第十五話 練習試合
土曜日。
朝六時。
まだ眠そうな女子寮の食堂で、小春は一人だけ異様に元気だった。
「麻衣!」
「……おはよう。」
「今日は黒瀬先輩の練習試合!」
「…知ってる。」
「応援に行くんだよ!」
「それも知ってる。」
「お弁当も作りました!じゃーん!」
「え。」
麻衣が眠気を忘れて顔を上げる。
「作ったの?」
「イエス!」
小春が嬉しそうに包みを見せる。
卵焼き。
唐揚げ。
ブロッコリー。
ウインナー。
少し形は不揃いだけれど、一生懸命作ったのが伝わるお弁当だった。
「……黒瀬先輩、泣くかもね。」
「泣かないよぉ。」
「いや、心の中で。」
試合会場。
県内でも強豪校が集まる練習試合。
スタンドには保護者や生徒が集まり、独特の緊張感が漂っていた。
小春は応援席の最前列に座る。
その隣には麻衣。
少し後ろには奈央たち二年生。
「まだ始まってないよ。」
「うん!」
「もう立ってるけど。」
「うん!」
小春はグラウンドから目を離さない。
アップを始めた黒瀬が遠くに見えた。
ボールを蹴る姿。
走る姿。
仲間と笑い合う姿。
その全部が格好よく見える。
「……かっこいい。」
思わず漏れた声に、麻衣は苦笑した。
「今日は百回くらい言いそう。」
試合開始。
黒瀬はセンターバック。
相手の攻撃を何度も止める。
競り合いにも負けない。
力強く、それでいて冷静だった。
「ナイス!」
ベンチから声が飛ぶ。
小春も思わず立ち上がる。
「黒瀬先輩、頑張ってください!」
その声に一瞬だけ振り向いた黒瀬。
ほんの少しだけ手を上げた。
その瞬間。
小春は両手で口元を押さえた。
「……今、私に。」
「うん。」
「手を。」
「うん。」
「振ってくださいました。」
「たぶんね。」
「今日もう帰っても幸せです。」
「試合最後まで見よう。」
前半終了。
選手たちはベンチへ戻る。
小春はペットボトルを抱えながら、おそるおそる近づいた。
「あの……。」
黒瀬が振り向く。
「お疲れさまです。」
「ありがとう。」
「お水です。」
「助かる。」
受け取る黒瀬。
そのやり取りを見ていた部員が小声で笑う。
「黒瀬さん、補給係できたやん。」
奈央も腕を組む。
「もう専属応援団長だね。」
小春は照れて俯いた。
試合は終盤へ。
一点リード。
相手チームが最後の猛攻を仕掛ける。
浮き球。
黒瀬が競り合いに跳んだ。
着地の瞬間。
ぐきっ。
嫌な音が響いた。
「っ……!」
黒瀬が倒れ込む。
グラウンドの空気が変わった。
「黒瀬!」
「大丈夫か!」
コーチと部員が駆け寄る。
応援席の小春も立ち上がった。
一瞬だけ息をのむ。
胸が締めつけられる。
でも。
次の瞬間には表情が変わっていた。
「麻衣、ちょっと行ってくる。」
「うん。」
応援席を離れ、黒瀬のもとへ。
「コーチ!救護バッグ、お借りします。」
落ち着いた声。
「お、おう。…ん!?は、花井!?」
走る足取りにも迷いはない。
グラウンド。
「失礼します。」
小春は黒瀬の前にしゃがんだ。
「先輩、痛い場所を教えてください。」
「…足首。」
「分かりました。」
手際よく状態を確認する。
腫れ。
圧痛。
動かした時の反応。
落ち着いた口調で確認を続ける。
周囲は静かに見守るしかなかった。
「無理して立たないでください。」
「……ん。」
痛みで黒瀬の表情は歪んでる。
「冷やします。」
ためらいなく応急処置を進める小春。
さっきまで恋する一年生だった姿はどこにもない。
看護を学ぶ学生として、一人の負傷者に向き合っていた。
その落ち着きに、サッカー部員たちは思わず息をのんだ。
「あれ……小春ちゃん?」
「すごく冷静……。」
「いつもの小春ちゃんと別人じゃん。」
コーチも頷く。
「看護学科とは聞いてたが……。」
その手際の良さは、学生とは思えないほどだった。
麻衣も思わず呟く。
「すご……。」
コーチも静かに頷く。
「落ち着いてるな。」
処置が終わる。
小春は黒瀬の目を見て言った。
「今は歩かない方がいいです。」
「…分かった。」
「ちゃんと病院で診てもらいましょう。
一緒に行きます。」
「…ありがと。」
その返事を聞いて、小春はようやく少しだけ笑った。
黒瀬もその笑顔を見て安心したように息をつく。
チーム全体が少し沈んだ空気になっていた。
そんな中、小春は部員たちへ頭を下げる。
「皆さん、お疲れさまです!」
「……。」
「黒瀬先輩には私がついてるので、最後まで試合頑張ってください!先輩もそれを望んでます。」
部員たちが顔を上げる。
その言葉に、空気が少しだけ軽くなる。
部員たちは顔を見合わせる。
「……そうだな。」
「黒瀬さんなら絶対そう言う。」
「切り替えよう。」
空気が少しずつ戻っていく。
ベンチから声が飛ぶ。
「いくぞ!」
試合が再開される。
「ありがとう、小春ちゃん。」
「いえ。」
「なんか元気出た。」
周りも頷いた。
病院へ向かう車の中。
付き添いを申し出た小春は、黒瀬の隣に座っていた。
「痛みますか?」
「ちょっと。」
「眠れそうなら寝てください。」
「うん。」
黒瀬は静かに目を閉じる。
数分後。
車が揺れた拍子に肩が触れた。
小春はそっと姿勢を変え、黒瀬が楽な姿勢でいられるように座り直す。
その様子を運転席から見ていた顧問が、小さく笑った。
「花井さん。」
「はい。」
「頼もしいね。」
小春は少し照れながら答えた。
「看護を勉強していますから。」
夕方。
寮へ戻ると、玄関にはサッカー部員たちが待っていた。
「黒瀬先輩!」
「大丈夫ですか!」
黒瀬は苦笑して答える。
「大丈夫ばい。」
その横で、小春は部員に状況を伝え、無理に心配しすぎないよう言葉を選んで説明していた。
サッカー部員たちから
「小春ちゃん、すごかったな。」
「完全にチームの救世主じゃん。」
「俺らが慌ててる中、一番冷静だった。」
「マネージャーやってくれたら最強なのに。」
「黒瀬さん、あんな子に一途に好かれてるとか羨ましい。」
奈央はその様子を見つめながら呟く。
「小春ちゃんってさ。」
「ん?」
「黒瀬先輩のことだけじゃなくて、周りまで安心させる力があるよね。」
その言葉に、黒瀬は静かに頷いた。
そして、小さく微笑む。
「……惚れ直した。」
奈央は聞き逃さなかった。
「先輩。」
「ん。」
「今、何て言いました?」
黒瀬は少しだけ耳を赤くして、視線を逸らした。
「……何でもない。」
奈央は思わず吹き出す。
「はいはい。」
寮へ続く夕暮れの坂道。
少し前を歩く小春は、振り返って笑った。
「黒瀬先輩、ゆっくりで大丈夫ですよ!」
その笑顔を愛おしそうに見つめる黒瀬だった。
「ありがとう」




