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墨師  作者: さんれんぼくろ
第一章『旅の目的』
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第16話 言質霊(2)

「待てよ、待ってくれ。とある言葉を言ったから未羽は死んだ? なんだよそれ、俺には意味が……つか、川に落ちたからじゃないのか? だって、川に飛び込むまで俺は未羽と話してたし、一緒に逃げてたんだぞ。ありえない、絶対生きてた」


 宗治郎は自分の記憶にある未羽との最後の会話を粛善(しゅくぜん)に話した。

 彼女はあのとき、川に飛び込むのを躊躇ったのだと。しかし村の追っ手から逃げ切るためにはそうするしかなかった。決意した宗治郎は、未羽の亡き両親が守ってくれると彼女を勇気づけて、高い崖から二人一緒に飛び降りた。川に着水するまで、お互い強く抱き締め合っていたと。


 粛善は否定せずに宗治郎の話を聞いている。その時点で未羽は既に死んでいるなんて言われても、そりゃ信じないだろうと思う。

 人は皆、『言葉』による死を受け入れられない。話して、動いているのなら、なおさら。


「全部を理解してもらえるとは私も思っとらん。ただ、事実は伝えとかんとならんのでな」


 宗治郎が話し終えるまで待ってから、粛善は静かに言う。知らない者に知る者が教えるのはいつだって難しい。


「『言霊(ことだま)の集合体』である『言質霊(げんちれい)』は、その『とある言葉』を言った者の中に潜伏する。そんで頃合いを見計らって、近くにいる生きた人間を喰うよう宿主に語りかけるんだ」


 ちんぷんかんぷんな顔をしている宗治郎に、粛善は終始考えながら続ける。


「例えば……そうだな。お前さん、川に飛び込む前まで頭の怪我はどうなっていた」


 突然の質問に宗治郎は目を瞬(しばたた)かせた。意味をはかりかねているようだったが、突っぱねたりせず自分の後頭部に手を当てる。一つ結びにした髪のすぐ上の辺りをしばらく触ってから答えた。


「血が出てた。流れ落ちるくらい、結構」


「じゃあ、二人で川に飛び込んで流されたあと、目を覚ましたときその傷はどうなっていた」


 宗治郎は頻繁に瞬きをする。あちこち見ながら目をぱちぱちさせて、粛善と初めて会ったあの日を思い出している。


「……塞がってた、と思う。少なくとも痛みはなかった」


 だからなんだと言いたげな宗治郎に、粛善は少し声を低めて「いいか」と言った。


「お前さんの頭の傷が治ったのは、川で流されている間に娘っ子がお前さんの傷を喰ったからだ。娘っ子の中に潜伏していた言質霊が、いまその男を喰えと娘っ子に命じた。既に死者である娘っ子はこの命令に逆らえない。『とある言葉』を言ったせいで半分『言質霊』、半分『死人』状態になっていた娘っ子は、お前の傷を喰ったことで完全な『言質霊』となった。この時点で、もう娘っ子の魂は表へ出られなくなった」


 宗治郎の隣にいる未羽は、もう『未羽』ではない。彼女の体を動かしているのは言質霊だ。再三言ってきたことを、もう一度伝える。

 宗治郎はまだ、信じたくなくて首を横に振る。「違う」と小さな声で言った。


「もし未羽が、言質霊とやらに唆されたとしても。たぶんそれは、未羽が俺を助けようとしたからだ。大怪我したまま水の中に入ったら、出血多量で死ぬから。だから、怪我を治そうとして、それで……」


「もしそうだとしても、そこにいる娘っ子はもうお前の知る娘っ子じゃない」


「嘘だ!」


 宗治郎はアートで作った湯呑みを地面に投げつけた。ちょうど石に当たり、湯呑みが割れる。残り少なくなっていたお茶がぶちまけられる。


「嘘だ、嘘だ! だって未羽は、それ以降も俺と普通に過ごしてた。寝てる間に俺を見てた? だからなんだよ、一度喰われかけたからなんだってんだよ! 食料取れなかった俺が悪いんだ。未羽に寂しい思いをさせた俺が悪いんだ。未羽は言質霊なんかじゃない、未羽はいまでも俺を――」


