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墨師  作者: さんれんぼくろ
第一章『旅の目的』
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第4話 消えた傷

「喰われたかって……は? なんだよ、それ」

「言葉通りの意味だ。お前さんから見て、自分の体で変なところはないか」


 改めて問われても、宗治郎にはよくわからなかった。自分が、未羽に喰われたかどうか? どうして人が人を食べるなんて発想が出てくるのか。そんな突拍子もないことを、なぜこんなにも真剣な表情で訊いてくるのか。

 男は宗治郎と目を合わせたまま動かない。男が纏う厳かな雰囲気に圧倒され、宗治郎の涙は止まっていた。

 男が仕方なさそうに息を吐いて立ち上がった。


「ちょっと失礼」


 雑に断りを入れた男は宗治郎の両頬をむんずと掴んで顔を上下左右に動かしてきた。かと思えば目の検査のように下瞼を軽く引っ張られる。


「ちょっ、おい」


 なにをされているのかわからず抵抗するも、男の力が強くて逃げられない。男は一言も発さず宗治郎の全身を仔細に確認し始めた。後ろで括った短い髪の先や耳たぶ、爪、さらには服をひょいと引っ張られ、ガリガリの胴体まで、くまなく。

 細すぎる体を見られた宗治郎は恥辱を味わった。


「やめろよ!」


 頭皮まで見ようと頭を押さえられたところで、宗治郎は男を突き飛ばした。しかし男はよろめくこともなく宗治郎の髪ゴムをほどいた。それが宗治郎の惨めな気持ちに拍車をかけた。

 男が宗治郎の後ろに回る。宗治郎の赤い髪を掻き上げたとき、男の動きがぴたりと止まった。


「……お前さん、この傷跡は」


 少し間を置いてから男が問う。しかし宗治郎は答えられない。

 後頭部の怪我を見られているのだとわかってはいたが、大事な人を失った悲しみに続いて辱めを受けた宗治郎は肩を震わせて泣いていた。この男には、宗治郎の気持ちなどわからないのだろう。

 なにも答えずにいれば、男は宗治郎の髪を元の通りに結った。それから乱れた服を直しながら言った。


「やはり喰われとるよ」


 どうでもよかった。


「あんまり見ない喰い方だがな。この娘っ子、うまーいことやったようだ」


 なにがうまいことなのか、宗治郎にはわからない。

 わからないが、どうしようもないほど激しい怒りに駆られた。


「アンタ、なんなんだよ」


 涙が一層溢れ出た。


「アンタにとっては見知らぬ他人だろうがな。未羽は俺にとって一番大事な人なんだよ。なのに平然と死んでるって、喰うとか変なこと言って、人をからかうのも大概にしろよ!」


 怒りに任せて拳を男の体へ叩きつけるが、やはり男はびくともしない。貧弱な自分の体が余計に惨めだった。

 宗治郎の後ろから、白い腕が回された。

 未羽が宗治郎を背後から抱きしめていた。


「庇うつもりか」


 未羽の腕に手を添えただけで男はそう言った。

 宗治郎は男から目を逸らさずに、そばにある石を空いてるほうの手で持った。武器としては頼りないが、素手よりはマシだろう。

 未羽を後ろにしたまま立ち上がる。

 男の目が鋭くなる。


「そやつは死者だ。情を持ってはならん」


「死んだらぞんざいに扱えって言うのかよ」


「違う。そやつは『言質霊(げんちれい)』だ。もう人ではないと言っているんだ」


 男が担いでいた長物を下ろした。形は竹刀袋だが、使い勝手を良くするためにファスナー以外からも中身が取り出せるようになっているらしい。布が重なり合っている部分へ手を入れている。


「坊主、話を聞け」

「やだね」

「お前が話を聞いてくれないなら、私はお前ごとその娘っ子を封印せんといかんくなる」


 重なる布の下から、棒のようなものがちらりと見えた。引き抜いて出てくる武器がなにかは宗治郎にはわからない。確実なのは、この男は未羽を正しく『人』として扱ってはくれないということだ。

 あの村の、掟に縛られた村人たちと同じように。


 男は棒を握ったまま動かなかった。ただ話し続けた。「そんな悲しいことはさせんでくれ」と。

 ゲンチレイだの、封印だの、妙な宗教にでも足を突っ込んでいるかもしれない男の話を聞く気にはならない。


 宗治郎は男の言葉を無視し続けた。男から逃げ切るために周りの音を必死で拾った。味方になりそうなものを探す。穏やかな川、囀る小鳥、初夏を好む虫たちの声。近づいてくる重たい足音。


 逃げる算段がついた。


「だから坊主、その娘っ子の『(もん)』を――」


 宗治郎が行動に出ようとしたとき、意思が通じたかのように未羽が後ろにある川の水を男へぶっかけた。手で掬える倍以上の量。男が水を汲んでくるよう言って宗治郎に渡した(たらい)を、未羽の髪が伸びて掴んでいたのだ。


 驚いている暇はない。


 盥いっぱいに入った水を正面から浴びせられ、男が出遅れたチャンスを逃さず宗治郎は未羽を抱きかかえて走った。振り返ることなく、川から離れて木々が立ち並ぶほうへ全力疾走する。

 未羽にしがみついてもらい、宗治郎は指笛を鳴らす。


 男がなにか言っているのが聞こえるが、宗治郎は知らないふりをした。先ほど耳で知った、川の水を飲みに来たイノシシの影が近づいてくる。

 お互いに姿を捉えたとき、宗治郎は作務衣のポケットに入れている二つ目の縄を巨大なイノシシへ向けて投げた。手早く手綱のように結びつけ、未羽を先にイノシシの背へ乗せる。


「痛いことしてごめんな。助けてくれ」


 自然の中で生きる宗治郎は動物との意思疎通に長けていた。

 宗治郎がイノシシの背に跨ると、仕方なさそうに鼻を鳴らしたイノシシが走り出す。彼の乾いた喉が限界を迎えるまで、宗治郎は未羽と一緒にできるだけ遠くへ連れていってもらうことにした。

【第4回 豆知識のカモメ】

今回の豆知識はお休みです


「どうしたカモメ、元気そうなのにらしくない」


「らしくないもなにも、怒りで煮えたぎってるんです、そっとしておいてください」


「こりゃまた珍しくブチ切れとるのぉ。むっとしとるのはよく見るが……どうした。老いぼれじじいに話してみぃ」


「自分で言わないでくださいよ」


「口が悪いほうがお前さんらしいからな。で? どうした」


「……の……リが」


「ん?」


「あのガリガリ野郎が当主様の話を聞かないから!」


「お、おお。そんなことで怒ってくれとったんか」


「そんなことじゃありません! 当主様の話を無視していいのはぼくだけなんです!」


「え」


「ぼくだけの特権を……!」


「おぉいカモメさん? なんか怒るとこ違うような気がするんだが」


「ぼく以外の全人類は当主様の話を一言一句聞き逃さずに聞け!! 崇めろ!! だいたい大事な家業をめちゃくちゃ頑張ってる当主様に向かって妙な宗教とか思ってんじゃねぇ!!!!」


(あ、こやつ酔っ払っとる)


勉強机の上にウイスキーボンボンを見つけた粛善であった。


お読みいただきありがとうございました。


《次回 カモメ》

粛善の視点に移ります。

宗治郎たちに置いていかれた粛善の頭に、何やら嫌なものがぽっとん。

どうぞよろしくお願いいたします。

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