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第10章

 但馬(たじま)君彦(きみひこ)は悩んでいた。

先日滝村鶴摩(たづま)改め鶴見(つるみ)詩織(しおり)の自宅に赴き、彼女に滝村派の画家たちについて聞かせてもらうことで、事件現場で揺摩と斗摩に感じた違和感を解消しようとした…のだが。

結果、抱いた違和感を拭い去ることはできなかった。

それどころか、詩織を含めた三人の人間関係に関しても何だかしっくりこない雰囲気を感じてしまったのだった。

 芸術家の同門同士の付き合い方など但馬には皆目見当もつかないが、三人の様子には一見、お互いを気遣い、支え合いながら兄弟子の急な死を乗り越えていこうとする仲間意識が現れているように見えた。

錬磨(れんま)という人間に対して抱えるストレスは三者三様だったようだが、あの三人の間には蟠りはなく、仲の良さが見てとれる。…あくまで、表面上は。


 良好な関係性を築いているように見せているが、但馬にはどうしてもその裏に潜んだ、三人それぞれの別の思惑があるような気がしてならない。

 まず、鶴見詩織は斗摩に恋愛感情を抱いている。

 本人はそれを隠そうとしているようだが。あの分では揺摩はともかく斗摩は気づいているのではないだろうか。

 しかし、斗摩の方は詩織に対して男女の関係になる気はない様子だ。あくまで同門としての付き合いに留めておきたいように感じられる態度であったように思う。

 かわいそうだが、脈なしというやつだ。

 詩織宅で彼女に対して気遣う素振りを見せたのは揺摩だったが、それが恋心から来るものなのか、付き合いの浅い但馬には判断がつかない。

 揺摩と斗摩に関しては、言葉にできない僅かな違和感を覚えるが、タイプの違う二人が互いを理解しながらうまくやっているようにも見えている。

人間、誰しも隠し事の一つや二つ抱えて生きているものだ。

浅い付き合いの自分には分からない絆のようなものもあるだろう。

それに、たとえ三人の関係性の中に複雑な何かかが隠されていたとして、それが直接事件に関係するとも限らない。


夜の県警本部、刑事課の自分のデスクについたまま、腕組みをしてうなり声を上げる。

今回の事件の調書の整理をしながら考え込んでいるうちに、こんな時間になってしまった。

同僚も皆帰宅し、周囲には誰もいない。

刑事課のフロアに但馬一人のみが居残っている状況だ。

朝山も今夜は同期に飲みに誘われているからと、済まなそうに帰っていった。

自分一人が妙に引っかかってしまっているだけだから気にするな。楽しく飲んで来いと言ってやったのだが、但馬を残して帰ることを随分と気にしていた。

いい後輩だと思う。

人間としても、警察官としても。

明日、もう一度フォローを入れておいた方がいいだろう。

本来なら何も悩む必要のない事件なのだ。

被害者と関わりのあった者たちにはアリバイがあり、事故であることを否定する証拠もない。おそらく、早々に上は事故で処理するだろう。

ただ一人、但馬だけがこの件がただの事故とは思えないと考えている。何か裏があるような気がしてならない。と。

滝村派のあの三人の人間関係を、もう一度外側から洗ってみるべきか?

今のところ錬摩が多くの関係者に嫌煙されていたこと以外に、滝村派の画家達に対する悪評は掴んでいない。

ならば、もっと突っ込んで調べてみるべきか?


但馬は背もたれに深く体を預け天井を見上げた。体重を掛けられた古い椅子が悲鳴を上げる。

天井を見上げたまま、またしても唸り声をあげる但馬に、刑事課フロアの入り口から「よお、但馬。」と声を掛ける者がいた。

時間は夜九時。

照明は但馬の周囲のみに絞られているので、入り口に立つ人物は黒いシルエットしか分からない。しかし、但馬は黒い影が発した声で、すぐにその人物の正体に見当がついた。

「よお、城崎。」

シルエットの人物は、但馬の同期の城崎だった。

数年前まで同じ県警本部の刑事課に配属されていたが、現在は生活安全課に所属している。

配属先が変わってからは、お互いの仕事の都合がつかず、一緒に飲み行く機会も減ってしまったが、当時は非番のたびに、二人で酒を飲みながら、様々なことを語り合ったものだ。


