第18話 言質霊(3)
カモメの説明は無駄と思えるものが一切ない。粛善が話した言質霊の復習をしたあとで、カモメは言霊と言質霊について更なる説明、もとい講義のようなものを行っている。
未羽の体を動かしているのは『言質霊』。
『言質霊』とは『言霊の集合体』――つまり『言霊』が決まった数だけ合わさってできた塊のこと。
『言霊』とは、自分たち人間が『言葉』と呼んでいるものとほぼ同義。正確に言えば、『言葉』に宿る『命』そのもの。『墨師』以外誰にも見えないが、一度覚えれば自分の周りに沢山動き回っている言霊を感じ取れるはず――。
「あなたは霊体を信じますか」
「いや……目に見えないものは信じてないけど」
「じゃあいまから信じてください」
「って言われてもな……」
カモメが食べていいと言ってくれたので、アタッシュケースの中にいっぱい入れてきてくれたチョコを貪りながら話を聞く。
なにかしら役に立てればいいと思って、粛善は言霊の見た目を可能な限り教える。
色は青っぽい白。形は様々。目はついているが口はない。だいたいの個体は頭でっかちで、いまは宗治郎と未羽の周りをくるくる回っている。
しばらく感じ取る練習をしていた宗治郎は、座ったまま急に後退していった。一匹の言霊が宗治郎の膝の上にちょこんと座ったのを粛善は見た。どうやら、カモメの言うとおり存在を感じ取れたようだった。
「ここまでの話は信じてもらえましたか?」
「……百パーセント信じるってのは、ちょっと」
「とりあえずはそれでいいです。形だけ理解してもらえれば、あとは時間が解決してくれるでしょう」
カモメは更に踏み込んだ話に移る。
単体ではなにも悪さをしない『言霊』が、悪さをする『言質霊』になる経緯。カモメは例えばの話ではなく、未羽が言質霊になってしまった今回の件そのものを伝えた。
宗治郎は時間を貰って考える。そして、自分の頭で整理してから、言う。
「じゃあ……未羽が、ほんとに言質霊になってると仮定して」
「なってますけどね」
「仮定して! ……で、言質霊が未羽の中に潜伏した理由は、未羽が『生け贄』っていう言葉を言って、その言葉自体が一匹の『言霊』になったから。その言霊が、『言質霊』になるための最後のピースになった……」
考えながら言っているようで、確信を持っているようにはあまり見えない。カモメもそう思ったのか別の事例を持ち出して再度説明する。
「今回の言質霊化した言霊は『生け贄』ですが、一つ前の言質霊の名前は『ブス』でした」
「……ブス?」
「学生の間でよく使われる相手を見下すための言葉です。こうしたマイナスのイメージを持つ言霊が、のちに言質霊となる力を持っています」
カモメは言う。日本中で使われた『ブス』という言霊は、近くにいる同じ言葉の言霊同士で手を繋ぐのだと。そうして『ブス』という名の『言質霊』に育つまで、同じ言葉が使われるたび手を繋ぎ、大きくなっていく。
ただし大きくなり続けるわけではなく、その言霊ごとに最大値が存在する。例に出した『ブス』の最大値は百。百回分その言葉が同じ周辺で発されると、手を繋いでいた言霊たちが『言質霊』という個体に変わる。
九十九回までは無害だった言霊たちが、百回目の『ブス』という言霊と手を繋ぐことによって、一変して危ない生き物になる。
その危ない生き物である『言質霊』は、百回目の言葉を口にしたその人の中に潜伏し、折を見て近くの人間を喰うよう宿主に語りかける。
そして、人間の一部だけでも喰った瞬間、宿主は人ではなくなって、人間を食い散らかす『完全な言質霊』となる――。
「補足程度の話ですが、同じ人が何回も同じ言葉を言ったとしても、そのたび言霊が生まれたりはしません。一度『ブス』と口にしたらそのときだけ言霊になって、それ以降は命のないただの言葉として終わります。ですから言質霊になるために百の言霊が必要だとすると、言霊が手を繋げていけるくらいの近い地域で、百人が同様に言わなければならないということです」
今度はしっかり理解した宗治郎は、また「未羽が言質霊になってると仮定して」と前置きしてから言う。
「未羽が、作っちまった『生け贄』って名前の言質霊。そいつになるために必要な言霊が百回だとしたら、九十九は別の誰かが口に出していて、最後の百回目を未羽が口にした。未羽が百回目の『生け贄』という言葉に当たったから、未羽のすぐ近くで言霊が言質霊に変わった。で、最後の言霊を作った未羽が言質霊の宿主となった……」
カモメが大きく頷いて「そうです」と言った。宗治郎は先生に褒められたみたいに大袈裟に喜んだ。やっぱり全部カモメが説明したら良かったじゃないかと、粛善は何度目かの考えに至る。
しかし、宗治郎はふと神妙な顔をして、それからわかりやすくしょげていった。
「坊主、どうした」
顔を見てもイマイチ考えがわからない。直接粛善が訊いてみると、宗治郎はのろのろと顔を上げた。
「……言霊は、近くにいる言霊としか手を繋げないんだよな」
「ああ」
「未羽が、今回『生け贄』の言質霊を作ったとしても。いつかはまたどこかで、同じように『生け贄』の言質霊が生まれる。ずっとずっと、言葉のせいで死んじゃう人がいるってことじゃないか」
