第14章
その出会いはまるで天啓だった。
それなりに裕福な家庭に生まれ、可もなく不可もない両親に育まれ、また、自身もそれなりの能力を持っていたので、勉学において不自由したことはなかった。
さらに両親の遺伝子に感謝したことは、彼らの容姿の良いところを受け継ぎ、そこそこに整った顔面を持って生まれることができた点である。
小学校で担任の教師が「人は内面が重要だ」と大真面目な表情で語っていた。
しかし、悲しいかな、外見の美醜によって人生の生きやすさが大きく変わってしまうのが人間という生き物なのである。
その真理に幼い頃から気付いていた自分は、両親から贈られた端正な容姿を存分に利用した。
その結果、物事は自分の都合の良いように回っていった。
我ながら容姿も頭もよかった自分は、特に何の努力をせずとも、何事も人並み以上にこなせてしまうのだった。
己の視線から見た世界は、何ともつまらなく、退屈なものであった。
その頃の自分はまるで白黒の、色褪せた世界で生きていた。世界のあらゆるものに興味など持たず、ただ淡々と退屈に生きていた。
そんな自分が世の中にあふれる様々な物事の中で、他よりほんの少しだけ興味を持ったものが芸術だった。
大きな会社の経営者だった父は、いっときの趣味として、絵画の収集に凝っていた時期があった。その影響で我が家には客間といわず、居間と言わず、至るところに絵があふれていた。そんな環境で育ったために、自分も絵を描くということに興味を持ったのだろうか。
興味を持った理由ははっきりしない。
ただ、退屈に見える世の中を自分の色で描き出すことに少なからず快感と満足感を得ていたのかとも思う。
何事もこなせる自分は、当然のように絵描きの才能もそれなりに持ち合わせていたようで、小・中学生のうちに多くの絵画コンクールで金賞を受賞した。
世の中を退屈と見限り、何物にも執着しない息子が、絵を描くことに興味を示し、才能を発揮したことを両親はとても喜んだ。
そして、絵の勉強をすることを勧め、しまいには、どうやってつなぎをとったものか、高名な絵師のもとに弟子入りする手はずまで済ませてしまった。
そのような経緯を経て自分は、父の母校である私立の高等学校を卒業後、画家、滝村草摩の弟子となったのである。
滝村草摩という人物は、芸術家によくあるように、年を重ねてからその道で評価されるようになったそうである。
滝村の弟子になることが決まった際、自分はこの画家を知らなかった。母が滝村の画集を持ってきて自分の前で広げて見せ、こんな素晴らしい絵を描く人だと誇らしそうに述べた時も、特にこれといった感想は持たなかった。
ああ。そういう絵を描く人間か。
そう思っただけだった。
母が素晴らしいと評した絵画のどれ一つも、自分にとっては「素晴らしい」ものではなかったからだ。
弟子入りするのだから、挨拶に行かなきゃならん。という父の言葉に素直に従いこそしたが、師匠になる男に対して何の興味も期待も抱いてはいなかった。
だが以外にも、師との出会いは、印象的なものだった。
弟子入り前の挨拶に訪れたのは、滝村草摩の別荘兼アトリエの山荘だった。
暗い家だった。
某県の山間にある、都内から車で二時間ほどの距離にぽつんと建つ山荘は、人嫌いの城としてはぴったりだ。周囲を囲む木々のせいか、薄暗い闇のなかに建つ様子は薄気味悪さすら感じる。
こんなところに引き籠っている画家など、きっと偏屈な人間なんだろうよ。と、そう思った。
山荘の中に入ると玄関から二階まで吹き抜けの広い居間が見渡せた。
居間の奥には二階へ上る階段がある。
手すりごしに二階の廊下が見えているが、ここから見る限り、二階は個室が並んでいるのだろう。
二階の廊下に四つの扉が見えたので四部屋の個室があるのだろう。一階は階段の奥にも部屋があるようで、こちらがアトリエとなっているようだ。
事前に連絡を入れたところ、「勝手にあがって、アトリエに来い」とのことだったので、遠慮なく玄関から中へ上がる。
大きなソファとテーブルの置かれた居間を横切る。
階段横の年季の入ったキャビネットを見遣る。
木彫りの熊に、大きなしゃもじ、金閣寺のミニチュア…貰い物なのだろうか。有名な観光地の土産物を始め、様々な置物が雑多に並べられている。
その中で観光地の土産物とは到底思えない重そうな木彫りの像が目に入った。
四本の腕を持つ人型の怪物が、頭上に大きな球体を掲げている。奇妙な像だ。
こんなものを飾る感性が、俺にはわからない。
階段の奥へ向かう。
あたりを付けた通り、奥の扉がアトリエに続いているようだ。
ノックをし、名前を名乗る。入れという低くしわがれた声に促され、扉を開けて、アトリエに踏み込む。室内の照明は最低限に絞られており、薄暗い。
この山荘はアトリエまで暗いのか。主の陰険さがにじみ出ているんじゃないのか。
いささか失礼な感想を持ちながら部屋の奥へ視線を投じると、カーテンで遮られた窓際に、大きめの作業机とその机に覆いかぶさるようにして、何か作業している人影が見えた。
こり。こり。しゅっ。
机に腰かけた人物は、背を丸めて小刀で鉛筆を削っている。こちらを見もしないで。
こり。しゅっ。しゅっ。
少し近づいて声を掛けてみる。
「はじめまして。この度、先生のもとで修業させて頂くことになりました。よろしくお願いします。」
画家に弟子入りした際の挨拶の仕方など、見当もつかない。せめて、いつもの外面のよさを発揮しておくか、と、控えめに微笑んで頭を下げる。
しゅっ。しゅっ。しゅっ。
こり。しゅっ。しゅっ。
滝村草摩と思われる人影は一心に鉛筆を削っている。やはり、こちらを見もしない。
「…先生の作品を拝見しました。俺もあんな作品が描けるように精進します。」
何も反応のない気まずさに、思ってもいない決意を述べてしまう。すると、その言葉を聞いた滝村は、ふと鉛筆を削る手をとめた。そして、握った鉛筆をぼんやりと見つめたまま、つぶやいた。
「我らは良秀にならねばならんのだ。」
「…………はあ。」
良秀って誰ですか。
その人のような絵を描くことが、先生の目指しておられるところということですか。
聞きたいことは多々あれど、やっと口を開いた師の言葉に対しての返答としては、そのどれもが取るに足りない質問に思えた。
それに、ここまで無視さることへの意趣返しの気持ちもあったのだろう。俺は、師匠のほうへ一歩踏みだしこう聞いた。
「俺は、なれますか。…その良秀に、俺は、なれますか。」
滝村はぎょろりとした目を、初めてこちらに向けた。
しわしわの狸のような顔だ。
口は気難しそうに引き結ばれている。
六十歳と聞いていたが、歳より老けて見える。萎びた老人のようであったが、目だけは爛々としており異様な迫力を感じさせた。
滝村は、しばらく俺の顔をじっと見つめ、こう言った。
「この世が退屈か、小僧。…お前がこの世に退屈でないものを見出せたなら。また、それを描くことにすべてを捧げる気概を持てば、あるいは、なれるかもしれんな。」
…ふーん。面白いことを言うクソジジイだな。
滝村の言いたいことが、全て分かった訳ではない。しかし、今まで誰にも暴かれたことのなかった、俺自身の本質に触れられたことに驚いた。
そうかい。この世が退屈でないと思える何かが、俺を高みへ導くと、そう言うのかい。
これが、師との出会いである。少しの興味と期待を持って、俺は滝村のもとで修行することとなった。