但馬は立ち上がると、城崎を手招いた。

「刑事課のエースがこんな時間に、一人で何を考えこんでんだよ。」

城崎は招かれるままにフロアを進み、勝手知ったるとばかりに但馬のデスクの隣、朝山のデスクの椅子に腰かけた。

「お前こそこんな時間にどうした。古巣が恋しくなったか?」

「馬鹿言え。血なまぐさいのはもう勘弁なんだよ。」

そういう城崎はなかなかに強面だ。

大柄な体躯も相まって、暴れる容疑者を取り押さえる時などは、相当に迫力があった。

ところが、普段の性格は、荒くれ者の多い刑事課の中にいながら穏やかで気の長い男だった。

気怠そうな態度を示しながらも、情に厚く、当時はまだ熱しやすかった但馬と城崎を比べて、周囲の同僚たちはよく、正反対の性格だと面白がっていたものだった。

そんな性格の違いからか、いまだに独り身の但馬と違い、城崎はかわいい嫁さんを迎え、子供にも恵まれていた。

しかし不幸なことに、その妻を早くに亡くしてしまい、残された母親にそっくりの娘を、たいそうかわいがっている。

仲の睦まじい夫婦であっただけに、妻を亡くした時の城崎の落ち込みようはひどかった。

無理もない。その頃は娘もまだ幼く、途方に暮れてもいただろう。

それでも娘のために立ち直り、仕事と育児に励んでいたが、数年前に転属を願い出た。理由を深く尋ねることはしなかったが、おそらく娘のためだろうと思う。

捜査がたて込めば帰宅時間も遅くなる、休日も出動要請がかかることもある、そんな刑事課よりは生活安全課の方がいくらか時間の自由もきくだろう。

一緒に働けないことは残念だが、父親としては正しい判断だと思ったので、但馬は笑顔で城崎を見送ったのだ。

それ以来、電話で最近の様子を報告し合う程度の話しかできていなかった。

「どうだ最近、沙那ちゃんは元気か。」

「ああ。沙那も来年六年生になるんだ。親離れしだしてなあ。淋しいかぎりだ。」

「もう六年生になるか。子供の成長は早いと言うが、確かにあっという間だな。」

それから互いの近況を報告し合った。

城崎は生活安全課で捜査対象中の少年が、昨年の窃盗障害事件に係っている情報をつかんだため、刑事課の資料室で調書の照会を行っていたそうだ。そのうち気付けば、こんな時間になってしまったのだという。

さすがに皆帰っているだろうと、刑事課のフロアの前を通りかかった所、一人でうなっている但馬を見つけて声を掛けたということらしい。


「それで、何を悩んでるんだ?」一通り話し終えたところで、何気なしに城崎に話を振られた。

既に悩んでいる姿は見られている。

今更隠し事をする仲でもないので、事件の詳細と自分の抱えた違和感についてかいつまんで説明した。

話を聞いた城崎は但馬と同じように腕を組み、天井を見上げて「ううん」と唸り声をあげた。

そして、但馬に視線を合わせると、真剣な顔で語る。

「俺は、お前の洞察力は大したもんだと思ってる。一緒に捜査してた頃にも、何度も助けられてきた。

だから、お前が気になるってんなら、もう一度、滝村派の誰かに会いに行ってみてもいいんじゃないかと思う。

お前が、一番気になる人間と話をしてみろよ。そうすることで、見えてくるものがあるかもしれんぞ。」

そこで、一旦言葉を切ると、城崎は暗い目であらぬ方を見遣った。

「…だが、個人の事情にあまりに深く首を突っ込むことで、取り返しのつかないことになることもあるんだ…。

俺たちの仕事は、いざ捜査を始めたら、事件に直接関係ないことでも、全部を曝け出させちまうから…。」

城崎と再び視線が合う。暗い表情のまま彼は続ける。

「お前は、大丈夫だと思うけどな、人間の深淵は度し難いから。その、気をつけろよ。」

「……。」

なんだ?

お前は、何を経験したんだ?

但馬が城崎に向ける視線が鋭く研ぎ澄まされる。

目を細め、目の前の人物の内心見透かすように、強く問いかける。

「…お前が、数年前、刑事課からの部署移動を願い出たのは、沙那ちゃんのためだと思ってたんだが…違ったようだな?」

但馬の問いかけに城崎は視線をあらぬ方へ向けて黙ったまま答えない。

それでも但馬は追及の手を緩めない。

気心知れた同期の強面に、手心など必要ないのだ。

「お前が移動になる直前のあの頃、俺とお前は別々の事件を担当していた。だから俺は気付けなかったが…お前はその時に、刑事課にいるのが嫌になる程の、人間の深淵とやらを見たんだな?」

その問いに城崎は「参ったな。」と呟き、本当に困った表情で但馬を見つめ、「相変わらず、鋭い奴だなあ。」と呟き、頭を掻いた。

「どうなんだよ。」

「お前の言う通りさ。ただ、異動の希望を出したのは沙那のためってのも嘘じゃない。半分は、あの子のためにと思って下した決断だ。沙那を思う気持ちに嘘はない。」

「そいつは疑ってないさ。ただ、お前に何があったのかを知りたいとは思ってる。」

「…それは、…勘弁してくれ。」

但馬は弱った表情の城崎を、じっと見つめた。

そして、城崎が決して口を割らない決意でいることを感じ取ると、「いつか話せとる時が来たら、話してくれ。」と軽く肩をたたいて身を引いた。

但馬が、追求を諦めたことで、ほっとした様子の城崎は、しかし、表情をひきしめ、

「だから、なあ、但馬。事件を深追いする時は、引き際を見失うなよ。」

と、念を押すように言った。

但馬は、「ああ。」とうなずきながらも、既に心は捜査に傾いている。

城崎の懸念を承知した上で、それでも、自分の感じるままに事件を追求していくことを決断したのだ。

但馬の脳内では、滝村の誰に、どんな切り口で話を聞き出すかの作戦が練られ始めていた。

そんな但馬の様子を、城崎が心配そうに見守っていることに気付きはしたが、内心で城崎に謝りながらも、あえてその心遣いに気付いていないふりをしたのだった。



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