第14話 食事と真実
「はぁー? 私が娘っ子を苦しめるって脅しただぁ?」
自分とカモメ、宗治郎の三人分の食器と鍋をアートで作り出していた粛善は、宗治郎の話にしかめっ面で聞き返した。
周りが暗いのも相まって、手元がブレて最後の皿に瓢箪のような変な持ち手ができた。
人参を乱切りにしていたカモメはキレそうになっている。包丁の刃元がまな板にサックリと刺さった。
「んなもん一言も言っとらんよ。確かに黒弧を通して外すなとは言ったが、それ以外私はなにも言っとらん。カモメと話しながら走ってたんだからな」
粛善が全力で否定すると、焚き火を挟んで向こう側にあぐらを組んでいる宗治郎は目をまん丸にした。隣に寝かせている未羽を見下ろして、目をぱちぱちさせている。
しかし言い分を引っ込めるつもりはないらしく、眉を寄せて粛善を睨みつけた。
「と、とぼけんなよ! 未羽が言ったんだ。アンタの声が、考えが頭に流れ込んでくるって。抵抗したらもっと酷い目にあわせるって、腹を押さえて苦しんでた!」
粛善はもう一度「はぁ?」と返事をする。身に覚えのないことばかり宗治郎が言うからだ。
「腹を押えて苦しんでた? あのとき黒弧は作動しとらんぞ。坊主を喰おうとしたのは黒弧が外れたあとなんだからな」
「だ、だから、抵抗できないようにアンタがその黒弧とやらで締め付けたんだろ!? 俺、見てたんだからな、未羽の腹に巻きついたあの黒いやつが、未羽を――」
堂々巡りになりそうなところで、カモメがバンッと音を立てた。双方びっくりしてカモメを見る。まな板に包丁を突き刺したままの状態で、カモメはまな板の両端を手で叩いていた。
「か、カモメ?」
懸命に落ち着こうとしているのだろう。カモメは細く、長く、息を吐く。ズレた眼鏡をかけ直した。
「やっぱり頭のいい言質霊ですね。一応用意しておいて正解だった」
カモメはジーンズのポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、楕円形の小さな黒い機械。
二つあるボタンのうちの一つをカモメが押すと、ボタンの下にあるいくつかの穴の中からカモメの声が聞こえてきた。そのすぐあとで、粛善のカモメへ向けた返事の声がする。
粛善も宗治郎もぽかんとしてカモメを見つめた。
「ぼくが当主様と合流して、ここへ向かい始めてから言質霊を取り押さえるまでの録音データです。今回の言質霊は人を騙すのが上手そうだったので、当主様の無罪を証明できるようにしておきました」
録音機の存在を知らない宗治郎が不思議がる。
粛善も知らない間に録られていた音声は、カモメの『テストが終わったので様子を見に来ました』という言葉から始まる。カモメの羽音も入っている。
実は高所恐怖症の粛善へ――赫村に行くのを渋ったのも山が苦手なせいだ――もう少しほかにいい場所はなかったのかと訊いている。見守るには打って付けの場所だと、冗談まじりとはいえカモメが教えてくれたからあんな高い木の枝に座っていたというのに。
しばらく粛善からカモメに情報共有をする。ややあってただの雑談に変わり、のんびりとした会話が続く。
「アンタら、似てないけど親子かなんかなのか?」
あまりにも平和で穏やかなやり取りが続くせいか、宗治郎は粛善とカモメの関係について先に尋ねてきた。粛善は「違う違う」と手を振る。しかしどういう関係かと問われると返答に困るのも事実。
当てはまる言葉を探していると、録音データの声が緊張を帯びてきた。
「この辺りからですね」
カモメが粛善と宗治郎に聞くよう言った。
『言質霊の強さは言霊の強さで変わるから』と、未羽の成長について話している最中だった。粛善が突然『おいおい』と叫んだ。
録音の自分は言っている。『あいつ黒弧を外そうとしとるぞ』と。
