第十六話 嫉妬
ある日の放課後
「小春、今日の学校どうだった?」
美咲が机から顔を上げる。
「普通でした。」
「普通ねぇ。」
「でも……。」
「でも?」
小春はペンを止める。
「黒瀬先輩、後輩の人と楽しそうに話してました。」
「看護学科の?」
「はい。
その子の落とし物を先輩が拾ってあげて。
その後も楽しそうに話してて…。」
「それ気にしてるやつじゃん。」
「気にしてません。」
即答。
「してる人の返事だね、それ。」
その頃。
サッカー部の練習後。
奈央がタオルで汗を拭きながら黒瀬に言う。
「先輩。」
「ん。」
「小春ちゃん、ちょっと拗ねてましたよ。」
「……拗ね?」
「後輩の件で。」
黒瀬は水を飲む手を止める。
「なんで。」
「そりゃ、あれですよ。」
「?」
奈央はため息をつく。
「嫉妬です。」
黒瀬は少し黙った。
「……嫉妬。」
「そうです。」
「なんで?」
奈央は頭を抱えた。
「そこから説明必要なんですか。」
夜。
寮の廊下。
小春は洗濯物を抱えて歩いていた。
その時。
後ろから声。
「小春。」
振り向く。
黒瀬。
「……はい。」
少しだけ、間。
黒瀬はいつもより真っ直ぐ見ていた。
「ちょっと話せる?」
屋上。
風が強い夜だった。
提灯の明かりが遠くに揺れている。
「今日のこと。」
黒瀬が先に口を開く。
「はい。」
「後輩と話しとったの、気になった?」
小春は一瞬固まる。
「……別に。」
「嘘。」
即答。
小春の肩が小さく揺れる。
沈黙。
風の音だけが続く。
やがて、小春がぽつりと言う。
「……黒瀬先輩は、誰にでも優しいから。」
「普通やけん。」
「その“普通”が、嫌でした。」
言ってしまってから、小春は自分の口を押さえる。
黒瀬は少し驚いた顔をする。
でもすぐに静かに言った。
「俺は。」
一拍。
「小春にしか、そうしてないつもりやった。」
小春の目が揺れる。
「でも、見えません。」
「……。」
「みんなに優しく見えます。」
黒瀬は少し考えてから、一歩近づいた。
次の瞬間。
黒瀬は小春の手首を軽く取る。
逃がさないようにじゃなく、ただ距離を縮めるために。
そしてそのまま、壁際へ。
小春の手をそっと持ち上げる。
「こういうのは小春にしかしない。」
低い声。
距離は近く、耳元で囁く声に
「……。」
小春の顔は赤くなる。
黒瀬は少しだけ目を細めた。
「…分かった?」
「……ずるいです。」
「何が。」
「全部。」
しばらくの沈黙のあと。
黒瀬は手を離す。
「嫌な気持ちにさせて、ごめん。」
「……はい。」
一歩下がって。
「小春が不安になるのは、自分も嫌やけん。」
その言葉に、小春の胸がぎゅっとなる。
「……嫌です。」
「ん?」
「先輩が他の人と仲良いと、嫌です。」
素直すぎる一言。
黒瀬は一瞬止まる。
そして、少しだけ笑った。
「同じやね。」
沈黙はもう重くない。
むしろ、少しだけ温かい。
屋上から降りる階段。
小春が前を歩く。
その後ろを黒瀬がついていく。
距離はさっきより少しだけ近い。
途中。
小春が小さくつまずく。
「っ。」
すぐに腕が伸びる。
「また。」
「すみません。」
いつもの流れ。
でも今日は違った。
そのまま手を離さない。
廊下に戻ると、奈央が待っていた。
「お、終わった?」
「何が。」
黒瀬が聞く。
「ケンカ。」
「してないです。」
小春が即答する。
奈央は笑った。
「はいはい、進展したやつね。」
その夜。
小春の部屋。
美咲は一言だけ言った。
「付き合ってないのに、カップルよりカップルしてるね。」
小春は嬉しそうに布団に顔を埋める。
一方その頃。
黒瀬の部屋。
奈央がベッドに寝転びながら言う。
「先輩。」
「ん。」
「もう完全に落ちてますね。」
「何が。」
「全部です。」
黒瀬は少し考えて。
「……ん。」
その答えは、もう迷いではなくなっていた。
窓の外では、夏の夜風。
少しずつ、二人の距離は「ただ近い」から「意味のある近さ」へ変わっていく。




