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墨師  作者: さんれんぼくろ
第一章『旅の目的』
3/3

第3話「喰われたか」

 宗治郎(そうじろう)が目を覚ましたとき、周囲はもう明るくなっていた。

 川に流されて以降の記憶がない。途中で気を失ったようだが、村独特の喧騒が聞こえないあたり連れ戻されてはいないらしい。

 あんな無茶をして生きていることがすぐには信じられなかった。


「おう、坊主。やっと起きたか」


 仰向けに寝ていたので、木の枝葉の間から青い空が見えていた。それが一瞬にして、自分を覗き込んできた見知らぬ男の顔に変わった。

 陽気そうな中年の男だ。センス良く揃えられた顎髭を撫で付けている。男の背後にちょうど太陽があるらしく、銀鼠色の髪が光を反射して眩しかった。


「誰……ですか」


 手を顔の前にかざして陰を作りながら、宗治郎は問いかける。

 村の暮らしでは年上、年下に関係なくタメ語で話していたが、知らない人となるとそうはいかない。知識程度の使い慣れない語尾をぼんやりした頭で選び取った。


「未羽、は……」


 鉛のように重い体に鞭打って起き上がり、宗治郎は未羽の安否を問うた。縄でしっかり縛って飛び込んだのだ、途中で離れてはいないだろう。自分が生きているなら未羽も生きているはずだ。そう信じて。


「そうか。あの娘っ子、みうというのか」


 男がその場に座り直す。

 深刻さのかけらもなく言った。


「もう死んどるよ」


 浮かびかけた笑みが、宗治郎の顔からすっと引いた。さも元気そうに未羽の名を復唱したあとで、告げられた『死んどる』の言葉を受け入れられなかった。

 不自然に片方の口角をつり上げて、宗治郎は男へ(にじ)り寄る。


「死ん、でるって……」

「信じられんなら見てくればいい。そこの川におる」


 自分の後ろを顎で示した男は、ついでに水を汲んでくるよう言って宗治郎へ(たらい)を渡してきた。

 宗治郎は思考がこんがらがったまま盥を受け取って、なにを言うでもなく男を見つめた。


 なぜ、この男はこうも平然としているのだろう。

 見知らぬ若者に寄り添えとは言わないが、いま現在、人を亡くしたと知った者への態度にしては配慮がなさすぎるのではないか。


 男は宗治郎ではなく自分の前に置いた飯盒(はんごう)の中身を見ていた。焚き火でなにやら煮込んでいる。こっくりとしたクリーム系の見た目は普段なら食欲をそそりそうだったが、いまの宗治郎は吐き気を催した。


 口に手を当て、木に寄りかかりながらその場を離れる。男が示したほうへフラフラと歩いた。


 たちの悪い冗談なのかもしれない。

 未羽は本当は死んでいなくて、寝起きの自分をちょっと驚かせようとして、男はあんなことを言ったのかもしれない。

 未羽が先に起きていて、人見知りの宗治郎のために男へイタズラを頼んだのかもしれない。


 そうであってくれと願いながら、宗治郎は斜面を下りていった。左手に見える川は穏やかで、村から相当流されてきたことがわかった。村の者たちもさすがにこんな場所まで捜しにこないだろう。なにしろ、村だって大変なのだから。


「……良かった。やっぱ、生きてる」


 白や銀に光る丸い石の道で、未羽は足を川につけてパシャパシャさせていた。

 逃げているときはボサボサだった髪が綺麗に梳かされ、黒いストレートの長髪が風で少し靡いていた。以前はもっと艶やかだったのにと、寂しく思いながら宗治郎は未羽のそばへ歩いていく。

 華奢すぎる背中は動かない。


「なんだ、あれ……」


 未羽へ呼びかける前に、宗治郎はあることに気づいて彼女へ走り寄った。すぐそばにしゃがむと、未羽がゆっくりとこちらへ向いたのがわかった。

 しかし宗治郎は未羽の顔を見上げることはせず、彼女の腰に巻かれた黒いものに手を伸ばした。


 黒いものは未羽の腰から鳩尾の辺りまでをぐるりと締め付けていた。宗治郎は必死に取ろうとするが、まるでそこにはなにもないかのようにすり抜けてしまう。黒いものには触れられない。