「これが丁度、あなたが彼女の服を洗い始めたころの会話です。当主様はとても目がいいので、遠くにいるお二人のやり取りを見て行動を開始しました」
カモメは宗治郎へ補足する。水で落ちるわけはないと思ったが、念には念をということで二人がいる川のほうへ粛善は走り出した。
草を踏む音と、カモメの羽音が聞こえる。このときに一度『外すな』と粛善が黒弧へ向かって一言伝えたが、それ以降はカモメの期末テストの話で盛り上がっている。
宗治郎が言うような、未羽を苦しめるだの痛めつけるだのといった脅しの言葉は出てこない。
「じゃあ、未羽はなんで……」
宗治郎が視線をさまよわせる。訊きたくても未羽はいまは昏睡状態だ。黒弧を取り付けてしばらくは目覚めない。
「どうにかして、あなたに黒弧を外させたかったんですよ」
カモメが静かに言った。
「見たところ、相当飢えていますから。黒弧がなければ自由に人を喰えるのに、言質霊は自分の力であれから逃れることができない。黒弧の端を見つけるのが苦手だからです。それであなたに、『早く取らなければ』と思わせる必要があった」
カモメの説明を聞いて、宗治郎は「言質霊……」と繰り返す。そういえばまだ教えてやっていないな、と粛善は思う。
やっぱりカモメが説明するほうがわかりやすいんじゃないかと考えていると、カモメがまた二人の注意を向けさせた。
録音データから聞こえるのは、粛善の『まずい』という緊迫した声。未羽が宗治郎に石で皮膚を削ぎ落とせと命じたのを見て、粛善はそれをカモメに伝えている。
大きな傷をつけられたら、そこに指を突っ込んででも黒弧を引きずり出そうとするだろう。そうしたら、目の前にいる宗治郎を喰うに違いない。そういった話を早口で言っている。
『カモメ、お前のほうが速い。止めてやってくれ』
録音の声を聞いたカモメはなぜか誇らしそうにしていた。
粛善の言葉を最後に、カモメの翼と風の音しか聞こえなくなる。次に聞こえたのは、宗治郎が未羽を切りつけるのを止めたカモメの現状報告だ。『ギリギリでしたよ』という言葉に、宗治郎はようやく自分の知っている光景と録音が結びついたらしい。「ああ」と言っている。
録音を最後まで再生しても、未羽が聞いたという粛善の暴言はどこにもなかった。
「どうですか。疑いは晴れましたか」
茫然自失となっている宗治郎へ、カモメは作業に戻りながら問いかける。いつまで経っても返答がないので、カモメは勝手に「晴れましたね」と言った。
「……だって」
宗治郎はまた泣き出した。
「だって、未羽は、あんなに苦しそうで。痛そうで」
首を小さく横に振っている宗治郎へ、粛善は上着をアートで作って渡してやった。作務衣を未羽に着せているせいでシャツ一枚なのだと、ようやく思い至ったからだ。
「おおかた、あの動く髪を腹に巻いて、自分で締め付けとったんだろうよ」
宗治郎が勢いよく顔を上げる。信じられないといった顔だった。
「なんで、そんなこと」
「カモメが言ったろ。逃れるためだ。お前に黒弧を外す手伝いをさせたかった。私が娘っ子を脅していると思わせて、説得力を持たせるために自ら自分の体を痛めつけた」
パチリと焚き火が音を鳴らした。
宗治郎はまだ首を横に振っている。
どこまでも、彼女の言動を信じている。
「もう一回言うぞ。黒弧が娘っ子を締め付けるのは、人を喰おうとしたときだけだ。私が娘っ子を傷つけるとしたら、黒弧でも止められずに誰かを喰おうとしたときだけだ」
粛善は落ち着いて言った。「お前さん、一度見とるだろう」と。黒弧の効果と、ついさっきまで見ていたその締め付け方は同じだったかと訊く。
宗治郎は、首を振って否定するのを次第にやめていった。そして、眠る未羽を見下ろした。それからなにも喋らなくなった。
「まあ、とりあえず飯でも食おうや」
