第13章
「『良秀にならねば』か。草摩師匠がよく言っていたそうだが、あんたはなりたいと思わないのか。良秀に。」
そう聞くと、揺摩は笑顔を引っ込め真剣な顔で答えた。
「もちろん、なりたいさ。
良秀の境地は画家の最高到達点の一つだと、僕は考えている。
草摩師匠が目指したように、僕も『良秀にならねば』の心境で創作活動に励んでいるよ。これは斗摩も同じだと思うけどね。」
「良秀のような、あんな狂人になりたいと思うもんかね。」
ため息交じりの但馬の呟きを拾って揺摩が答える。
「但馬さん、さっき言った通り、画家とは目に映るものを正確に描き出したいと考える生き物ではあるけれど、それだけが絵を描く動機ではないんだよ。
写実性だけを重視するなら、別に絵を描く必要はない。写真で十分ということになってしまう。
だけど、我々は描き続けている。
何のために描くのか。
何を表現したいのか。
何を伝えたいのか。
それは画家次第だ。
画家はそれぞれが自分なりの描く理由を持っている。写実的に描くことが重要なのではなく、その写実的に描かれた絵に込められた製作者の気持ちが重要なんだ。
『良秀にならねば』という言葉は、「人殺しを描くなら自分も人殺しをしろ」という意味ではなく、「絵のために自分の全てを犠牲にするぐらいの精神で描け」ということだと僕たちは解釈しているんだ。」
真剣な言葉だった。但馬には理解できない部分も多々あったが、それは間違いなく、滝村揺摩という画家としての本質を語る言葉だった。
「…それで、すべてを犠牲にしてでも最高の作品を作り上げる精神で、あんたは何を表現したいんだ。」
芸術家でもなんでもない但馬には、語られた内容の全ては理解できない。それでも、揺摩の本質に迫るために質問する。すると、揺摩は小首をかしげて、
「…人間、かな。」
と答えた。
「人間?」
「うん。ひとは多くの経験を経て、様々な感情を抱く。中には周囲に隠さねばならないような暗い感情も持ってしまうけれど、それも含めて人間なんだ。そんな、綺麗ごとだけでは生きられない人間を感情ごと描きたい。」
……なるほど。
わかったような、分からないような感覚であったが、揺摩が天才と呼ばれる所以を垣間見た気がする。
「ああ、話が逸れてしまった…僕の事は置いておいてくれ。それより但馬さんの疑問には答えたつもりなんだけど、言いたいことは理解してもらえたかな。」
そう。つまり、今までの話の結論は…
「絵のモチーフのために人を殺す画家はいない、ってことだな。」
「ああ、いないだろうね。もしいたとしたら、よほどの狂人かサイコパスだろう。
だけど、そうなってくると、その人物のもともとの性質が為せる業であり、もはや画家であることとは何の因果関係もないと思うけど。」
それはその通りだ。
あくまで、一般の規範意識を持つ画家が、絵の為に人を殺すことがありえるのか?という最初の疑問から大いに論点がずれてしまっている。
なんだかすごく遠回りをさせられた気もするが、揺摩の言いたいことは理解した。
「あんたの言い分は納得できた。が、もう少し、簡単に説明してくれてもよかったんじゃないのか。
…まさか、あんた、俺にグロい絵見せて楽しんでいたんじゃないだろうな?」
但馬のこの問いかけに揺摩はにっこりと微笑のみで応じた。
「……。」
気のせいでなく、本当に遠回りさせられていたらしい。
掴みどころのない男だ。
だが、この男の別の一面を見られただけでも収穫としよう。
当初はなかば本気で二人の若き天才の狂気が引き起こした事件ではないかと睨んでいたが、揺摩のこの話しぶりから、どうやら的外れの憶測であったようだ。
「ねえ、刑事さん。僕もね、滝村派の年長者としてこれから滝村を引っ張っていかないと、って思っているんだ。
だからね、僕と斗摩を疑うようなことを言われた意趣返しに、ちょっと遠回りな話を聞いて貰ったんだけど、これは仕方ないよね。」
さすがに犯人扱いされたことに対して、少々気分を害していたらしい。しかし、意外だったのは…。
「あんたにそんな仲間意識があったとはな。」
「僕はあまり人と接するのが得意ではないから、そう思われるのも仕方ないね。でも、斗摩と詩織の兄弟子だって自覚くらいはあるんだよ。」
「鶴摩はどうか知らないが、斗摩の方はあんたが面倒見てやらんでも大丈夫そうだがな。」
「そうかもね。でも、斗摩もあれでなかなか可愛いところがあるんだよ。」
斗摩が、可愛い…?
但馬は脳裏に滝村斗摩の姿を思い浮かべるが、女好きのするすかした態度とうわべの笑顔、そして抜け目のない態度が浮かぶばかりである。
可愛げとはかけ離れた人間としか思えない。
胡乱げに揺摩を睨めつけると、揺摩は苦笑して言った。
「刑事さんのことだから、斗摩の女性との交際歴も知ってるんだよね。」
「ま、ある程度はな。」
それなりに遊んでいたことは調べがついている。
うらやましいことで。
「うん。でも、そんな彼にも純情なところはあるんだよ。」
はあ?