「そいつは外さんでくれや」


 後ろから聞こえたのは、さっきの男の声だ。硬いものが石を弾く音がする。そういえば、男は下駄を履いていた。


「その娘っ子の『(もん)』を見つけるにゃあ、もう少し時間がかかりそうでな。それまで自由にさせるわけにいかんから」


 宗治郎は自分の横に立った男を見上げた。

 男が未羽を見る表情がとても険しかった。


「なにを、言ってんだよ」


 声が震えた。


「早く未羽を離してやれよ。これっ、めちゃくちゃ体に食い込んでるじゃねぇか。絶対痛いから、アンタがやってんなら早く解いてくれ。わけわかんねぇこと言ってねぇで……!」


 必死に訴える宗治郎へ、男は感情のない表情で見下ろして言った。


「その娘っ子、痛がってるように見えるか?」


 宗治郎は一瞬目を見開いて、何度か瞬きをした。それから、おそるおそる顔を動かした。男が『死んでいる』と言った、さっきから一向にしゃべらない未羽の顔を見上げた。


「……嘘だ」


 嘘だ。嘘だ、嘘だ。

 未羽の瞳は、間違いなく宗治郎へ向けられていた。けれどその瞳はなにも映してはいなかった。異様にゆっくりな瞬きをして、彼女の手は宗治郎の頬に添えられる。

 生きている。生きているように見えるのに、彼女には生気がない。


 狩りと農業で暮らしてきた宗治郎にしてみれば、死んだ生き物の瞳は見慣れたものだった。未羽の瞳は、まさしく死んだ動物のそれだった。

 当然、黒いなにかに痛がる様子はない。


「拘束しとってもそれだけ動くもんでな。坊主には悪いが、そのままにしといてくれや」


 俺にじゃない。未羽に悪いんだ、と宗治郎は思った。

 死者が動いていることなんてどうでもいい。大切な人が酷い目にあっている事実と、本当に死んでしまったのだという悲しみが一気に押し寄せてきて、ひゅっと喉が鳴った。


「アンタ、未羽になにしたんだ。なんで、未羽はこんな……!」


 それ以上は言葉にならず、宗治郎はその場に突っ伏して泣いた。静かな川の音に嗚咽がまじって虚しかった。

 砂利を踏む音が隣から聞こえた。男の手が宗治郎の背中に置かれ、慰めるようにさすった。


「まあ、なにもしとらんっちゃ、しとらんがな。私がいくら弁解しようが、坊主は私を信用せんだろう」


 それより、と男は宗治郎に顔を寄せた。


「お前さん、この娘っ子に喰われた(・・・・)か?」


 宗治郎の口からは、なにも返事が出なかった。

 ただ目を丸くして、この男はなにを言っているのかと訝しんだ。

【第3回 豆知識のカモメ】

煮込みに使っている飯盒、調理器具は粛善が筆で描いたもの


「てくてく歩き回るのに重いもん持てんからなあ」


「当主様の絵心あってこそですね」


「お? お前さん珍しく肯定的だな」


「別に。持ち物が増えて身動き取れずに危険な状況……なんてことがなくてよろしいかと」


「…………」


「ちょっと、なんでぼくの顔なんか描いてるんですか」


「いんや、心配してくれてるのか嬉しがってるのかわからんから」


「は?」


「ほれ見ろ。お前さんのこの無表情加減を」


「いえ、ぼくの表情なんかどうでもいいですけど。というかぼくがなにに対して嬉しがっていると?」


「そりゃ治療せんでいいから勉強に集中できるなって」


「治療に関係なく当主様が最優先です。ぶっ飛ばしますよ」


お読みいただきありがとうございました。


《次回 消えた傷》

粛善の言う『喰われた』について。

どうぞよろしくお願いいたします。

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