第12話 再会(2)
「宗ちゃんを食べればいいの」
未羽はより真剣に宗治郎を見つめた。
「この黒いの外せたら、私は宗ちゃんを食べられるようになるから。外したあとで、宗ちゃんのお腹の辺りの皮膚を食べさせて。そしたら私、怪我治るから」
未羽は宗治郎が口を開く間を与えずに続けた。
「知ってるでしょ? 宗ちゃんの頭の怪我を食べたこと。あれと同じなの。私が食べたところは白くなる。でも宗ちゃんは痛くない。しんどくもならない。私は宗ちゃんの一部をもらって、宗ちゃんの力で怪我を治すの」
未羽は宗治郎が理解していないことをわかっているはずだった。煩わしそうな顔をしていたからだ。しかし詳しい説明をしようとしない。
あの男が来ているだろう方向をちらりと見た未羽は、もう一度石を自分の腹へ押し当てた。切っ先が未羽の皮膚に穴をあける。ぷくりと小さな赤い点が傷口から盛り上がる。
「ごめんね、宗ちゃん。わかんないよね」
か細い声で未羽が言った。
「本当はもっとしっかり説明したいの。宗ちゃんの不安も取り除きたいの。でも、もう時間がない」
宗治郎の震える手を未羽は力を込めて握った。震えが最小限になって、そのまま未羽の腹に引き込まれていく。溢れる血が増えていく。
「このままじゃアイツに見つかる。早くこの黒いのを外して逃げなきゃ。隠れなきゃだから」
未羽は、宗治郎の胸に顔を埋めた。
「私はもう、苦しいのは嫌だよ」
その言葉が、決め手となった。
宗治郎は未羽の説明のほとんどを理解していなかった。未羽の体を引き裂いて平気だとは思えない。
宗治郎の頭の怪我を食べたことは、あの男の反応でなんとなく察してはいたが、鏡で見たわけでもないから白くなっていることも知らなかった。
それに、一部をもらって怪我を治すというのも、よくわからない。でも、
「これ噛んでろ」
先ほど切り取った未羽の服をかき集めて、未羽が食いしばれるように口に挟んでやる。
宗治郎がしようとしていることは、愛する人を傷つける行為だ。未羽本人からの頼みとはいえ、その事実は変わらない。あの男がしていることと同じだ。
それでも宗治郎は、未羽と一緒にいられる道を選んだ。未羽に痛い思いをさせたとしても、あの男から逃れ、この先も二人でいられるように。
最終確認として、未羽に「大丈夫なんだな」と訊く。未羽は大きく頷いた。
これまで一度も経験したことのないほど、心臓の動きが大きく、早かった。全身で脈打っているかのようだった。
短い呼吸を何度も繰り返す。細かく震える手が石を取り落としそうになる。それをしっかりと握り直して、宗治郎は未羽の肌に石を添わせる。
蛇のような黒い絵が、皮膚にだけ侵食しているようにと祈りながら、宗治郎は未羽の柔肌へ石を差し入れようとした。と、その瞬間。
「ギリギリでしたよ、当主様」
眼鏡をかけた黒髪の青年がどこからともなく現れた。すらりと長い指が宗治郎の手首を掴んで、未羽を切りつけるのを止めている。端整な顔立ちのその青年は宗治郎を見下ろして、まるで汚物を見るかのように表情を歪ませた。
「邪魔すんなよ……」
声が掠れた。
「誰だよ、アンタ。手ぇ離せよ。どけよ」
青年の手を振り払おうとするも、宗治郎の細腕ではびくともしない。青年はますます顔を歪ませた。
「お前はいつまで駄々をこねるつもりだ」
青年の感情を押し殺したような声が降ってくる。冷ややかな視線が宗治郎の体を強張らせた。
「当主様はもう十分に待たれた。いい加減現実を見ろよ」
青年は宗治郎から石をひったくった。茂みの奥へ投げ捨ててから宗治郎を掴む手を離す。青年を睨んでいる未羽の前で屈み、腹部の傷を確かめ始めた。
「未羽に触んな!」
