↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墨師  作者: さんれんぼくろ
第一章『旅の目的』
13/21

第13話 再会(3)

 食べた。食べてしまった。

 放られた勢いのまま宗治郎は地面を転がった。三回転ほどしたところでようやく止まったが、恐怖で青年のほうを見ることができない。

 生きてるわけがない。あんなに大きな口で、牙で、歯で、上半身を丸ごと喰われたら。あの青年はもう――。


「だから外すなと言ったんだ」


 吐きそうになって口を手で押えていると、すぐ近くで男の声がした。水滴が水に跳ねるような、ぽちゃんという柔らかい音が聞こえた。


 見上げれば、あの男がいた。未羽に黒いものを巻き付けた、銀鼠色の長髪をした中年の男が、竹刀袋から自分の背丈ほどもある『筆』を取り出して、宗治郎の前を横切っていく。歩くたびに水滴の音がする。


「アンタ……あいつの……」


 ほとんど音にならない声で訊く。家族か。仲間か。

 どういう関係かは知る由もない。ただ、状況が状況だけに、あの青年が死んだのは宗治郎のせいだとこの男は気づいているはずだ。


 しかし男はこちらを見もしない。筆を持たない左手で左の耳を覆い、口を動かしている。「じっとしていろ」と、宗治郎ではない誰かに言った。


「創作の時間だ」


 筆を大きく振って、なにもない場所に絵を描いていく。どうやって空中に描いているのか、宗治郎にはわからない。

 わかるのは、空中に素早く描かれた絵のことだけ。力強く燃え上がる、真っ黒な炎。それが、一度も筆を離すことなく空中で描き上げられた。

 途端、芋虫状になった未羽が仰け反っておぞましい声を上げた。


 宗治郎は、男がなにをしたのか知ろうとした。しかし見たものをそのまま受け入れることはできない。


 男は黒い炎を描き上げたあと、筆をひと振りして、墨汁のような黒い水を未羽へ一滴だけ落としたのだ。するとそこを起点として、未羽の体に黒い炎が立ち上った。

 絵だったはずの炎が急に本物の炎となって、芋虫状の未羽の後ろ半分を焼いている。とても未羽とは思えない声を上げながら、彼女はその場でのたうち回っている。


「やめろ……」


 声が掠れて、炎の音と未羽の奇声にかき消される。

 やめてくれ。未羽を焼かないでくれ。でも、未羽を止める方法が焼き殺すしかないのなら、どうか苦しめずに一思いにやってくれ。


 相反する気持ちを抱きながら、宗治郎は炎と未羽を見続けた。未羽はまだ、青年の上半身に噛み付いたままだ。未羽が激しく動くせいで、青年の足が地面から浮いてぶんぶん振り回されている。


 男は筆を再度動かした。針のように先端が細い棒をいくつも描いて、筆で叩き飛ばした。未羽の牙と唇らしき場所の間に刺さって、じわじわ押し広げていく。未羽の口が緩んだように見えた直後、黒い炎の追撃があった。


 未羽はついに、食っていた青年を吐き出した。

 男は中年とは思えない身軽さで走って跳び、宙から降ってくる青年をキャッチして転がった。青年を抱えて起き上がり、「カモメ」と呼びかけている。


 吐き出された青年は急に咳き込み出した。食われている間、上手く呼吸ができなかったのだろう。顔にベッタリくっついた未羽の唾液の一部が飛んだ。

 男の体に隠れているが、青年の背中からは翼が生えているように見えた。


「生きてる……」


 男が青年の安否を確認するのを聞きながら、宗治郎は呟いた。

 生きている。死んだと思われた青年は、未羽に食われながらも生きていた。

 安堵して、ようやく二人の言葉が鮮明に聞こえるようになる。「ひとりで行かせてすまんかった」と謝る男に、青年は男の腰の心配なんかしている。


 会話をしながら筆の先を地面に押し付け、長方形を描いてタオルを作り出す。呼吸の落ち着きを取り戻した青年の顔を男は拭いてやっている。


「本当に怪我してないか」

「はい。当主様が教えてくださったので」

「どこも喰われてないか」

「防御で羽をやられましたが、すぐ生え変わるので大丈夫です」


 何度平気だと言われても安心しないらしく、男は青年の頭から足先までぺたぺたと触って確かめていった。

 表面は無事だと確信して、次に青年の服の中を覗こうとする。青年が男の手をぱちんと音を立てて払い、宗治郎に指先を向けた。


「それです。それがあのときコイツに泣かれた原因です」


「これか」


「デリカシーがないんですよ。簡単に人の肌を見てはいけません。コンプレックスに関わることも避けるべきです」


 青年の忠告を男はなるほど、と真剣な顔で聞いている。青年はまるで子どもに教えるかのように懇切丁寧に説明する。しかし説明の途中で、芋虫状の未羽が宗治郎のほうへ這いずってきたのを見た瞬間、青年は男から離れ、宗治郎の腕を掴んで空へ飛び上がった。


