第六話 入浴時間が被らない理由
女子寮の大浴場には、細かな決まりがある。
学年ごとにある程度の時間は決まっているが、その範囲なら自由に入っていい。
だから、少し時間をずらせば鉢合わせを避けることもできた。
花井小春は、毎日その「少し」を計算していた。
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「小春。」
夜。
部屋でドライヤーをかけながら、美咲が鏡越しに声をかける。
「今日も遅く入るの?」
「はい。」
「また?」
「はい。」
「……黒瀬先輩の時間、避けてる?」
ドライヤーの音が止まる。
小春はゆっくり頷いた。
「はい。」
「なんで?」
「恥ずかしいです。」
真っ赤になって答える小春。
「学校では普通に話せるんです。」
「うん。」
「でも、お風呂は無理です。」
「どう無理なの?」
「目が合わせられません。」
「小春らしい。」
美咲はくすっと笑った。
その頃。
三階フロア。
奈央がタオルを肩にかけながら黒瀬を見た。
「先輩。」
「ん。」
「お風呂では小春ちゃん見ませんね。」
「風呂?」
「はい。」
黒瀬は少し考える。
「時間違うんやない。」
「避けられてたりして。」
「なんで。」
「照れるから。」
黒瀬は首をかしげた。
「風呂入るだけやん。」
奈央は天井を見上げる。
「その鈍感さ、すごいなぁ……。」
数日後。
看護実習が長引いた。
記録を書き終えた頃には、いつもの入浴時間を過ぎていた。
「急がなきゃ!」
小春はタオルを抱えて走る。
脱衣所。
「間に合った……。」
安心して扉を開けた、その瞬間。
「あ。」
湯気の向こう。
髪を上げた黒瀬がいた。
(か、かっこいい、…)
「……。」
「……。」
時間が止まる。
小春は固まった。
黒瀬はいつも通りだった。
「お疲れ。」
「お、お疲れさまです……!」
声が裏返る。
そのまま小春は脱衣かごの前で右往左往。
タオルを落とし、シャンプーを落とし、慌てて拾ってまた落とす。
奈央がそれを見て吹き出した。
「小春ちゃん!」
「は、はい!」
「落ち着いて!」
「無理です!」
「なんで!」
「黒瀬先輩がいます!」
「いるねぇ。」
「だから無理なんです!」
浴場中が笑いに包まれる。
黒瀬は静かに湯船から上がった。
「ゆっくり入り。」
「え。」
「もう出るけん。」
小春が恐縮していると、黒瀬は棚に置いてあった洗顔料を手に取る。
「あ。」
小春が声を上げた。
「先輩、それ私のです。」
「そうなん?」
「同じの使ってるんですね。」
「たまたま。」
たったそれだけの会話。
なのに小春は嬉しくてたまらない。
黒瀬が浴場を出ていく。
入れ替わるように奈央が隣へ来た。
「小春ちゃん。」
「はい。」
「黒瀬先輩と同じシャンプーでも喜ぶ?」
「はい。」
「同じ洗顔料でも?」
「はい。」
「重症だ。」
「自覚あります。」
二人は顔を見合わせて笑った。
翌朝。
食堂。
小春はいつものように黒瀬の隣へ座る。
「おはようございます。」
「おはよう。」
少しだけ沈黙。
小春はお味噌汁を見つめながら、小さな声で言った。
「昨日は……ありがとうございました。」
「何が?」
「お風呂気遣ってくださって。」
「ああ。」
黒瀬は何でもないことのように頷く。
「疲れとったやろ。」
その一言に、小春はまた耳まで赤くなる。
奈央は向かいの席でパンをかじりながら、美咲へ小声で言った。
「見て。」
「うん。」
「小春ちゃん、朝から幸せそう。
昨日、お風呂で会えたから。」
「なるほど。」
「たぶん今日は一日その話するよ。」
「間違いないね。」
二人は苦笑いする。
夜。
部屋へ戻った小春は日記帳を開いた。
今日の日付を書いて、少し考える。
そして一行だけ記した。
『黒瀬先輩と同じ洗顔料だった。』
美咲が後ろからのぞき込む。
「今日の思い出、それ?」
「はい。」
「もっとあるでしょ。」
「あります。」
「何?」
小春は照れくさそうに笑った。
「でも、秘密です。」
窓の外では、寮の灯りが静かに揺れていた。
少しずつ積み重なっていく何気ない毎日。
その一つひとつが、小春にとっては宝物になっていた。