斗摩と純情という言葉が面白いくらい結びつかない但馬は、思い切り顔をしかめた。
その顔を見て揺摩は「内緒だよ」と前置きして秘密を打ち明けるように語った。
「実は、彼には大事に想う人がいるんだ。
その人物はね、何年も前から斗摩が新作を発表する度に彼に手紙を書いてよこしているんだ。
残念ながらその手紙の内容は僕も知らないんだけど、随分うれしそうに斗摩がその手紙を読むものだから、差出人だけでも確かめようと思ってね。
封筒をあらためてみたんだけど、どうやら、その人物は自分の名前も住所も書かずに送ってきているみたいなんだ。斗摩もどこの誰か知らないけど、女性らしいことは確かなんだって。」
「…おい、それストーカーじゃないのか。」
「違うよ。そういう恋愛を語る内容の手紙じゃないんだから。それに斗摩が喜んでるんだから、まあいいか、って納得したんだ。」
いいのか?
「その手紙の主はね、斗摩の作品に共感を示してくれているみたいなんだよねえ。
ただのファンレターならあの斗摩が惹かれるはずないさ。
きっと何か彼の琴線に触れる内容が書かれているんだろうね。
斗摩が手紙の主こそが自分の唯一の理解者だと惚れ込むような何かが、ね。」
「そりゃ確かに微笑ましい話だが、斗摩がその素性も分からない女性を好きだってことにはならんだろうに。心を許した相手が皆、恋愛対象になる訳じゃないだろう。」
「斗摩が心を許す相手がそもそも珍しい上に、あの顔を見てしまったらね…。
刑事さんも斗摩が例の手紙を読んでいる姿を見たらきっと分かるよ。
あの斗摩がまるで中高生の男の子のようなんだから。」
「…もしかして、あんた、その手紙読んだのか。」
「いやだなあ。人の手紙を勝手に読むような真似しないよ。ただ、斗摩に聞いただけさ。
どんなことが書いてあるんだい?って。
兄弟子の僕がしつこく聞いたら、いやいや教えてくれたよ。」
ふふふ。と楽し気に笑う揺摩。
その様を見ながら但馬は意外の念を抱く。
事件現場の山荘で最初に揺摩と斗摩に出会った当初、てっきり二人の関係性は斗摩が揺摩を率いる形の力関係が存在しているものかと思ったのだ。
だが、こうして幾度か会って話をしてみると、二人の関係は対等であるようだった。
それどころか揺摩は兄弟子としての自覚を、斗摩は弟弟子としての遠慮をそれぞれ持っているようだった。
本当に不思議な関係だと思う。
仲が良いとか悪いとか、そんな言葉では表現できない。
一見したところ、正反対の性格の二人の関係は、絶妙のバランスで成り立っているのだろう。
ひとしきり笑った揺摩は但馬を見て表情を改めた。
「だから、可愛い弟弟子たちによけいな疑惑を持たれるのは心外なんですよ。」
と、真剣な声音で述べた。
…はいはい。わかったよ。
これまでの揺摩との一連のやり取りの中で、嘘や偽りの気配は感じられなかった。
今日はこれで退散するとするか。
但馬は両手を挙げてため息をつくと、時間を取ってもらったことへの礼を述べ、揺摩の山荘を後にした。
県警本部へ帰る道すがら、アスファルトで舗装された林道に愛車を走らせながら、但馬は先ほどの会話を思い返す。
天才画家たちの狂気による殺害の線は否定されたが、滝村派の人間関係を深く掘り下げる話ができたかというと、不十分だ。
揺摩にうまく煙に巻かれた感もある。
どうする?さらに人間関係まで捜査の手を広げるか?
だが、そもそも、事故の見立てがなされているこの件を追求しているのは、但馬の感じた個人的な違和感ゆえだ。
ならば、今回揺摩との会話ので、彼の話に嘘偽りはないと感じた己の感覚をも重視せねばならないだろう。
『俺たちの仕事は、いざ捜査を始めたら、事件に直接関係ないことでも、全部を曝け出させちまうから…。』
『引き際を見失うなよ。』
先日の城崎の言葉が蘇る。
同時に滝村派の三人の画家たちの姿も思い浮かぶ。
この件が事故でない証拠は未だ見つかっていない。
ならば、ここが引き際か…。
ハンドルを握ったまま、深い溜息をついた。
仕方ない。
この仕事には、気持ちの切り替えも必要だ。
一つかぶりを振って、但馬は、県警に帰り着いたのちに、一人で揺摩のもとを訪れたことを非難する朝山を、どうやってなだめるかを考えることに集中することにした。
――それから三日の後、滝村錬磨氏死亡の件は、事故として処理されることとなった。




