憧憬」。

右手に「嫉妬」。

その一対の絵画の迫力に、最初ぽかんと口を開けて見入っていた詩織だったが、すぐに我に返るとそれぞれの作品の右下に掲げられた作品解説のパネルに目をやった。


「憧憬:滝村揺摩作。今回のテーマは憧憬と嫉妬という表裏一体の感情を設定した。

何かに強くあこがれる気持ちを中世のヨーロッパの戴冠式をモチーフに表現した。

明るい広場に集まり、中央の騎士王を祝福する人々。しかし、憧れには嫉妬がつきもの。まばゆいばかりの光景にわずかに潜む嫉妬も暗い色を差し込むことで表現した。」


「嫉妬:滝村斗摩作。揺摩氏作の「憧憬」の対となる作品。

戴冠式の場面を別の人物の視点で表現した。

人は嫉妬を表に出さない。祝福の笑顔の下に隠された複雑な感情を色遣いと人物構図によって表現した。」


なるほど。

作品解説にある通り、二枚の絵画は中世ヨーロッパの華やかな戴冠式の風景を、ルネサンス期以前の宗教画を思わせるタッチで描かれていた。

「憧憬」は中央の王冠を被った人物を中央に配置し、それを取り囲むように多くの人々が祝福をささげている。

だが、笑顔の人々の表情の表現に、妙に暗い色が使われている部分があり、なんとも言えない不気味さを醸し出している。

「嫉妬」は、「憧憬」と同じ場面を角度を変えて描いている。

王冠の人物を取り囲む集団をななめ後ろから見ている構図になる。

王冠の人物の周囲の明るい色使いと対照的な、暗い色使いで描かれた人物が中央に配置されている。

この人物は顔こそ笑顔であるが、体の脇にのばされた手は固く握りしめられており、笑顔の裏に隠した暗い感情を暗示している。

どちらの作品も完成度が高く、見事な作品だった。

だが、並べて展示された作品のうち、滝村揺摩氏の「憧憬」からは言葉にできない不気味さがにじみ出ており、これこそ天才のなせる技かと思わせられた。

滝村斗摩氏の「嫉妬」も素晴らしい作品に違いないが、何か、もうひとつ足りないように思われてしまう。

こちらも言葉にできない、もどかしさを感じた。

しかし、その感想も、あくまでも、いち美大生のつたない感想に過ぎない。

詩織ごときに何が分かるというのか。

偉そうに講評しているが、この作品を描いた二人は詩織の何倍も、何十倍もの才能と技術を持っているのだ。


そこまで胸中で思いを巡らせると、詩織はふうと息をつき、改めて左右の作品を比べ観た。

先ほど何か足りないものがあると感じた「嫉妬」をじっくり眺め、作品の世界に没入し、作者の創作時の感情を想像する。

作品としては「憧憬」の完成度が高いと感じてはいたが、詩織は「嫉妬」の方に強く惹かれていた。

そして思うのだ。

ああ、この作者は自分の本心を作品に込めたのだなあ。と。

「嫉妬」というテーマに真摯に向き合い、自分の中にある「嫉妬」を表現しようとしたのだろう。

そして……。

詩織は「嫉妬」に向けていた視線を左へ移し、「憧憬」を見つめる。

何となくだが、その嫉妬の感情は「憧憬」にもしくは「憧憬」の作者に向けられているように感じられる。

詩織自身も嫉妬という感情は身に覚えがある。

曲がりなりにも芸術という分野を学んでいる身の上なのだ。

越えられない才能の差というものを感じた瞬間というものは間違いなく存在するし、その時の苦い記憶はそうそう忘れられるものではない。

才能を持つ者との違いというのは、キャンバスに一本の線を引くだけの行為でも、如実に表れる。

持たざる者は、その一本をただ見つめて、こんな線は自分には一生引けないと、歯噛みするしかないのだ。

「嫉妬」の作者は、決して持たざる者ではない。

輝やかしい才能を持つ者だ。

でなければ、これほどの作品を残せはしない。

だが、それ程の作者でも、「憧憬」に嫉妬したのだろう。

しかも、その感情は、詩織が今まで感じてきた嫉妬などとは比べものにならないほどの強い感情のように思えるが……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