表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墨師  作者: さんれんぼくろ
第一章『旅の目的』
2/4

第2話 追われる者

 森の中を走る二つの影があった。カモメと同い年か、少し上くらいの痩せこけた男女だ。古い布地をいくつも縫い合わせた作務衣(さむえ)は泥と血で汚れ、裾は破れて細い足がのぞいている。


未羽(みう)、もっと速く走れるか」


 息を乱しながら男が女に問いかけた。男は女の手首を掴んで前後になって走っていた。顔は前方へ向けたままなので、女がどんなに蒼白な顔で走っているかに気づいていない。返事をする余裕もないのだ。


「もう少し行ったら橋があるんだ。渡らず崖に沿って下っていけば、父さんたちが釣りをしてる川に出る。ちょっと頼りないけど小舟があるから」


 それに乗って逃げようと男が言いかけたところで、未羽の「あっ」というか細い声がした。

 前を走っていた男は急に後ろに引っ張られて尻もちをついた。何事かと振り返った男は、未羽がうつ伏せに倒れているのを見つけた。


「未羽!」


 駆け寄って抱き起こすと、作務衣の膝部分に穴が空いていた。擦りむいただけなら良かったが、膝からはどくどくと血が溢れ出している。


 真っ赤を通り越して真っ青な頬と咳き込みながら肩で息をする未羽を見て、男はようやく現状を把握した。彼女はもう、走れない。


「ごめん」


 ほとんど引っ張られる状態で足を動かしていたのだと気づいて男は謝罪した。自分の作務衣の袖を引きちぎって未羽の怪我に巻き付けていく。


「あんま衛生的じゃねぇけど、血が止まらないよりはマシだから」


 手当てをしながらも、男は頻りに周りを確認していた。暗くて湿気た森の中。男は夜目がきくが、新月の夜は別の話。そう遠くまで見ることはできない。

 男は緊張から唾を飲み込んだ。


(そう)ちゃん、ごめんね」


 ようやく話せるようになった未羽がぽつりと零した。じんわりと血の滲んだ膝の布に手を添えている。


「なに謝ってんだよ。未羽はなんも悪くないだろ」

「でも……でも、未羽のせいで宗ちゃんまで」


 周囲の気配に意識を割きながら、宗治郎(そうじろう)は顔を未羽へ向けた。泣きそうな声だと思えば、未羽はもう泣いていた。痩せてはいるが綺麗な顔に泥がついている。宗治郎は破いていないほうの作務衣の袖で泥を拭ってやった。


「歩けるか」


 もうクタクタの未羽に酷な問いかけをした。鼻をすすって頷く未羽に、宗治郎は「よし」と言って手を貸して立ち上がらせた。そのまま橋に向かって歩き出す。


 二人の頭には追っ手がいまにも襲ってくるのではないかという恐怖があった。しかし気持ちは()いても、体は思うように動かない。膝を痛めた未羽だけでなく、宗治郎も頭を鈍器で殴られたあとなのだ。むしろここまで走ってこられただけでも奇跡的だった。