「丸呑みにされかけたのを忘れましたか」


 カモメのひどく冷たい声色に、喚き散らしていた宗治郎はぴたりと止まった。まだ噛まれた跡が残る羽を動かして、カモメは続ける。


「黒弧(こっこ)を外させるべく腹を切り裂くようあなたに言ったとき、彼女はその傷を治すためにどこか食べさせてくれと頼んだのではありませんか。あなたの髪か、爪か……それとも、皮膚とか」


「……皮膚、を」


「それで? 実際は皮膚ではなく、丸呑みしようとしていた彼女をまだ『未羽』だと言い張るんですか?」


 カモメが苛立ってるなあと粛善は思う。なかなか考えを変えない上にカモメが好きなアートをぶち壊してお茶も無駄にして。カモメの嫌いなことだらけだ。


「川に流される前まで『未羽』本人だったことは否定しません。しかし流されたあと彼女はどうなりましたか。目は死んで、冷たくなり、話せなくなった。死んで間もない動物の生肉を食したために力が活性化して、人を喰わずとも人間に近くなっただけ。彼女は人間ではない。それがなぜわからないんですか」


「嘘だ……」と小さい声がする。宗治郎は頑なに信じようとしない。未羽は怪我を治してくれたんだと言い張る。未羽は悪いことはしていないと。

 ただ、疑念を抱き始めているのは確かだった。先ほどよりも、宗治郎の言葉の勢いが弱い。


「坊主、ちと訊くがな」


 大あくびをする粛善にカモメが個包装のチョコをくれる。眠気覚ましとばかりの甘味を味わってから、宗治郎の疑念を確信に変えるための話に入る。


「二人で過ごしとったこの数日で、娘っ子がお前を喰うとどうなるか、お前は教えてもらえたか」


 宗治郎は膝の上で拳を固く握っていた。作務衣のズボンが引っ張られ、シワが寄った。


「食べたところは白くなるとか、痛くないとか言ってた。苦しくない、とも」


「ほかには?」


 宗治郎からの答えはない。粛善はお茶をすすりながらやっぱりなと思った。

『未羽』の姿をした言質霊は、宗治郎が喰われることによって起こるデメリットをなにも説明していない。

 少し間を置いてから、粛善は続ける。


「娘っ子が言ったとおり、言質霊が喰った場所は白く変色する。喰われたからって痛みもないし、苦しみもない。それは本当だ」


 完全に嘘を伝えていたなら話はもっと簡単だったろう。粛善の言葉に宗治郎は心なしかほっとした顔をしている。その気持ちを捨てさせるために粛善は語調を強くした。


「ただ、それは喰った結果の話だ。言質霊に喰われた場所は、そもそも最初から存在しなかったことになる。怪我を喰ったらお前さんは怪我をしていなかったことになる。喰われたところは感覚がなくなって、触られてもわからなくなるし、その機能自体も失っちまう」


 宗治郎はよくわかっていなさそうな顔をする。

 カモメがため息をつきながら立ち上がって、宗治郎の後ろに回り込んだ。

 顔を上げようとする宗治郎の頭を押さえつけ、喰われたはずの後頭部に手を当てる。訝しげな表情でされるがままになっている宗治郎へ、カモメは言った。


「いま、あなたの傷跡に爪を立てています」


 え、と宗治郎は言った。振り仰いで、後ろに立つカモメへ顔を向ける。カモメの手は本当に宗治郎の頭の後ろあたりで固定されていた。


「わからなかったでしょう。こういう感覚の喪失について、彼女はなにも説明していない。状況が悪くなったら全部喰ってしまえばいいと考えていたからです。彼女があなたの知っている『未羽』だとしたら、こうしたデメリットも含めて説明するんじゃないですか?」


