第24章
詩織の葬儀が終わった次の日。
尋斗は出先から自宅に帰宅すると、リビングのソファに喪服の上着を放り、深々と腰かけた。ネクタイを緩め、天井を仰いで凝り固まった肩をほぐす。
今日は滝村の門下を支援してくれている好事家への挨拶に回っていた。詩織の葬儀は死因が自殺ということで、家族葬でひっそりと執り行われた。
代わりに滝村の支援者や関係者たちのもとへ、今回の件の説明も兼ねて、揺摩と二人で本日の朝から訪ねて回っていたのだ。
あれから、揺摩の様子は相変わらずで、はたから見れば、大層悲しんで気落ちしているように見えるが、尋斗が想像するような絶望といえる様子には程遠い有様だった。
最も、そう感じているのは尋斗ばかりのようで、周囲の人間たちはしきりに揺摩に励ましの言葉をかけていた。
なんだか釈然としない。
いや、物足りないのか。
何とも言えない喪失感をかんじているというか…とにかく、尋斗は疲れていた。
詩織が亡くなる直前までの、全てがうまくいっているような全能感も、裏切りの快さも、裏で謀略を巡らす高揚感も全てを失って、ただ、疲労感だけを感じている。
時計を見ると、午後一時を過ぎたところだった。
今日は朝が早かった。着替えて仮眠でも取るか、と腰を上げた時、来客を告げるインターホンが鳴った。
やって来たのは、先日、揺摩の自宅にてすれ違った、例の二人組の刑事だった。
突然の来訪で申し訳ないが、少し話ができないだろうか、と丁寧に請われ、嫌な予感を抱えつつも自宅のリビングへ二人を通した。
二人にソファをすすめ、自分も腰かける。
するとそれを持っていたように、二人いる刑事のうち、但馬という年上の男の方が口を開いた。
「お忙しいところすみませんが、瑞沢さんにいくつかお聞きしたいことがありまして、こちらまでお邪魔した次第です。」
但馬はこちらをじっと見つめて話し出した。こちらの胸の奥深くまでも見通そうとするかのような視線だった。
「はあ、一体何でしょうね。詩織と揺摩の事でしたら、仲の良い夫婦だったとしかお答えしようがありませんよ。
いくら同門で、長い付き合いがあったとはいえ、他人の家庭の事情までは存じませんからね。」
この二人が自分に聞きたいことなど限られている。
どうせ詩織の件だろうと先んじて答えてやることにした。
揺摩の自宅で彼らとすれ違ってから用意していた答えだ。もしも、警察に詩織の自殺の原因に何か心当たりがないかを聞かれたら、「何も知らない」と答えるつもりだった。
しかし、但馬刑事は首を振った。
「詩織さんの件ではありません。本日伺ったのは、五年前の練磨氏の死亡の件についてです。」
「は?」
今更何を言い出すのだ。あの件はとっくに片付いたはずではないか。
頭の片隅で感じていた嫌な予感が、じわりと広がっていく。
あの日、あの瞬間に、階段上で手を振り払った時の練磨の顔が蘇る。
その映像を振り払うように頭を振る。
やめろ。お前のために警察につかまるなんてまっぴらだ。
そんな尋斗の様子を但馬はじっとみつめ続けている。
尋斗は平静を装って但馬に訊ねた。
「錬磨さんの事件?あれからもう五年が経ちますが、今頃どうかしましたか。」
何でもない風を装った尋斗に、但馬は上着の内ポケットから出したある写真を示して見せた。
「実はですね。この度、詩織さんの自宅のアトリエからこんな絵画が見つかりまして…。瑞沢さんに心あたりはありませんかね。」
示された写真を覗き込んだ尋斗は、一瞬自分の体が強張ったのを感じた。そこに映っていたのは、錬磨が草摩の作品だと偽って売りさばこうとしていた、尋斗の作品だった。
あの日の記憶がよみがえる。
錬磨があの日、山荘を訪れた理由、それは草摩の作品の代わりになる作品を物色するためだった。
そして、尋斗の作品に目を付けた。
こいつを草摩の作品ということにして金に換えてやろう、と。
返答に窮した尋斗に、但馬は続けて問うた。
「この絵は、あなたの作品だ。当然、ご存じですよね。」
但馬の声は確信に満ちており、その目の光は揺らぎのないものだった。
但馬のその様子から、全てが露見していると悟った。
言葉なく黙り込む尋斗に但馬は追い打つように続けた。
「最初に疑問を感じたのは、この絵を詩織さんがとても大事に保管していたことです。」
…詩織?詩織が?
