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第17章

滝村錬磨が死亡したのは、十二月二日の夜のことだった。

その日、亡き師匠の山荘で揺摩はいつものごとく創作活動に励んでいた。

斗摩は、次の美術展へ向けて揺摩と打ち合わせをするめに、昼過ぎごろに例の山荘を訪ねた。

その打ち合わせは美術館の関係者や共催企業の担当者も交えて行われた。

山荘を訪れた関係者たちはこれがあの滝村草摩のアトリエだった山荘かと、物珍しそうに見て回っていた。

例によって、他人と話すのが苦手な揺摩を斗摩がフォローしてやる形で順調に打ち合わせは終わった。

関係者が帰ると、揺摩と斗摩のみで次回の合作のテーマについて相談していたのだが、次第に話が盛り上がり、夕刻を迎えた。

二人はそのまま山荘で簡単な夕食を摂った。

ここで寝泊まりしながら作品作りをする揺摩が、常に数人分の冷凍食品を買い込んでいるので、食べるものに困ることはないのだ。

そして、今夜は二人ともこの山荘に泊まろう、ということになった。




二階の部屋の客室の一つを今夜の寝室として利用することを家主に勧められた斗摩は、二階に上る階段を目の前に、改めてぐるりと山荘の内部を見渡した。

師は趣味を持たなかった。

物に興味を持たない男で、この山荘も質素で余計な装飾などない。

階段下の壁ぎわにある大きなキャビネットが唯一この部屋で目を引く家具といった具合だ。

その大きなキャビネットに並べられている物も、家主の無趣味を象徴しているようだった。

雑多に並べられた各地の土産物の中に混じる、気味の悪い置物。

凡庸な物の中に混じる異物。

師匠のようだと、漠然と感じた。

あの人も斗摩からすれば一見、毒など持たない平凡な人間に見える。だが、身の内に薄気味の悪い執着をひとさじ隠し持っていた気がする。

亡き師に思いを馳せながら、斗摩は階段をのぼり二階の廊下から四つの扉を眺める。

二階にある四部屋はもともとは客室としてつくられたものであったが、人付き合いのなかった草摩はその部屋を自分の作品の保管室にしていた。

揺摩が山荘を受け継いだ今では、二階の客室には草摩の作品と共に、揺摩・斗摩の作品の一部も放置されている。

斗摩は最も片付いている部屋を見つくろい、無造作に積まれている作品たちを部屋の端にどかして、簡単に寝るスペースを確保した。

少し埃っぽい寝具を整え、就寝しようとした、その時だった。

山荘に新たな訪問者を告げるインターホンの音が鳴り響いた。

その後に玄関を開ける音と、そのままリビングに上がり込んだような音が続いた。


この山奥の山荘にこんな時間にやってきて、わざわざインターホンを鳴らしておいて、そのくせ主人の出迎えも待たずにずかずかと上がり込む人間など、一人しかいない。

無意識に斗摩は顔をしかめた。

練磨がやってきたに違いない。

揺摩は一階奥のアトリエにいるはずだが、出迎える気配がない。

きっとまた創作に没頭しているのだろう。集中のあまり、錬磨の訪問に気付いていないのかもしれない。

しかも足音はどうやら二階の階段を上ってきているようだった。

さらに足音に混じって錬磨の話し声も響いている。

話し声は電話の向こうの相手へ向けられたもののようだ。

人のアトリエにやって来て無断で上がり込んだ挙句、家主への挨拶もなしに電話で話し込みながら屋内を闊歩するとは。

斗摩はため息を吐いて寝具から身を起こした。

最近、錬磨は草摩の作品を片っ端から高値で売却しているようだ。

この行為については、揺摩・斗摩・詩織をはじめ周囲の人間が何度も注意しているが、本人は行いを改めるつもりはない様子だ。

もはや、皆あきらめて彼の好きなようにさせている。今夜もきっと、新たに売りさばくための師の作品を物色しに来たのだろう。


 何を話しているかまでは聞き取れないが、錬磨の話し声とともに足音が次第に近づいてくる。

今、斗摩がいるのは手前から二番目の部屋だが、錬磨は自分が今夜この部屋に泊まっていることなど予想もしていないだろう。

入って来た錬磨と鉢合わせになるのは非常に気まずい。

この部屋に入られる前に、こちらから廊下に出ていこうか、と考える。扉のノブに手を掛けたところで、話し声と足音が部屋の前を通り過ぎて行った。

兄弟子の目的はさらに奥の客室にあるのだろう。

少し迷ってから扉を開けた。

廊下の奥に想像した通りの兄弟子の姿を見つける。

こちらに気付いた様子もなく、スマホを片手に誰かと話しながら歩いている。

声を掛けようかどうしようか、と悩んでいるうちに一番奥の客室の扉を開けると、その部屋に入っていった。

その姿を見届けた時、斗摩の中にわずかな疑問が生まれた。

先ほど自分の寝るための部屋を見つくろっている時に、この二階の廊下に並ぶ四部屋の客室を全て確認したが、一番奥の部屋に保管されているのは師の作品でなく、自分と揺摩の作品だったはずだ。

