第三十四話 切り替えていく
三年生が退寮した寮は、いつもより静かだった。
廊下を歩く音だけが、やけに響く。
小春は洗濯物を抱えて階段を上がっていた。
「……」
自室に戻り、洗濯物を干す小春。
「小春、何それ?」
後ろから美咲が声をかける。
美咲は小春の机の上を指さしていた。
「あ!これ寮母さんに貰いました!」
満面な笑みの小春は、
『黒瀬律』の名札を見せつける。
「何に使うの。」
呆れたように笑う美咲。
「記念ですよ。先輩がいたっていう証。
この名前見ただけで頑張れます。」
小春は嬉しそうに笑った。
図星だった。
小春は苦笑いするしかない。
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洗濯物を干し終えて部屋へ戻る。
抱き枕を抱えてベッドへ転がる。
それだけ。
それだけなのに、
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翌日。
授業も部活もない午後。
小春は寮の自販機でジュースを買っていた。
勢いよく、飲み干す。
「よし!」
黒瀬が卒業してから、二週間。
小春の部屋には、今まで見たことがないものが積まれていた。
参考書。
問題集。
ノート。
蛍光ペン。
美咲は部屋に入るなり、目を丸くした。
「……小春?」
「はい!」
「部屋、間違えたかと思った」
「失礼ですよ!」
美咲はそっと額に手を当てた。
「熱ない?」
「ありません!」
「小春が勉強してる……」
「しますよ!」
「明日、雪かな」
「ひどい!」
部屋に笑い声が響く。
一呼吸おく、小春。
「いつまでもくよくよしてられないなって。
先輩に胸を張れるようにって。
今から出来ることに頑張りたいんです。」
机に向かう小春。
看護学の教科書を真剣な表情で読んでいる。
その日の夜。
小春はスマホを開いた。
黒瀬とのトーク画面。
少し迷ってから送る。
『先輩、勉強頑張ってます!』
数分後。
返信が来た。
『偉い』
たった二文字。
でも、小春は嬉しそうに笑った。
「よし!」
机に向き直る。
「あと一時間!」
昼休み。
美咲が隣に座る。
「頑張ってるね」
「はい」
「黒瀬先輩のため?」
小春は少し考えた。
「最初はそうでした」
「今は?」
「患者さんの前に立った時、『この人なら安心』って思ってもらえる看護師になりたいです」
美咲は優しく笑った。
「いい目標じゃん」
数ヶ月後。
小春は、みるみる学力を上げていた。
担任から、
『この調子で行けば、国家試験合格間違いない。』
と言われた。
夜。
いつものように黒瀬とメッセージをやりとりをする。
黒瀬へ定期試験の結果の写真を送る。
『合格安全圏です!』
少しして返信。
『頑張ったな』
さらにもう一件。
『今度、祝い飯行くか』
その文字を見た瞬間。
小春はスマホを胸に抱きしめた。
「先輩と、ご飯……」
顔が真っ赤になる。
美咲がその様子を見て苦笑する。
「結局そこ?」
小春は照れながら笑う。
「勉強頑張ってよかったです」
「褒めてもらえたから?」
小春は首を横に振った。
「もちろんそれもあります」
「うん」
「でも、一番嬉しかったのは、自分で『頑張れた』って思えたことです。」
机の上には、書き込まれたノート。
先輩に会うために始めた勉強は、
いつの間にか、自分自身の夢へとつながる大切な一歩になっていた。
黒瀬に会える、その約束があるだけで、
小春には次の季節が楽しみに思えた。