「そう、高咲詩織さんはこの絵を特別大事にしていた。いつでも鑑賞できるように、しかしその存在を隠すようにアトリエで保管されていました。
敬愛する師匠の絵であるなら、額に入れて飾れば良い。
でも、そうしなかった。簡単に人目に晒すことができない訳があったのでなないか、と考えました。
そこで、この絵について徹底的に調べ上げました。
その結果、この絵は五年前、詩織さんがある好事家から譲り受けたものだったことが分かりました。
自分の所蔵している草摩師匠の絵画と引き換えにしてまでね。
なぜ彼女はこの絵にこだわったのか。
そこまでして手に入れたこの絵を、ひっそりと隠すようにして愛でるのは何のためか。
彼女にとってこの絵が特別だったことは明らかです。では、なぜ特別だったのか。」
そこで但馬は言葉を切り、斗摩の瞳の奥を覗き込もうとするかのように、こちらを見つめた。
「草摩師匠の作品として売られたこの絵が、実はあなたが描いたものであれば、彼女が大切にしていることも納得できます。」
但馬の視線を拒絶するかのように、尋斗は静かに瞳を閉じた。
但馬が自分の反応をうかがっている気配を瞼の裏に感じながらも、尋斗は口をつぐんだまま、何も語ろうとしなかった。
それでも但馬は続けて語る。
「この絵に描かれているサインは確かに草摩氏を示すものです。
しかし、本当の作者があなただとしたらどうでしょう。
これまで見えていた事件の様相が異なったものになってきてしまう。」
尋斗は静かに目を開き、但馬を見遣る。
もう全てお見通し、なのか。
但馬も正面からその視線を受け止め、一つ頷いた。まるで斗摩の無言の問いかけに答えるかのように語り続ける。
「まず、この絵が画商に受け渡された日が問題でした。」
但馬のその言葉を受け、隣に控えていた朝山刑事が手帳に目を落としながら、補足するように話し出す。
「この絵を詩織さんに譲った好事家から事情は聞かせてもらっています。この絵の購入先は画商の大山堂さんでした。
さらに、錬磨氏が亡くなったとされるのが十二月三日の夜。
そして、大山堂さんから『希望通り滝村草摩の絵を手に入れた』と連絡があったのも十二月三日の夜でした。」
朝山のセリフを引き取り、但馬が続けて語る。
「大山堂さんは警察の取り調べの際に、確かに十二月三日の夕方に錬磨氏と商談を交わしたと証言しました。
で、あるならば、その商談の際に取引された絵は、まさにこの絵だった可能性が非常に高い。
これまで、大山堂さんが偽りの証言をする必要性がないことから、この証言の信憑性は高く、錬磨氏は四日の夕方まで生きていたとされていました。
ですが、この絵の作者が草摩師匠ではなく、あなただったとしたら?大山堂は作者を偽装した作品を売ったことになる。
大山堂本人が作者偽装の件を知っていたなら、彼はその絵に関する事項について警察に調べられることを嫌がったでしょう。
例えば、十二月三日の商談に現れた人間が、滝村錬磨氏ではなかったとしても、警察に「この日に錬磨氏と会うことになっていたそうですが、間違いありませんか」と聞かれた際に、間違いない、と答えてしまったとしても違和感はありません。
もしも大山堂の口から、「この日に会ったのは錬磨氏ではない」という証言があった場合は、警察はこの件について、いつ、誰と誰が、どこで、どんな内容の商談を行ったのか徹底的に調べたでしょう。そうなれば偽造絵画の件は遠からず露見し、彼は詐欺罪に問われることになる。」
当時の事件の核心に迫る但馬の発言にも、尋斗は何も言わない。ただ、黙って但馬の話に耳を傾けている。
「恐らく、四日に大山堂と会ったのは、あなただったのではないですか。
大山堂との商談が行われた場所は都内のホテルでした。偶然にもその日の夜にあなたと揺摩氏が参加することになっていた忘年会の会場からそう遠くありません。
山荘に向かい錬磨氏を殺害することは不可能でも、錬磨氏の代わりに商談会場へ行き、氏がそれまで生きていたと思わせることはできる。
商談に赴いたあなたは、大山堂に対して「錬磨は急用で来れなくなったが、事情は知っている。自分の作品を草摩の作品として売却すればよい。」とでも言ったのでしょう。
大山堂は儲け話に目がくらんでその話に乗ってしまった。
