第1章
某県の山奥で死亡事故があったという通報が入ったのは、但馬警部補が朝から続く書類整理に嫌気がさした頃の、十二月四日の昼過ぎだった。
今は亡き高名な画家の所有していた山荘に弟子たちが集まったが、そのうち一人が山荘付近の森で死体で発見されたということらしい。すぐに来てくれという所轄からの一報を受けて、但馬は部下の朝山と共に現場へ向かった。
「ニュースじゃ、暖冬、暖冬って騒いじゃいるが、ここ最近はぐっと冷え込んできやがって…腰痛持ちにはこの寒さは堪えるぜ。」
現場へ向かう道すがら、助手席の朝山に向かってそうぼやく。今年五十の坂を迎える但馬と三十代後半の朝山は、歳こそ離れているが、息の合ったよいパートナーである。
「そんなことより、但馬さん!これから向かう山荘が滝村揺摩のアトリエって本当ですか。」
事件の関係者が芸能人であってもたいして騒ぎ立てることのない朝山が、こんなに興味津々の様子を見せることはめったにない。
それはいいが、お前、ちゃんと前見て運転しろよ。
「そんなことって何だよ、お前…。そういや第一発見者の男がそんな名前の絵描きらしいなぁ。」
「やっぱり。俺、実はこれでも、高校の時美術部だったんですよ。あの謎の天才画家、滝村揺摩のアトリエなんて普通じゃお目に掛かれませんからね。」
天才ねぇ…。ただでさえ芸術家ってやつは変わってる人間が多いってのに、天才ときたか。事情聴取が難儀だろうなぁ。そんで朝山、お前はこっち見てんじゃねえよ。前見ろ、前。
「その、謎の天才画家ってのは、どういう意味なんだ?」
「滝村一派の画家は、それぞれの描いた作品の多くが評価されているんですが、本人達は全然メディアに露出しないんですよ。顔も経歴も伏せられているんです。
数年前に亡くなった滝村草摩には弟子が四人いるらしいんですが、そのうちの二人、揺摩ともう一人の弟子が若くして独創的な作風を確立して評価されてるんです。
最近もテレビで取り上げられてましたよ。「天才滝村兄弟」って。あ、実際に兄弟ってわけじゃないらしいんですけどね。」
「あぁ。滝村ナントかってのは芸名みたいなもんなんだろ。」
「えぇ。滝村派の画家は名前に「摩」をつけるらしいです。」
所轄から伝えられた事前の情報を思い出す。
第一発見者、滝村|揺摩。被害者、滝村錬磨とみられる男性。それから…
「第一発見者とともに通報してきたのは、滝村斗摩という男らしいが。」
「えっ、滝村斗摩も関係者なんですか!揺摩と斗摩は芸術家にしては珍しく、二人の合作が多いんです。しかも、その合作の全てが評論家も絶賛する名作なんですよ。いやあ、その天才滝村兄弟にそろって事情聴取とは、胸熱ですね!」
熱くねえよ。むしろお前が運転に集中しないから、ヒヤヒヤしてんだよ、こっちは。
それから朝山が滝村兄弟の作品のすばらしさを熱く語るのを助手席で聞きながら、自分も滝村一派についてスマホで簡単に情報収集を行う。
絵画における滝村派とは、滝村草摩本人と彼の画法を引き継いだ四人の画家を総じて呼ぶらしい。
滝村草摩は西洋美術を学び、画家として活動したが若い時分には特に目立って評価されるような作品は残していない。
常に自分の作風について悩みながら活動をしていたようで、新たな境地を開拓するために四十代の時に日本画を学んだ。
その後、日本画や浮世絵の奥深さに魅了され、日本画と西洋美術、特に油絵の融合を実践したそうだ。日本画の構図を大胆に取り入れながらも、陰影や色遣いは油絵の技法を生かして行う。その表現が芸術関係者の注目を浴び、滝村草摩の名は一躍、有名画家の仲間入りを果たすこととなった。
彼の名が売れ出してすぐの頃に一人の弟子を迎えるが、どうやら彼の技術を継承するには不十分だったらしく、この弟子の存在はあまり知られていなかったようだ。
草摩自身もその後は弟子への期待が薄れたようで、しばらく弟子をとることはなかったが、二十年ほど前に二人の若者を弟子に迎えた。この二人が「滝村兄弟」であるらしい。
そもそも現在の芸術界で、油絵を専門にしている画家が弟子をとるという話が異例であった。弟子に自分の画風や技法を継承させる考え方は日本画家や浮世絵師の発想である。草摩のこの行動からも日本画の影響を色濃く感じさせられる。
草摩は二人の若い弟子が売れ出すとさらにもう一人弟子を迎えた。この弟子は若い女性だったそうだが、現在において高い評価を得るような作品の発表には至っていないようだ。
以上が、朝山の話とネットに上がっている情報を簡単にまとめた内容だが、どうやら今回の事件の関係者は自分が知らないだけで、芸術関係者にとっては有名な画家一派であるようだ。
「被害者とされる男性は、滝村錬磨というらしいが?」
「あぁ…。その方のことはよく知りません。滝村一派で有名なのは最近亡くなった、滝村草摩師匠と揺摩、斗摩の兄弟弟子ぐらいですから。」
そうかい。まあ、前情報としては十分か。あとは本人たちに実際に会ってみるしかないだろう。余計な先入観は持たないようにしなけりゃな。
「あっ、でも現場についたら、相手が誰だろうがしっかり職務に励みますからね」
「わかってるよ。いつも通りしっかり頼むぜ。」
「はい!」
朝山が職務に真面目な男であることはよく知っている。現場に着けばしっかりやってくれるだろう。俺の懸念はそんなことではない。
二人の天才画家。
天才ってのは同時に二人いるべきではないんじゃあないだろうか。天から授けられた唯一の才能は、同じ時代、同じ分野にひとりでいい。
…ような気がするが、芸術のことは俺にはよくわからん。
俺は俺の仕事をするだけだ。
現場に到着するまでの間に書類仕事の疲れを癒そうと、流れていく窓の外の景色を横目で見ながら、但馬は腕組みをして目を閉じた。