話している間にカモメが用意してくれていたシチューの材料を鍋へ放り込む。炒めて油が回り始めると、肉と野菜の食欲を誘う香りがした。しかし宗治郎はまた首を振る。
「俺、一応さっき食べたから」
カモメがムッとしたのがわかった。
「お腹いっぱいなんですか」
あんまり突っかからなければいいと思いながら見守る。宗治郎は首を曖昧に傾けた。
「最低限……だけど。あんま食べすぎるとさ、また食にありつけなかったとき空腹に耐えるのがしんどいから」
「なんですか、それ。むしろ食べられるときに食べておくべきでしょう。そうじゃないと本当に必要なときに参ってしまいますよ」
なら問題ないと、カモメは三人分の水を川から汲んで帰ってくる。鍋に入れて、煮込んでいる間は粛善の隣に座った。
私服に似合わないアタッシュケースの中から、袋に入ったフランスパンとロールパンを出してくる。どちらにするか粛善に選ばせるくせに、カモメの視線はフランスパンに向いている。
和気あいあいと食事の用意を進める粛善たちへ、宗治郎が言いにくそうに訊いた。
「それで、あの……二人の関係って……」
親子でもないし、友だちというには歳が相当離れているのではないか、と。粛善はシチューをかき混ぜながら変な顔をした。
「どんな関係でも別に良くないか?」
「いや、ごめん、ほんとそうなんだけど。なんて言うか、その……村の掟でさ。触れるほど親密になるのは婚約した人とだけっていうのがあって。破ったら結構厳しい罰があったから、つい……」
村を出てもなお、『掟』に縛られる宗治郎を粛善は哀れに思った。
粛善は再び考えを巡らせる。友だちよりは、まだ家族に近いだろう。粛善はカモメを赤ん坊のころから知っているし、カモメも幼いころから粛善と一緒にいる。とはいえ、親戚でもなければご近所さんというわけでもない。
悩んだ粛善はカモメに助けを求めた。顔を向けてみると、カモメと目がぱっちり合う。眼鏡の奥で、切れ長の瞳が楽しそうに笑った。
「ぼくは記録媒体で、当主様が本体です」
「うん、間違ってないけど違うな」
たまにこういうボケをかますんだよなと思いながら、優秀なサポーターの頭を指で小突いた。ちょっと子ども扱いしているだけなのに、宗治郎の視線が痛い。
出来上がったクリームシチューをよそって、フランスパンも皿に載せて宗治郎へ渡す。カモメが粛善の分と自分の分を用意して、焚き火を囲んだまま遅い夕食をとった。
結局、適切な表現は見つからなかった。
『墨師』と『カモメ』。お役目をともにこなし、どちらかが死ぬか次の代に引き継ぐまで手を離すことは許されない。
契約に縛られるこの関係を――縛ってもらえる関係を、一言で言い表すのは難しい。
【第14回 豆知識のカモメ】
食材は現地調達かカモメに頼んで持ってきてもらう
「こんな山奥に入るのも滅多にないからなあ」
「基本は現地調達ですよね。食材を持ち歩くのは大変ですし」
「頑張って歩けば店を見つけられるくらいのところまでしか行かないしなあ」
「そういえば、当主様が前にお気に入りだって言っていたチョコレート専門店、潰れてましたよ」
「はあ!? ほんとか、カモメ、いつの間に!」
「しばらく当主様の行動範囲に入らないなと思って、今日学校の帰りに行ってきたんです。お土産にしようと思って。そうしたら」
「そうしたら?」
「猫カフェになってました」
「…………」
「当主様。猫カフェです」
「チョコは……」
「猫カフェです」
「私の好きな『とろけるチョコぴー』は……」
「残念ながら」
「うそだ……うそだと言ってくれよ、カモメぇ……」
「当主様。変わらないものなんてないんですよ」
「正論を叩きつけるのはやめてくれぇ……」
お読みいただきありがとうございました。
《次回 言質霊(1)》
サブタイトル続きます。粛善が嫌がる言質霊の説明開始。
どうぞよろしくお願いします。