こうしてあなたは、巧妙に自分のアリバイを証言してくれる共犯者を作り上げたのです。
あとは、三日の夜から朝にかけてのアリバイを完璧にするため、芸術家仲間と共に過ごしておけばよい。警察は大山堂の証言を信用し、錬磨氏の死亡時刻を三日の夕方から深夜の時間帯と推測してくれる。
そうやって誤魔化した錬磨氏の本当の死亡時刻は、二日の夕方から次の日の朝にかてでしょう。
アリバイの偽装を行ったということから、あなたが錬磨氏の死亡に関してなんらかの関わりがあることは間違いない。
ですが、前もって殺害を計画していたにしては、アリバイ工作が杜撰に過ぎる。
たまたまうまくいったからよかったようなものの、大山堂の出方によっては、全てが露見する可能性もあった。
となれば、錬磨氏が亡くなったのは突発的なもので、あらかじめ殺害計画を立てていたわけではかったのでしょう。」
尋斗は語り続ける但馬を眺めながら、胸の内で今の状況を打開する術を模索していた。
但馬によって暴かれていく五年前の真実に、背を伝う冷や汗は止まらない。
しかし、尋斗は但馬の話を聞き始めた時に比べて、大分冷静さを取り戻しつつもあった。
但馬の語る内容は驚くほど正確で、尋斗の真実を的確に暴いている。
だが、まだ推測の域を出ない話だ。
まだ、言い逃れできるはずだ。
証拠を突きつけられるまでは。
これをどうやって切り抜ければよいのか、考えるのだ。
「突発的な犯行だという前提で考えるとすると、事件の直前に錬磨氏とあなたとの間で何事か諍いがあったのでしょう。
そう、例えば、錬磨氏が草摩師匠の作品と偽って売却しようとした作品が自分のものであることをそのとき知ってしまった、とか。
当時の練磨氏は草摩氏の作品を片っ端から売り払い、周囲の顰蹙を買っていたそうですね。
もちろん同門のあなたがたにとっても錬磨氏の行いは目に余るものだったでしょう。だが、草摩師匠亡き今、滝村の年長者である彼は同門の忠告など歯牙にもかけなかった。
草摩氏の作品を売れるだけ売ってしまった錬磨氏はとうとう他人の作品を草摩作と偽って売却することまで始めてしまった。
十二月二日のあの日、あなたは例の山荘で揺摩氏と会っていた。
揺摩氏のアトリエとなったあの山荘に、あなたが訪れることは珍しいことではなかったそうですね。揺摩氏だけでなくあなたにとっても山荘は大事な仕事場だったことでしょう。
しかも、あそこには草摩氏の生前の作品だけでなく、弟子のあなたたちの作品も保管してあった。
そこに翌日の商談で草摩氏の作品と偽って売らせる作品を探しに錬磨氏がやって来た。
そして、あなたはこの時、自分の作品が草摩氏の作品と偽って売られようとしていることを知ってしまったのではないですか?
それは画家のあなたにとっては許せない行為だったのだと推察します。思わず錬磨氏を手にかけてしまうほどに。
しかし、錬磨氏が亡くなった直後、あなたは冷静になった。
そして自分の罪を逃れるために錬磨氏の悪だくみを利用することを思いついた。
そんなところでしょう。
錬磨氏とあなたの諍いの果てに事件が起こったとするならば、殺害現場はやはり山荘でしょう。
遺体には打撲痕以外の目立った外傷はありませんでした。
さらに、打撲痕は生前についたものだという報告も上がっています。
諍いが起き、打撲痕が残るような死に方をしたと仮定するならば、あの山荘内で条件にあいそうな死亡場所は二階への階段しかないでしょうね。
あなたと錬磨氏はもみ合いになり、錬磨氏が階段から落ちた。
これが死因と推測します。
この場合、同じ山荘内で起こった事件であること、あなたに合わせて証言を偽証していること、以上の点から当然、揺摩氏も共犯ということになります。
錬磨氏とあなたが諍いを起こした時点で彼も現場に居合わせたと考えるのが自然でしょうね。」
但馬はここで一息つくように言葉切った。そしてあの見通す目で尋斗を見据えながら、「いかがですか?」と尋ねた。
尋斗は考える。
自身の保身のためにこれから自分は何をするべきなのか。
何を言うべきなのか。
順番に考えよう。まずは五年前のあの夜のことを思い出し、自分の行動に何か落ち度が無かったかを考えるのだ。




