第26章
五年前のことを昨日のことのように思い出せた。
大丈夫だ。あの日の自分の行動に落ち度などない。
さあ、ここから反撃だ。
確かにこの男の推測はおおむね正しい。まるでその場を見ていたかのようで、気味が悪い位だ。
だが、証拠がない。
だからこそ、こちらの自白を引き出して捜査の足懸りとしたいのだろうが、そうはいかない。証拠がないなら、まだ道はある。
尋斗は但馬の視線を受け止め、挑むように口を開いた。
「いかがですかも何も、ねえ。興味深い内容でしたが、それはあくまであなたの推測だ。
今のあなたの推測を裏付ける証拠でもあるなら話は別ですが。
感想を求められたところで、面白いお話ですね。とお答えする以外にありませんね。」
するとすかさず、朝山が会話に加わって来た。
「実は、画商の大山堂さんにも確認済みなんですよ。五年前の十二月三日にどなたと会っていたのかを正確に思い出してもらいました。」
「ほう、そうですか。それで?」
勢い込んで話す朝山に、尋斗は落ち着いて返した。
「大山堂さんはあの日お会いしたのは、確かに滝村斗摩さん、あなただったと証言しました。
草摩さんの作品と偽って絵画を売却する相談をしたことも話してくれましたよ。」
これでも言い逃れしますか、とでも言いだしそうな剣幕の朝山だったが、大山堂の証言程度では尋斗にとっての脅威にはならない。
「そこまで調べが進んでおられるなら仕方がないですね。実は、あの日、錬磨さんに頼まれて大山堂さんにお会いしたんです。」
「頼まれた?」
「ええ。どうも体調がすぐれないので、自分の代わりに大山堂さんに会って、ある絵を渡して欲しいと頼まれましてね。
そのとき引き渡したあの絵がまさか、自分の作品だったとは…固く梱包されていたので、中の絵を確認することもありませんでしたので…」
苦い顔をする朝山に、尋斗は両手を広げて肩をすくめてみせた。
「確かに私の絵が師匠の絵として偽られて売却されたのは確かでしょう。
ですが、そのことがアリバイ工作に利用されたとは限らないでしょう。
ましてや、私が練磨さんを殺害したことにはならない。」
「大山堂さんが、あなたがあの日、絵画の偽装について承知したうえで売却を求めた、と証言しているんですよ。」
「では、私は絵画の偽装については知らなかった。と、申し上げましょう。先ほど述べた通り、私があの場にいたことは認めますが、あくまで錬磨さんに頼まれて代理として商談に赴いたに過ぎない。
商談現場に代理として赴いたことを黙っていたのは申し訳なかったが、錬磨さんの死に動揺してしまったので、とっさに嘘をついてしまったのですよ。」
朝山が苦いものを飲み込んだような顔で、但馬を見やる。
但馬は黙って首を横に振った。
その様子に尋斗は勢いづく。
「もしも、万が一。
万が一ですよ、私が偽装の事実を知っていて、あの商談で大山堂さんに絵画の売却を促したとして、それでもそのことがそのまま私が錬磨さんの殺害にかかわった証拠にはなりませんよね。」
最期は但馬に向けて、尋斗は一種の優越感さえ感じながら問いかけた。
但馬は朝山とのやり取りを黙って見ていたが、その問いかけにゆっくりと頷いた。
「…おっしゃる通り。あなたが殺害に関与した証拠はどこにもありません。
ですが、我々は今後、私が述べた推測をもとに錬磨氏の件に関して再捜査を行います。」
その言葉にも尋斗は揺らがなかった。
もはや、最初の頃の動揺などかんじさせない余裕の笑みを浮かべながら、「それは、ご苦労様です。では、何かわかりましたらまたお知らせください。」とのたまった。
五年も前の事件だ。
今更、自分が錬摩を殺した証拠など出てくるわけがないのだ、と確信すら持っていた。
尋斗は「ご用件が終わりましたら、本日はこれでお引き取り下さい。」と手のひらで玄関を示して見せた。