彼の足取りは迷いなく、奥の部屋を目指しているように思えたが、師の作品を物色しに来たであろう錬磨が、何故奥の部屋に用があるのか。


斗摩は足音をしのばせて、奥の部屋に向かった。

部屋の扉は開けられたままである。

近づくにつれて錬磨の話し声も次第に聞き取れるようになってきた。

「…いや、だから、今から確認する。…ああ、そうだ。あんたは何も知らない事にすればいい。…大丈夫だ。心配するな。草摩は死んでいるんだ。揺摩と斗摩は自分の過去の作品には興味はない。バレるわけないだろ。」

耳に飛び込んできたのは不穏な会話。

さらにそこに自分の名前が出てきたことで、一瞬動きをとめる。

売り捌くための師匠の作品をただ物色しに来ただけ、という訳ではないようだ。


息を殺して入口の壁にはりつき、部屋の中の様子を伺い続ける。

練磨は部屋の入口に背を向けて、室内に無造作に置かれている作品を次々と手にし、眺めながら会話を続ける。

「…大山堂さんは、今まで通りただ売ってくれればいいんだよ。ブツはこっちで用意する。」

どうやら錬磨の通話の相手は、滝村の画家が長らくお世話になっている、画商の大山堂らしい。

斗摩は錬磨の不審な行動の謎を紐解くために、頭の中で得た情報を整理する。

最近草摩の作品を売却しまくって一儲けしている錬磨。

画商との商談。

バレるわけない。

悪巧み。

草摩の作品ではなく、自分と揺摩の作品を手に取り、真剣に吟味している様子。

…まさか。

兄弟子の不審な様子の理由に思い至った瞬間、背筋に冷たい汗が流れた。


練磨は金の為に亡き師匠の作品を売り捌き続けた。

そのうち客に高値で売り付けられるような作品が、もはやなくなってしまったのではないか。

そこで彼は悪知恵を働かせ、師の技法を継承した、揺摩と自分の作品を草摩の作品であると偽って画商に売らせようとしているのではないか。

斗摩は静かに、しかし深く深く息を吐きだして、天を仰いだ。

年の離れた兄弟子に好意的な感情を持ったことなど出会ってこの方、一度としてなかったがここまで腐った人間だとも思わなかった。

練磨と大山堂に騙され、何も知らずに草摩の作品を買ったつもりで、大金を支払うことになる購入者に同情する気持ちは一切ない。

芸術を理解した気になっている評論家気取りの好事家が大損したところで、自分には関係のないことだ。だから、今感じている不快感と嫌悪感は身内ともいえる同門の人間がここまで愚かな行為を行っていることに対す苛立ちからくるものなのだろう。

制作者を偽装して絵画を販売するという行為は紛れもなく犯罪だ。

錬磨のこの行為があかるみになれば、自分も含め滝村派全体に悪いイメージがつくことは避けられない。作品展や美術館のイベントにもしばらく参加できなくなり、創作活動の継続自体が危ぶまれる可能性すらある。

ここは妙な隠し立てはせずに、今耳にした内容をさっさと警察にでも通報して、錬磨を切り捨てるのが最善だろうか。

身内の手でその罪が暴かれたとなれば、世間の目の厳しさも幾分かはやわらぐだろう。

この時の斗摩は錬磨の犯罪行為に驚きと不快を感じていたが、まだ冷静に思考することができていた。錬磨が続けて画商と交わしたあの会話を耳にするまでは。


「…ああ。いま目星をつけている。…何?…いや、ダメだ。ブツは斗摩の作品から選ぶ。揺摩の作品は売らない。…大山堂さんなら分かるかと思ったが…。

揺摩は、あいつは本物だ。

本物の天才だ。

あいつの作品は将来もっと高く売れるようになる。

きっといまよりさらに評価されるようになるはずだ。それこそ草摩の作品よりもな。

だから今は大事に保管しておくべきだ。

…斗摩?はっ、斗摩と揺摩じゃあ、格が違う。

天才だのなんだのと持て囃されちゃいるが、所詮は揺摩のオマケさ。いくらいい気になったところで斗摩の作品なんざ、せいぜい師匠の代替品ぐらいにしかならんさ。」


練磨の発言の内容を理解した瞬間、斗摩は身を潜めていることも忘れてただその場に立ち尽くした。

激しい怒りが身の内から沸き上がり、その怒りをなんとか抑えることで精一杯だったのだ。

誰も彼も自分と揺摩を天才だと言う。

だが、自分自身は端から揺摩と同格とは微塵も思っていなかったのだ。

だからこそ、揺摩の才能と自分の才能を同等に見ている周囲の人間に強い苛立ちを感じていた。

そんな自分の前に、その苛立ちを共感してくれる人間がようやく現れた。

しかし、その人物は兄弟子でありながらも自分より遥かに技量の劣った、もはや画家であることすら認められない、自分の軽蔑する男だった。

しかも、その最低な男に、自分の才能は揺摩には遠く及ばないと言及されたのだ。

お前ごときが、俺の作品を無碍に扱うのか?

