第7章
朝山来人は但馬という刑事を信頼している。
たまに乱暴な言葉遣いや、やる気のない態度をとることもあるが、その実、内心では常に冷静であり、論理的に物事を考えている。
さらに、論理的思考を持ちながらも、人としての感情の機微に敏感でもある。
だからといって、感情に流されるような判断は絶対にしない。
今まで、彼と共にいくつかの事件の捜査をしてきた。
悲惨な状況でやむなく犯罪に手を染めた人間も見てきたが、但馬は同情はしても容赦はしなかった。
その強さを目の当たりにして、自分もこうありたい、と思ったものである。
但馬の警察官としての能力は総じて優秀だと思うが、特に秀でていると感じるのは、その洞察力である。証言の僅かなほころびや、矛盾の生じた現場、取り繕った言動を見逃さない。
今回の事件についても、あの納得のいかない様子を見る限り、但馬にはきっと別のものが見えているのだろう。
朝山の目には一人の画家を襲った不幸な事故としか映らないのだが。
滝村鶴摩、本名、鶴見詩織のマンション宅を訪れた際も、案内された部屋で揺摩・斗摩の兄弟弟子がそろって自分たちを出迎えたことに朝山は驚いたのだが、但馬は驚くどころか妙に納得した様子ですらあった。
今日、初めて言葉を交わした鶴見詩織は、一言でいえば大変印象の良い女性だった。
事件現場到着前に揺摩・斗摩のことは但馬に語ってみせた朝山だが、滝村鶴摩という画家のことはほとんど知らなかった。
しかし、少し話しただけで、彼女の素直で真面目な性格を感じ取れたし、滝村の画家として懸命に努力をしていることも伝わった。
師の草摩、同門の揺摩と斗摩を尊敬していることも言葉の端々から感じられた。
錬磨について語る時だけは、言葉を濁す様子もあったが、それは他の画家たちも同じことだ。
錬磨が周囲の人間から嫌われていたことは調べがついている。それでも、同門として何か彼に関することで知っていることはないかと、朝山は食い下がった。
今日の聴取の主導権は朝山が一任されている。
但馬は自分でじっくり考えたい時や、目をつけた関係者がいるときは、朝山に聴取を任せ、自分は一歩引いてその様子を観察するのだった。
朝山の熱意に負けてか、詩織は逡巡の後、実は…と言いづらそうに口を開いた。
詩織は、ちらりと斗摩を気にする素振りを見せた後話し出した。
「錬磨さんには兄弟子として、私の作品について色々とアドバイスしていただいていたのですが、その、…ある雑誌に私の絵を紹介するコメントを掲載する代わりに体の関係を迫られたことが何度かありました。」
同門の女性相手に、交換条件で体を求めるとは…なんて男だ!
確かに彼女は魅力的な女性だが、倫理観というものが欠如した言動である。
「もちろんお断りしましたが、何度かそんなことがあって以来、彼とは距離を置くようになって…」
それはそうだろう。これまでの聞き込みの通り、素行のよろしくない男だったようだ。
揺摩と斗摩のふたりも、苦い顔で黙って聞いている以上、心当たりのない話ではないのだろう。
「お仕事の上での必要な連絡などはとっていましたが、それ以上のやりとりはありませんでしたので、あの人のことは本当によく知らないんです。」
と、申し訳なさそうに言う。
その困り顔に、何だかこちらが申し訳ない気持ちになってしまった。
「や、こちらこそ。話しにくいことまで、お話し頂いてしまって、どうもすみません。」
いくら捜査のためとはいえ、他の兄弟子もいる中で話したい内容ではないだろう。
そう思った朝山が、詩織に向かって、丁寧に頭を下げた。その時、
「君がそんなことを言われていたなんて、僕も知らなかった。気づかなくてすまなかった。」
それまで、少し離れた位置でやり取りを聞いていた揺摩が、突然話に割って入るかのように声を上げた。
この揺摩という男は、現場での聴取の時も、現在の詩織の聞き取りの最中にも、発言は最小限で、常に聞き役に徹していた。
その上、どこか現実離れしているというか、周囲の物事に興味のない人物のように感じられており、詩織の気持ちを慮るように自発的に声を上げたことに、朝山は驚いた。
だが、どうやら驚いたのは朝山だけではなかったようで、詩織と斗摩も、但馬でさえ驚き顔で揺摩を見つめていた。
斗摩などはよっぽど衝撃的であったものか、大きく目を見開いて声もなく揺摩を凝視している。それほど、普段の揺摩らしくない発言だったということか。
なんとも言えない微妙な空気になりかけたところで、詩織がとりなすように揺摩に言う。
「ありがとう、揺摩さん。でも、もう過去のことだから、大丈夫だよ。」と笑いかけ、朝山に向き直ると、「そんな訳なので、錬磨さん個人のことはよく知りませんが、草摩先生やこちらのお二人のことならよおく知ってますから、何でも聞いてくださいね。」と片目をつぶって見せ、その場の雰囲気を和ませるという機転を利かせた。
詩織の気遣いに朝山ものってみせ、「では、草摩師匠はどのような方だったんですか。」と聞いてみることにした。
「ええっと、そうですねえ…。」
聞かれた詩織は宙を見上げて考える様子をわずかに見ると、「絵を描くことに一途な方でした。自分の感じた物、見た物を忠実に表現したいと考えておられて。それ以外のことには本当に無頓着でした。あの山荘の質素なところは、まさに先生の心の内を表してるようなものですね。」と故人を懐かしむように述べた。
そこに、斗摩もつけ加えるように会話に参加する。
「そうそう、あんまり物がないんで、俺と詩織でテーブルやソファを持ち込んだんです。来客もあるのに、何もないと困るでしょうってね。」
「昔、先生が古いキャビネットを処分してしまったとお聞きして、代わりにさらに大きなキャビネットまで買ってきて、先生の好きなもの飾ってくださいって言ったのに、先生ったら、何も置いてくれないんです。
仕方ないから、私たちが取材や旅行で買ってきたお土産の置物なんかを飾らせてもらっていたんです。」
「ほお、なるほど。そういえば、ありましたね。各地の土産物の置物が並んでいるアンティークなキャビネット。」
「ええ、立派なキャビネットでしょう。…そうかと思えば、ご自分が絵画コンクールで受賞されたときに記念品として貰った、奇妙な仏像をそこに飾ってみたりして。
独特な感性の持ち主でした。…だからこそ、もっと先生から多くのことを学びたかったのに…。」
亡き師を思い出して、しんみりする詩織の肩に斗摩が手を置いて慰める。そんな二人を一歩離れたところに佇む揺摩が、穏やかに見守っている。
その光景に何ら違和感はない。少なくとも朝山には感じられない。だが…。
朝山は但馬を顧みる。朝山の少しだけ後方、そこで今までのやり取りを静観していた但馬は、じっとりと、三人の滝村を注視していた。