その言葉に朝山と但馬は素直に従い、帰り支度を始める。
朝山はまだ納得できない顔を隠しもしなかったが、但馬は冷静だった。
尋斗は玄関まで二人の刑事を見送りに部屋を出る。
お邪魔しました、と朝山が玄関の扉に手を掛けた時だった。
「朝山。お前、先に車に戻ってろ。」
但馬が低い声でそう言った。
その言葉に、扉のノブに手を掛けたままの状態で動きを止めた朝山は、瞬間、何か言いたそうな顔をしたが、一つ頷き、そのまま扉の外に姿を消した。
玄関には但馬と尋斗のみが残された。
冷静な但馬に、尋斗はあからさまに不機嫌な様子で対峙する。
「これはなんの真似でしょうかね。」と、腕組みをして冷ややかに但馬に問う。
但馬も真剣な顔で尋斗に向き合った。
「どうもすみません。ですが、帰る前に私の個人的見解を聞いて頂きたく思いまして。」と妙に改まった態度で言った。
「個人的見解、ですか…?」
「はい。先ほどお話した、五年前の真相は警察の今後の捜査の前提になる推測です。これからお話するのは、私の個人的な推測です。」
どうやら話を聞かない限りは帰らないようだ。
尋斗はため息をつくと、「聞きましょう。」と仕方なく答えた。
どうも、と軽く頭を下げると、但馬は語り出した。
「実は、五年前の捜査の段階で、私はある違和感を持っていました。
しかし、その違和感の正体が何なのかは分からなかった。
しかし、この度、絵画の作者偽装が明らかになり、真実に迫ってくるにつれ、その違和感の正体が次第に見えてきたのです。
その一つは、あなたと揺摩氏の事件直後の行動についてです。
亡くなった錬磨さんが疎まれていたのは知っています。
ですがいくら気に入らない相手だとしても、同門の人間が亡くなった現場に立ち会っておきながら、アリバイ工作を行ってまでその死を事故に見せかけようとするあなたの発想に違和感を覚えました。
いいですか、錬磨氏の死因があなたともみ合った末の転落死なら、素直に警察に話せば状況によっては正当防衛で済んだ可能性もあるんですよ。
さらに捜査の結果、錬磨氏が作者を偽装して絵画を販売しようとしていた事実が判明すれば、なおさらあなたに対する批判は少なくなったはずだ。
それなのに迷わずアリバイ工作の道をとった事に対して、事件の当事者のあなたではない、何者かの意志の介入を感じました。
さらに揺摩氏があっさりと共犯者となっていることについても違和感があります。
「滝村兄弟」の相方としてあなたを守りたかったのだとしても、いい大人が警察の捜査に対して偽証を行うことがただで済まないことぐらいは、いくら浮世離れしているとはいえ承知しているはずです。
最悪、アリバイ工作が露見し、共犯の罪に問われて画家生命を絶たれたかもしれない。
そんなリスクを揺摩氏が、そう簡単に背負うでしょうか。」
言葉を切った但馬に、斗摩は無言で先を促す。
但馬の語る話の着地点が見えない。
ただ、最前まで薄らいでいた嫌な予感が胸中に舞い戻って来ていた。
「そしてもう一つの違和感の正体が山荘から消えていた受賞記念像です。」
「受賞記念像?」
尋斗は首をひねる。
どう思い返してみても、あの事件に関する記憶の中に「受賞記念像」とやらの心当たりがないのだ。
「そうです。五年前の捜査の折、我々は事件から数日後に高咲詩織さんの自宅にて彼女の事情聴取を行いました。」
「…ああ。そんなこともあったな。」
「その時、亡き草摩師匠の人柄に言及した彼女の証言にこんなものがありました。
『草摩師匠は質素に生活する人物で山荘に家具を持ち込むことも少なかった。弟子たちで大きなキャビネットを買ってきたが、先生は何も飾らない。仕方ないから、私たちが取材や旅行で買ってきた土産の置物なんかを飾らせてもらっていた』と。
