第二十一話 二人の距離
二人の世界は大きく変わった――はずだった。
でも実際は、思ったより何も変わらなかった。
ただ少しだけ、距離が“自然に近くなった”。
学校中庭で小春を見かける。
「小春。」
「先輩っ!」
黒瀬の声に、小春がぱっと振り向く。
次の瞬間。
何の迷いもなく、走り出す。
「先輩!」
ぴょんっ!
中庭の真ん中で、いつものコアラ抱っこ。
黒瀬は少しも驚かず、当然のように受け止める。
「おはよう。」
「おはようございます!」
周囲の生徒が固まる。
「……まだやってる。」
「いや、むしろ加速してる。」
それを見かけた教師も
「花井さーん!!
そんな所でコアラはやめなさーい!」
コアラ抱っこは先生たちにも浸透していた。
食堂。
二人は自然に隣に座る。
リスのように頬張る小春を
愛おしそうに見る黒瀬。
小春の口元についたものを
当たり前のように拭う黒瀬。
少し照れながら
「ありがとうございます。」
「ん。」
二人の距離は明らかに縮まった。
見つめる小春。
「何。」
「……いえ。」
「顔になんかついとる?」
「かっこいいです。」
「朝から何。」
黒瀬は淡々と返す。
でも耳だけ少し赤い。
お互いまだ照れることは忘れていない。
その様子を見ていた美咲は、パンをかじりながら一言。
「もう平和の象徴だね。」
翌日。
小春は少しだけ体調が悪かった。
軽い喉の違和感。
「大丈夫?」
「大丈夫です。」
心配する美咲に言う。
玄関に行くと。
黒瀬がいた。
「おはよう。」
「おはようございます…。」
一瞬で見抜かれる。
「声。」
「……少しだけ。」
黒瀬はすぐに近づく。
手を額に当てる。
「熱は?」
「ありません。」
「病院行く?」
「大丈夫です!」
その瞬間。
小春は気づく。
(また心配させてる)
「先輩。」
「ん。」
「本当に大丈夫です。」
黒瀬は少しだけ黙る。
そして。
「……じゃあ。
無理したら怒る。」
「怒るんですか?」
「怒る。」
真顔。
小春は小さく笑う。
「優しいのか厳しいのか分かりません。」
「両方。」
そのやり取りを見ていた奈央はため息。
「もう親ですやん。」
でもその過保護は、ただの心配ではなかった。
失いたくないという気持ちが形になったものだった。
そして小春もまた気づき始めていた。
黒瀬の優しさは「普通」じゃなくて、
自分にだけ向けられた“選ばれた優しさ”だということを。
その夜。
小春は日記に書く。
『先輩は、少しだけ不器用で、すごく優しい』
そしてその下に小さく一言。
『守られている気がする』
一方その頃。
黒瀬は部屋でスマホを見つめていた。
ぴこん
『少し喉が痛いです』
黒瀬はすぐに立ち上がる。
「奈央。」
「はい?」
「ちょっと行ってくる。」
「どこに。」
「小春のとこ。」
奈央は笑う。
「はい、過保護確定。」
黒瀬は何も言わずに歩き出す。
恋は静かに形を変える。
“好き”はもう言葉じゃなくて、
行動そのものになっていた。
小春の部屋。
黒瀬に無理やり寝かされた小春。
側で静かに見守る黒瀬。
小春は少し緊張している。
「……先輩。」
「ん。」
「何か変わりましたか?」
黒瀬は少し考える。
「変わらん。」
「え?」
「でも。」
一拍。
「前より、言いやすい。」
「何をですか?」
黒瀬は少しだけ視線を逸らす。
「好き、とか。」
小春の顔が一瞬で真っ赤になる。
「ずるいですそれ……!」
「なんで。」
「急に言うの反則です……!」
「そうなん?」
「先輩。」
「ん。」
「……好きです。」
「知ってる。」
「言いたいんです。」
黒瀬は少しだけ笑う。
小春は満足そうに笑う。
そして当然のように。
ぎゅっと抱きつく。
「風邪。すぐ治りそうやね。」
少し呆れて、安心した声色で美咲が呟く。