「宗ちゃん。本当にごめんね」


 視界が徐々に狭くなってきているのを感じながら、宗治郎は必死に歩き続けた。声を出すのは危険とわかっていたが、意識を繋ぎ止めるために返事をした。


「バカだな。なんで何回も謝るんだよ」


「だって、宗ちゃんまで逃げなくても良かったのに」


「じゃあ未羽が連れてかれんのあの場で黙って見てろって? 無理だね。一緒に逃げるに決まってんだろ」


 宗治郎がちらりと後ろを振り返れば、そこかしこに生えた草に血が点々と付着していることに気がついた。頭の傷口に手を押し当てて、出血を少しでも防ぐ。

 追っ手は松明を持っていた。足元を照らされれば、血の跡を追われてしまう。


「ほんと、なんだってんだよな。明日は未羽の誕生日だってのに」


 宗治郎がよろけると、未羽がすかさず支えに入る。転がった枝や草を踏んで大きな音を鳴らしてしまう。


「だからだよ」


 宗治郎は未羽に顔を向けた。


「明日が、未羽の誕生日だから。もう、子どもじゃなくなる。田の神様に捧げる供物は……生け贄は、子どものほうがいい」


 未羽は俯き加減だった顔を上げ、痛々しい笑顔で宗治郎に言った。


「未羽はたぶん、ギリギリなんだよ」


 宗治郎がなにか言葉を返そうとしたとき、後方から男の声がした。


「いたぞ!」


 村の追っ手だ。

 草や枝を踏む音がどんどん近づいてくる。松明の赤い光がすぐそこにある。

 二人は傷の痛みも忘れてとにかく走った。


 あと少しで橋に着く。そこまで行けば、舟で逃げることは叶わなくても反対側の村へ逃げられる。懐にしまったサバイバルナイフで橋を支える縄を切ってしまえば、そこにあるのはただの崖だ。もう追いかけてはこられないだろう。しかし、


「宗ちゃん、あっちにも……!」


 数人の村人が橋の向こうで待機していた。二人の行動を予測していた彼らは薪割り用の斧や草刈りの鎌を持っている。橋を渡れば、捕まる。殺される。


 体力、気力ともに使い果たした未羽が橋のすぐ手前でくずおれた。宗治郎はまだ、打開策を見出そうとしている。


 橋の下は川が流れているが、飛び込むには高すぎる。あと数百メートル川下に向かっていけばマシになるが、追っ手がそんな時間をくれるはずがない。

 ガサガサという音がすぐそこまできている。橋の向こうからも武器を携えた村人たちが迫ってくる。


「未羽、俺を信じてくれるか」


 川を睨みながら、宗治郎は腰に巻き付けたロープをほどいた。野うさぎを罠にかける際に使っていたものだ。先端には大きさを自由に変えられる結び方で輪っかが作られている。


「このままじゃ俺は殺されるし、お前は連れてかれる。勝機があるとすれば、ここだ」


 未羽は宗治郎がなにをしようとしているかを悟って蒼白になった。輪っかになった縄が崖の石かどこかに引っかかればいいなの精神で、川に飛び込むつもりなのだ。


 上手くいけば、直接川に落ちるよりも衝撃を和らげることができる。川の中の岩に絡まってくれれば溺れる可能性も低くなる。

 考える猶予も、代案もない。未羽は震えながら頷いた。


「信じるよ。でも、怖い」

「俺も怖い。死んじまうかもしれねぇ」


 未羽の手を取って立ち上がらせ、輪っかがある反対側の縄を急いで自分と未羽の体に巻き付ける。強く縛った。


「けど、大丈夫だ。こんな理不尽な状況だから、きっとお前の父ちゃん母ちゃんが助けてくれる」


 天国にいる未羽の両親がきっと守ってくれると信じて、二人は地面を蹴った。そのすぐあとで、(なた)や縄を持った村人たちが森の中から出てきた。飛び降りた宗治郎と未羽は、橋に近寄って下を覗き込んだ村人と目があった。


 水に叩きつけられるまで、およそ十五メートル弱。死んだと思ってくれと宗治郎は願ったが、村人たちは諦めなかった。

「下流へ回れ」という声を聞いた瞬間、二人の体は水の中に沈んだ。着水の衝撃はほんの少しだけ緩和されていた。

【第2回 豆知識のカモメ】

野うさぎはおいしいらしい


「なんじゃお前さん。堅物そうな顔してうさぎ食ったことあるんか」


「当主様はバカなんですか?」


「ばっ……」


「いち高校生がその辺のうさぎを普通に食べるわけないでしょう。ただの知識ですよ知識。そもそも野兎病が怖いのでぼくは調理も剥皮も絶対しません」


「まーたテストに支障が出るからとか言うんじゃなかろうな」


「毎日の積み重ねあってこそですから。ほら、さっさと出てってください。勉強の邪魔です」


「へぇへぇ、邪魔してすまなんだ」(今度通販で買って見せてやろう)


お読みいただきありがとうございました。


《次回「喰われたか」》

粛善と宗治郎たちが出会います。

どうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