 平静を取り戻したカモメは諭すように言う。宗治郎はもう『嘘だ』とは言わなかった。それでも、彼女を庇うことをやめない。


「か、感覚くらい、別になくたって――」


「五感だったらどうだ」


 嫌な例えだと自分でも思いながら、粛善は宗治郎の言葉に被せるようにして言った。


「喰われたのが、たとえば指だったら? 目は、耳は。皮膚なら触られてもわからない程度で済むが、機能自体を失う以上、影響はもっと顕著になる。物を持てなくなるし、なにも見えない、聞こえない」


 粛善は一層声を低くした。


「お前さん、自分が死ぬより先に、なにもわからなくなるぞ」


 宗治郎の口が少し開いた。言い返そうとして、しかしなにも言葉にならずまた口を閉じる。

 カモメがこちらへ戻ってきて、また粛善の隣に座る。羽の手入れを再開する様子を見て、カモメが喰われたのが羽で良かったと粛善は心の底から思った。


 宗治郎はまだなにも言わない。粛善もとりあえず口を閉じて、宗治郎がしばらく考えるための時間をやる。

 自分の頭で理解させるには、こちらから与えた情報を自ら整理する時間を取らせるといいと教えてくれたのはカモメだ。


「とある言葉って、なんだよ」


 時間を潰すべく、アートの鍋や皿に指で十字を書いて片付けていた粛善に、宗治郎はか細い声で問うた。


「未羽が死んだ原因になった、その『とある言葉』って。呪いの言葉とか、そういうやつか? それで呪詛返しでもされたのか? どっちにしろ未羽はそんなの言ってなかった。死を招くような言葉なんて……」


 縋るような目をしている宗治郎に、粛善は隠すことなく言った。


「『生け贄』だ」


 宗治郎の目が大きくなった。死んでしまったのではと思うほど硬直する宗治郎に、粛善は容赦なく訊く。


「言ってなかったか? 逃げてる最中、娘っ子は、その言葉を」


 覚えがあるのだろう。宗治郎は小さく開けた口を震わせて、それを隠すように手を当てた。「田の神様に捧げる生け贄は……」と、そのときの会話を思い出しながら呟いている。

 全身で震え始める宗治郎は、ついに泣き出した。


「じゃあ、俺があのとき、未羽の誕生日の話なんかしなかったら。生け贄になっても仕方ないって未羽に思わせなければ。生きたいって、死にたくないって、思わせてやれていたら、じゃあ……」


 粛善は、瞼を閉じた。


「生きていたかもしれないな」


 宗治郎は呻き声を上げた。顔を両手でおおって、膝とくっつきそうなほど体を折り曲げている。後悔の叫びが、夜の静けさに木霊する。

【第16回 豆知識のカモメ】

頭を使いすぎて粛善はそろそろ限界


「カモメ……」


「代わりませんよ」


「もう先週も今週も頑張って説明しとるんだ……そろそろカモメが説明してくれ……」


「大丈夫ですよ。ぼくが思っていたよりもずっとわかりやすいです」


「……お前さん、どんだけ私のこと信用してないんだ」


「信用してますよ」


「これでも墨師として三十年は活動しとるんだぞ。ベテランだぞ」


「そのうちのほとんどを『カモメ』に丸投げしていた当主様は果たしてベテランと言っていいのかどうか」


「あんな小難しい話を私が毎回できると思うか」


「思いません」


「そうだろう。だからカモメ、今回私はもう十分に頑張った。あとはお前が……」


「往生際が悪いです」


「頼むよぉ……」


お読みいただきありがとうございました。


《次回 言質霊(2.5)》

で、言質霊とはなんぞや。なお話……をしたいのですがちょっと長くなったので分割。カモメの仏頂面について。

よろしくお願いします。

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