何も飾らない草摩師匠。
しかし彼がキャビネットに並べた唯一の物があったそうです。
それについて詩織さんはこう証言しています。『ご自分が絵画コンクールで受賞されたときに記念品として貰った、奇妙な仏像』だと。」
その言葉を聞いた尋斗の脳裏によみがえる光景がある。
草摩の弟子となることが決まり、師となる人のアトリエに挨拶に出向いた、その時の記憶だ。
例の山荘を訪ねた自分は目にしたではないか。
雑多に物が並べられたキャビネット。
その中で異彩を放つ木彫りの奇妙な像。
四本の腕を持つ人型の怪物が、頭上に大きな球体を掲げているなんとも不気味な像。
のちにあのキャビネットは傷んで処分されてしまった。
その時にキャビネットに収められていた物も一緒に処分したものだと思っていた。
しかし、その後数十年を経て、再びあの山荘にキャビネットを新調した際、確かにあの木彫りの像は飾られていた。
詩織や錬磨、仕事の関係者なども質素すぎる山荘の彩にと、半ば面白がって勝手に置物や土産物をそのキャビネットに飾っていた。
その中に、かつてそうであったように、雑多な置物の中に混じって、しれっと飾られていたのを憶えている。
それは草摩がある賞を受賞した時に贈られた、記念品の像だという話も誰かから聞いていたよう思う。
…だが、それがどうしたというのだ。
怪訝に思いながら但馬の話の続きに耳を傾ける。
「ああ、あなたもその像に見覚えがあるんですね。
調べたところ、数年前まである美術展にて最優秀賞受賞者に贈られていたものだそうです。随分と重量があることと、奇妙な形のせいであまり喜ばれなかったらしく、現在では贈呈されていないそうなんですが…重要なのは、『その像を私見がていない』ということなのです。」
「…は?」
「五年前の十二月四日、あなた方から、亡くなった錬磨氏を発見した旨の通報を受けた我々が現場に到着した時にあの像はなかったのです。」
「…あなた方が見落としただけでは?」
「あの山荘内部の様子を撮影した捜査資料も残っています。確認しましたが、そんな像は見当たりません。」
「では、草摩師匠が亡くなった後で誰かが…そう、もしかしたら詩織が、処分したのかもしれませんよ。」
「実際に事件のあった日、十二月二日の午後にあなたと揺摩さんは山荘で美術展の打ち合わせを行っていますね。そこには関係者も数人同席している。
その関係者の一人が滝村草摩のアトリエを訪れた記念に山荘の内部を撮影していました。
その画像には、しっかり例の像が映っていたのですよ。
つまり、二日の夕刻から四日の昼に警察が現場到着するまでの間にこの像は消失したことになります。」
但馬の推測に嫌な予感を覚えている尋斗は食い下がったが、どうやら裏取り捜査済みらしい。なんだか悔しい気もする。
…しかし、その像が事件にどうかかわるのか。まだ、分からない。
「事件発生の日に姿を消した像の存在を知ったとき次に浮かぶ疑問は、誰が、どういう理由で隠蔽したのかというものでした。」
あんな趣味の悪い像をどうこうする人間なんて…と考える尋斗の心の内で、もう一人の自分が警鐘を鳴らし始めた。
これ以上は聞いてはならない。
考えてはならない。
「錬磨氏の致命傷は頭部への打撲痕でした。
これを我々は階段から落下した際の物だと推測していました。
私も最初はそう思いました。
ですが、事件現場から消えた鈍器になりそうな像の存在を知ってしまえば、見えてくる真相はまた違ったものとなりました。」
但馬は言葉を切って、尋斗を見つめる。
尋斗が真実から目を逸らそうとしていることもお見通しだ、とでも言うように。
たまらず、尋斗は但馬の視線から逃れるように顔を背けた。
「滝村錬磨氏は階段から落下して亡くなったのではない。