 未羽の口が宗治郎を捕え損ね、激突した木がメキメキいいながら倒れていった。

 羽ばたく音が聞こえる。自分はいま、青年に掴まれて飛んでいる。でも、いや、まさか、本物の翼なわけはない。


「アンタら、いったい……」


 何者なのか訊こうとすると、未羽の芋虫状の頭から髪が生えてきた。その髪が、空を飛ぶ鳥を食べようとして突き刺したときと同じように、鋭利になってこちらへ飛んでくる。


 青年が宗治郎を連れたままひらりと躱し、それから男の黒い炎がその髪を燃やした。見れば、新たな絵を描いている。ビー玉のような丸に一本足した絵を筆で叩き飛ばして、未羽の髪に当てている。当たった瞬間、そこで爆発が起きて煙が周りを覆った。


 青年が宗治郎を荒々しく木の枝に着地させる。男はやはり中年とは思えない身軽さでジャンプして、宗治郎のすぐ近くにある枝に飛び乗った。


「坊主、聞いてくれ」


 男が筆を構えたままこちらに顔を向ける。

 宗治郎と目を合わせ、シワの目立つ口元に笑みを作った。


「もう一回、娘っ子に黒弧(こっこ)を取り付ける。黒弧があれば、娘っ子はこんな姿にならんで済む。人も喰えん。だから、今度は外そうとしないでくれよ」


 声も、表情も、あまりにも優しかった。

 コッコというのが、おそらくあの黒い絵のことだろうと判断する。あれを付けられたら、未羽はまた、人を食べようとした瞬間苦しむのだろう。痙攣して、もがいて、泣くのだろう。それでも。


「……お願いします」


 鼻がツンとして、目が熱い。宗治郎は決心して頷いた。

 未羽を人殺しにさせたくない。こんな姿にさせておきたくない。コッコが付けてあったときの、平和で普通な未羽に戻ってほしかった。


 煙が薄れてきたころ、男が筆を動かした。月のような絵を描いて、輪投げのように筆を横に振る。月の形にくり抜かれた黒い絵がくるくると回りながら飛んでいく。


 宗治郎たちを探してキョロキョロしていた未羽の胴体に月がかかった。独りでに輪が縮んで、芋虫状の胴にくびれができる。それからすぐに、押し出されたような形で人の姿をした未羽が芋虫の背中を突き破って出てきた。セミの羽化のように見えた。


 男は筆を竹刀袋に戻して担ぎ、芋虫のくびれ部分に軽やかに降り立った。

 まだ下半身が芋虫の中にある未羽を男が引っ張り出す。未羽の体が完全に外に出ると、芋虫の体は空気の抜けたボールのように縮んでいった。


「いまの光景を見ても、彼女を『人』だと思えるんですか」


 涙が止まらなくなる宗治郎へ、空を飛ぶ青年は呆れたような口調で言った。

 青年が言いたいことはわかる。実際、青年を食べようとして芋虫状になってからというもの、宗治郎は未羽を以前の未羽としては見れなくなっていた。


 男が助け出してくれた未羽も、黒い肌に六本の牙が生えた、未羽の顔をした未羽ではない女の子に思える。しかし、人ではないと言ってはいけない気がした。


「思うよ」


 自分に言い聞かせるように言う。未羽がどんな姿になろうと、未羽は未羽だ。


「重症ですね」


 カモメと呼ばれたその青年は言った。


「ぼくからすれば、言霊(ことだま)をはべらせた人喰い花にしか見えませんが」


 反論する気力も、『言霊』がなにか聞き返す余力もない。宗治郎は涙でぼやける視界で未羽を見つめた。


 男に抱きかかえられた未羽は気を失っていた。取ったはずの黒い蛇のような絵がまた体に描かれていて、石で切り裂いた怪我は同様に細く黒いもので縫合されていた。縮んだ芋虫の体は完全に消えていた。

【第13回 豆知識のカモメ】

カモメ命名『リンゴ爆弾』


「ビー玉のような丸に一本足した絵……なるほどなあ、そうか、坊主には爆弾に見えなかったか」


「当主様のアートって、ちょっと特殊ですから」


「え、変か?」


「変ではありませんよ。創作物は誰とも被ることはありませんし。ただ、『爆弾』と思って描くならやはり導火線に火がついているのがイメージとして強いような気がして」


「筆がちゃんと『爆弾』として認識してくれたから、なんも疑問に思わんかった」


「ぼくにはりんごのように見えました」


「葉っぱついてなかったろ」


「でもりんごに見えました。創作タイトルは『リンゴ爆弾』でどうですか」


「んぐ……いや、爆弾で……でもカモメがそう言うならやっぱりりんごだったのか……」


「決定ですね。今後も使いましょう、『リンゴ爆弾』」


「そりゃ描くのは楽だけどさあ」


挿絵(By みてみん)


お読みいただきありがとうございました。


《次回 食事と真実》

粛善の視点に移ります。

ようやく話を聞く気になった宗治郎へ、ご飯をもう一度振舞ってみる。

どうぞよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。