言質霊にさせた者が、言質霊に体を奪われて死ぬのなら。宗治郎は、いまもどこかで起きているだろう言質霊化の影響に心を痛めていた。
粛善は、自分でも意外なほど感動していた。これまで『カモメ』に助けられながら色んな人に説明を行ってきたが、ほかの言質霊の影響を考える者に出会うのは初めてだった。
つい、口元が緩む。この子はきっと、優しいのだろう。
「そうなる前に、言霊が持つ『力』を封印する」
強く言った。宗治郎が目を大きくする。粛善はできるだけ自信たっぷりな表情をする。
「人間がマイナスな言葉を使わないようにさせるのは、さすがに現実的じゃないからな。各地を回って、言霊が言質霊になるための『力』を前もって吸着する玉を置いている。代々やってる務めだからな、こんな不運に巻き込まれる人も以前に比べてかなり減った」
だからこそ、未羽を言質霊にしてしまったことは詫びなければならない。そもそも、粛善の高祖父が前回封印できていたら、二人はこんな運命に巻き込まれたりしなかったのだから。
自分にできる一番の謝罪をする。宗治郎はしばらく黙っていたが、やがて粛善に顔を上げるよう言った。「アンタのせいじゃないんだろ」と。声も、表情も、頑張ってそう答えているように見えた。
「言っとくけど、俺、未羽を引き渡す気なんかないからな」
宗治郎は眠る未羽の頭に手を置いた。
「アンタらの言ってることはとりあえず理解した。でも、俺は未羽と離れるつもりはない。黒弧があれば人を食べずに済むんだろ。……だったら、もうこのままほっといてくれ。ほかの言質霊になりそうな奴んとこ行って、そいつらを助けてやってくれよ」
宗治郎は、あくまで彼女とともに生きていくつもりらしい。カモメの説明を聞いて、言質霊がなにであるかも認識した上で、しかも、十中八九、彼女が『未羽』ではないとわかっていながら。
焚き火が宗治郎の頬を照らす。初めて会ったころより更に痩せた顔。人を喰えず飢えた未羽のために食べ物を探して駆け回る日々。そんなもの、長くは続くまい。
「娘っ子の魂を解放してやらんといかんのでな。悪いが、その頼みは聞けん」
宗治郎が顔を上げて粛善を見た。警戒の色が浮かんでいた。
「さっきも言ったが、私らは別に娘っ子を傷つけようとしてるんじゃない。言質霊に縛られた娘っ子と、言質霊そのものを助けるために、わざわざこうして話を聞いてもらっとるんだ」
宗治郎の眉がぴくりと動く。「助ける?」と復唱する。カモメが隣で、「そうじゃなければこんな面倒なことしません」とため息をついている。
宗治郎は何度か瞬きをして、しかし粛善を睨みつけた。
「アンタらの『助ける』は、俺と未羽が離れ離れになることを指すんだろ」
「否定はせん」
「だったら、やっぱりほっといてくれ。俺たちは二人で生きる」
会話を切り上げて、宗治郎は未羽を起こそうとする。起こしてどこかへ去ろうとしている。しかし未羽はまだ起きない。粛善の見立てでは、彼女が起きるのは明日の昼ごろだ。
粛善は、「なあ坊主」と宗治郎に呼びかける。やめろと言う代わりに、いまなら効くだろうと思う一つの質問を投げかけた。
「お前さん、愛するもんの体をずっと言質霊に使わせるつもりか?」
宗治郎はピタリと動きを止めた。カモメが隣で、確信を持って頷いた。「やっぱり気づいています」と。宗治郎はもう、意地になっているだけなのだろう。
未羽の形をした言質霊はまだ起きない。誰も喋らず、静寂の中に焚き火の音が大きく聞こえる。少し先にある川の音がかすかに届く。宗治郎が黙りこくっているので、粛善は軽く咳払いをして切り出した。
「まあ、助けるって話は娘っ子が目を覚ましてからでいいだろう。もう夜も遅い。今日は寝ちまって、頭スッキリさせてから二人一緒に聞け。そんで一緒に考えて、一緒に『門』を選べばいい」
そこまで聞いて、ようやく宗治郎は未羽から手を離した。まだ鋭い目つきのままでこちらに顔を向ける。
「最初に会ったときも『門』がなんとかって言ってたな。なんだ、その『門』って」
なんだかんだ覚えていたのかと、粛善は少し嬉しくなる。機嫌が悪いとも悲しそうとも違う難しい表情の宗治郎へ、粛善は笑って答えた。
「故人と言質霊――両方のための『解放の道』。それが『門』だ」
【第18回 豆知識のカモメ】
例題とはいえもう少しマシな言霊を選べなかったのか
「カモメの口からあんな悪い言葉を何度も聞くとはなあ」
「さすがにぼくも躊躇ったんですけど。でもあのアホガリ、全然理解しなかったので」
「アホガリ……」
「アホのガリガリです」
「もう少し食べさせてやらんとなあ。朝ご飯はちとガッツリ系にしてやるか」
「当主様を無意識に虐めるようなヤツに気を使わなくていいんです」
「食べたら気も回るようになるって」
「いいえ、あれは確実にアイツの素です。さっさと終わらせて離れましょう。当主様にこれ以上しんどい思いをさせたくありません」
(カモメがいつも以上に過保護だなあ……)
お読みいただきありがとうございました。
《次回 目覚め》
次の日です。宗治郎お待ちかねの未羽の起床。
よろしくお願いします。