彼は殺害されたのです。あの重たい受賞記念像で殴り殺されたのです。」
階段で手を振り払った瞬間の練磨の顔が蘇る。
同時に、倒れたまま微動だにしない彼の姿も一緒に思い出した。
「錬磨さんが階段から落下したこと自体は事実でしょう。
それにあなたが関わったことも、あなた方がアリバイ工作を謀ったことからあきらかだ。
ですが、あなたが手にかけてしまったと思い込んだその時、彼はまだ生きていたのではありませんか。
その後、何者かが彼を殴り殺したのです。
そしてその凶器を隠した。
…では、その人物とは誰か。
あなたも、もう気付いていますよね。」
尋斗は先ほどまで堅牢な壁に囲まれた城の頂上に立っていた。
証拠と論理で武装された、何者にも切り崩せない城で悠々としていたのに。
突然、自分のよりどころが砂上の楼閣に変わってしまったようだ。もろい足場が崩れさっていく。
先ほどまで自分が立っていたはずの確かな地面が今や脆く頼りないものに変じてしまったようだった。
練磨さん、あんた、あのときまだ生きていたのか。
あんたを殺したのは、きっと…。
尋斗の内心の声を引き継ぐかのように但馬は告げた。
「状況から考えて、揺摩氏しか考えられないでしょうね。」
足元から力が抜ける。崩れ落ちそうになるのを何とかこらえる。
「そんな、はずは…証拠は…」
呻くようにそう呟きながらも、脳裏には錬磨を突き落とした直後の記憶が蘇る。
あの時、自分は錬磨と共に一緒に階段を転げ落ちた。
そして一瞬気を失ってしまったはずだ。
…一瞬?
あれは一瞬だったのか?
自分が気を失っている間に、揺摩が錬磨を殺害したとしたら?
いや、でも、なぜ?
なぜ揺摩が錬磨を手にかける必要があるのだ?
混乱する尋斗に但馬は淡々と告げた。
「証拠はありません。ですから、あくまで私の個人的な推測を述べたまでです。
しかし、あなたに心当たりがあるのなら、知っていることを教えていただけないかと思いましてね。
どうです?あなたが陥れられた側である自覚があるのなら、捜査協力願えませんか。
今は証拠は何もありませんが、たとえば凶器となった例の木像が発見されれば、あなたへの殺人の疑いは晴れることでしょう。」
捜査協力?
知っていることを話すということは、アリバイ工作や、錬磨との諍いの経緯も全て認めて白状することになる。
これが警察側の罠の可能性もまだ捨てきれない。
…確かめなくては、揺摩本人に。
「……。今、私から話すことは何もありません。…お帰りください。」
なんとか表情を取り繕って、玄関の扉を指し示す。
自分の様子が明らかにおかしい自覚はあったが、但馬はじっとこちらの様子を確認してから、「お時間いただいてありがとうございました。」と一礼するとおとなしく出て行った。
素直に帰ってくれたことにほっとしつつも、尋斗は未だに混乱している頭の中で、先程提示された「真実」について考えようとした。
しかし、どうもうまく頭が働かない。
リビングのソファに腰かけ、一人きりとなった静寂の中で尋斗は落ち着いて思考しようとした。
今日のところは大人しく引き上げたが、あの様子だと、警察は錬磨の事件を丁寧に再捜査するのだろう。
では、自身の保身のためにこれから自分は何をするべきなのか。
しばらく落ち着きなく室内を歩き回る。
心を落ち着けるためにキッチンでコーヒーを淹れ、一息つこうとする。
考えをまとめようとしているが、頭がうまく回らない。
これではらちが明かない。
尋斗は一つ舌打ちをすると、リビングのソファにかけてあったジャケットを手に取った。
ここでこうしていても仕方がない。
やはり揺摩に会って真相を確かめなければ。今なら揺摩は山荘にいるはずだ。
車のキーを握りしめ、尋斗は慌ただしくマンションを後にした。




