第18章
一瞬、意識を失っていたようだ。
自分の名前を呼ぶ揺摩の声で目を開ける。
気づけば斗摩は階段下にうつ伏せで横たわっていた。
揺摩が膝をつき、自分の肩を叩きながら心配そうにこちらを覗き込んでいる。
体を起こそうとすると、全身の至るところに痛みが走った。
痛みを堪え、呻きながら身を起こす。
痛む頭に手を当てながら、目の前の揺摩に尋ねた。
「錬磨さんは?」
その問いに揺摩は無言で、倒れていた斗摩の足元の方に視線を向けた。
つられてそちらを見やる。
階段のすぐ下、大きなキャビネットの前に錬磨が倒れていた。
頭から血を流して、目は見開いたままだ。
死んでいる。
目にした途端にそう悟った。
自分が殺したのだと、そうも思った。
練磨の周囲にはキャビネットに飾られていた置物がいくつも転がっていた。
錬磨が転げ落ちた拍子にキャビネットにぶつかったのだろうか。だとしたら、キャビネットも傷ついているかと思ったが、よほど丈夫だったらしく、キャビネットには目立つ傷は見当たらない。
揺摩が立ち上がった。
変わり果てた兄弟子の傍まで近づき、その死体を無感情に見下ろす。
斗摩もまた錬磨の死体に近づき、揺摩と並んで死体を見下ろした。
先ほど感じた身体の痛みは、もはや感じない。
呆然と自分が殺した男を眺める。そうして二人でしばらく死体の傍らに佇んでいたが、最初に口火を切ったのは揺摩の方だった。
「こんなもののために、斗摩が捕まることはない。」と。「捕まらないように二人で考えよう。」と。それから、二人で偽装工作を行い、事故に見せかけるための諸々を施し、十二月四日に揺摩と共に、ついさっき死体を見つけましたという体を装って自ら警察に通報したのだ。
揺摩を破滅へ追い込むための計画を立てながら、思わず事件の当夜を回想してしまった。
しかし、あの夜、揺摩が自分の錬磨殺害を隠蔽するために、自分から共犯者になるような提案をしてきたことには驚いた。
揺摩にしてみれば、「合作」で注目され、脚光を浴びている現在、その合作相手を失うことはできないと判断したのだろうが、それにしても思い切ったものだ。
もしかしたら、純粋に弟弟子をかばってやろうという思いがあったのかもしれない。
斗摩は暗い笑みを浮かべた。
だが、悪いな。
俺は自分の犯罪を匿ってくれたからといって、それを恩義に感じるようなまともな神経は持ち合わせていないんだ。
「外道」という言葉がある。
主に仏教において、仏教以外の教えや宗教、およびそれを信じる人や道理に背く邪法を指す言葉である。現在では道理に背いた考え方や人の道から外れた行いをする人といった意味で、邪悪な人を非難する言葉として広く使われる。
邪悪で道理に背いた卑劣な人。
自分のことだ、と思う。
我ながら自分という人間は一般の倫理観から外れているとつくづく思うのだ。
だから自分は間違いなく外道であろうと思っている。
そんな外道の名に恥じない卑劣な企みを、自分はこれから揺摩に仕掛けるのだ。
何の罪もない詩織を巻き込んで。
罪悪感はない。
そもそも思い返してみると、自分は生まれた時からの周囲の人々と違っていたように思う。
何事にも興味がなく、何の面白みもないモノクロの世界に生きていた。
その世界が色づいたのは揺摩に出会ってからだった。
あいつと張り合い、絵を描いていくことこそ自分が生きている証明だと思っていた。
だが、それはかつての話だ。
今は揺摩の絶望を見ることが自分の生きる目標となっている。
あのいつも笑顔を見せる捉えどころのない天才を地獄に突き落とし、やつの顔が絶望に歪む様を見たい。今や揺摩の絶望が自分の生涯をかけての一大傑作だとすら思っている。
これ以上ない傑作を生みだせる可能性に胸は高鳴り、心が躍った。
待ってろよ揺摩。
お前を最高の作品に仕上げてやるからな。
自らの作品のために、人間性を捨てた絵師、良秀。今なら彼の気持ちがよくわかる気がした。
なあ、師匠。
斗摩は心の内で亡き師匠に語りかける。
頭の中に浮かぶのは不愛想な狸爺、滝村草摩の仏頂面だ。
なあ師匠、師匠よう、俺はこれから良秀になるぜ。どうだ、うらやましいかよ?
笑った顔など見たこともなく、揺摩とは違った意味で、最期まで本心の見えない男だった、草摩。
画家として、その技量を受けついだ。
その点では確かに自分の師ではあったが、それだけだ。
特に尊敬もしていなかった。
ただ、どこか不気味な雰囲気を纏っていたように思う。
じっと揺摩や斗摩を見て何事か考え込むような素振りを見せることもあった。
…結局、何を考えていたのか誰にも知らせずに死んでしまったが。
あれもまた、人間としては異端な存在だったのかもしれない。
だから、自分も彼に師事し続けたのかもしない。
師匠、あんたはぜいぜいあの世から、良秀になれた弟子を羨んでいるがいいさ。
斗摩は嗤った。これから兄弟子を襲う悲劇を思い描きながら。
その姿は紛れもなく外道と呼ばれるものに違いなかった。