お前ごときが、揺摩と俺の才能の差に気付いていたというのか?

「…お、手ごろなブツを見つけたぞ。じゃあ、明日の十六時にこいつの絵を眺めながら、この続きの打ち合わせをしようや。場所は…ああ、東都ホテルのラウンジカフェだな。承知した。じゃあな。」

練磨が通話を切る。

一枚の絵画を手にして部屋の入り口を振り返る。

そして、部屋の扉の前で言葉なく立ち尽くす斗摩の姿を認めた。


「お、お前っ!なんで、ここに!」

厚顔の男も、流石に驚いたのだろう。

キャンバス片手にたじろいだ。

斗摩は怒りをなんとか理性で抑え込みながらも、震える声で問いかける。

「…錬磨さん、あんた、ここで何してるんですか?」

尋ねながら、一歩部屋に踏み込む。

逆に錬磨は一歩、後ずさる。

斗摩は錬磨が手に持つキャンバスに視線をやって、さらに問いかけ歩を進める。

「それ、俺の作品ですよね。八年前に師匠の技法を学ぶために画風を真似て描いた習作…。何処の展覧会にも出さずに放置していたが…それを何処に持ち出すんです?何の為に持ち出すんです?」

「…ちょっと、借りるだけだ。」

練磨は目を逸らして、不貞腐れたように答えた。

居直り強盗の如く、先ほどの動揺を隠すように不機嫌な態度をとって見せる。

そして何事もなかったように斗摩の隣をすり抜け、廊下へ出ようとした。

その態度も、斗摩の怒りに拍車をかける。斗摩は錬磨の腕を掴んで、引き止め、さらに問い詰めようとした。

「ちょっと、待ってくださいよ!」

「うるせぇな、離せよ!」

練磨は掴まれた腕を強引に振り払い、足早に一階に降りる階段に向かおうとする。

力任せに腕を振り払われた瞬間、それまで抑えていた斗摩の怒りが爆発した。

斗摩は自分も足早に錬磨を追い、階段を降りようとする錬磨の肩を掴み、力任せに引き止めようとした。

「待てって!」

「触んな!」

階段上で二人は揉みあいになった。

互いに大きな声で罵り合う。

この騒ぎに階下のアトリエに籠っていた揺摩も異変に気付いたようだ。

斗摩は錬磨に掴みかかりながらも、二階を見上げ、慌てて階段下まで駆けてくる揺摩の姿を目の端で捉えた。

その時、斗摩は錬磨の胸倉を掴んでいた。

そのまま階段を降りようとする身体を引き止めようと力を込めたときだった。

「いいから、離せよ!この、贋作者っ!」

練磨にそう叫ばれたと認識した時には、掴んでいた錬磨の胸倉を手放し、逆にその胸を強く突き飛ばしていた。

無意識だった…と思う。

否…本当に無意識だったかどうか、わからない。

自分なりに、真剣に、必死に、絵を描いてきた。

その人生をあろうことか贋作者呼ばわりで否定された。

贋作者…。

揺摩の作品を真似しているだけの贋作者だと罵られたのだ。

その瞬間に、錬磨に対する憎悪が抑えきれなくなったのだろう。

だとしたら殺意があったことになる。

錬磨が死ぬ可能性を理解した上で、自分は彼を階段の一番上から突き落としたのだ。


突き飛ばされた錬磨は一瞬だけ驚いた顔して、次には醜悪にその顔を歪めた。

怒り、憎悪、死への恐怖と生への諦め。

様々な感情がないまぜになって、醜く歪んでしまった表情。

階段下へと落ちていく錬磨の様子が、死神の鎌に命が刈り取られる瞬間のその表情が、斗摩の目にはスローモーションのようにゆっくりと、そして鮮明に映し出された。

彼の顔から目が離せなくなっていた斗摩は、錬磨が自分に伸ばした手に対して咄嗟に反応することができなかった。

錬磨は突き飛ばした斗摩の手を最後の抵抗とばかりに掴んできたのだ。

その力は先ほど掴み合っていた時の比ではなかった。

溺れる者が必死に縋るものを求めるような、死に際の渾身の力が込められていた。

斗摩は抗う術もなく引っ張られ、錬磨の後を追うように共に階段を転がり落ちた。

くそったれ。

体が宙に投げ出される感覚を覚えた直後に強い衝撃が体を襲い、斗摩の意識は暗転した。


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