渾身の力で押し飛ばしても、青年は多少ぐらついた程度で膝をつきもしなかった。青年は苛立ちの声と一緒にため息を吐いた。喉の奥でノイズが入ったような音だった。
「触ってない。いいから邪魔しないでください」
「じゃあ近づくな、未羽から離れろ!」
全てが敵に見えた。青年がなにをしているかなんて考えられなかった。もう少しで、あの男がここにやって来る。早く逃げなくちゃいけない。こんな見ず知らずのやつに邪魔されては堪らない。
青年を未羽から引き離すべく掴みかかると、青年がキレた。宗治郎の手を難なく往なし、腕を背中に回させて地面に押し倒される。
うつ伏せのまま、宗治郎は青年の膝に押さえられて動けなくなった。
「わかっています。怪我はさせません」
青年は急に独り言を言い始めた。訝しく思って無理やり首を捻って青年を見る。視界ギリギリに入った青年は、片耳を手で押えていた。
「言質霊ですが、深い刺し傷は見当たりませんでした。ただ一部切れているようで、少しの流血があります。後ほど治療を……え?」
青年は見えない誰かに返答されたかのように黙りこくった。そして、
「髪――」
青年が呟いたと同時、宗治郎の前方でずるりと音がした。宗治郎は顔をそちらに向ける。未羽の髪が、根元から動いていた。
髪はいくつかの束に分かれ、先を細くして未羽の腹の浅い傷口へ入っていく。体内まで侵食していたのだろう黒い蛇のような絵を掴んで、小さな切り傷から無理やり外へ引きずり出した。
長く黒いものと一緒に、大量の血が飛び散った。
宗治郎は悲鳴を上げそうになった。わかっていたことだ。未羽の考えを実行すれば未羽が無事では済まないことなどわかっていた。それでも、頭での理解と現実に目にするショックは全くの別次元だった。
未羽は口に挟んだ布を噛んで堪えている。
虚ろな目でこちらを見て、肩を上下させている。
引きずり出された黒い絵は、未羽から離れた途端に霧となって広がった。外側から雨のように変わって落ちていって、地面に染み込んで、消えた。
「逃げろ」
宗治郎は未羽へ言った。
「早く怪我を治して逃げろ! できるんだろ!? いますぐ俺を食ってアイツから――」
言い切るより先に、牙が宗治郎の目の前に来た。
昼間に錯覚で見た、顔全体に牙がある化け物の口。今度は錯覚じゃない。
未羽の体が巨大な芋虫のようになって、宗治郎に影を作っている。大きすぎて、うつ伏せになっている宗治郎には芋虫の全体を見ることはできなかった。
――食べるのは、俺の腹の皮膚じゃなかったのか。
スローモーションになって迫ってくる牙を見つめながら、宗治郎はそんなことを思った。
いや、なにかの間違いだ。未羽が自分を殺そうとするはずがない。彼女は言ったじゃないか。食べた部分は白くなるのだと。痛くもないし、苦しくもない。なぜなのかは理解できないが、確かにそう言っていた。
そもそも、宗治郎を食べようとしていたわけではないのかもしれない。未羽は宗治郎を押さえつけているこの青年を食べようとしているのではないか。
宗治郎を守ろうとして、それで、偶然彼女の口の範囲に宗治郎が入ってしまっていた。そうだ、そのはずだ。だって未羽は、宗治郎を食べようとするとき毎回確認を取っていたじゃないか。
未羽の行為を肯定できる理由が、宗治郎に牙が刺さる数秒の間に奔流のように思いつく。それでも、思わずにはいられない。
あの黒いものがあってもなくても、お腹が膨れていてもいなくても、未羽は――人を食べることをやめないのではないか、と。
「ちっ……!」
青年の声が聞こえた。宗治郎を押さえつけていた青年の膝が離れ、宗治郎はシャツを掴まれて後ろへ放り投げられる。未羽の牙が遠のいて、宗治郎がついさっきまでいたその場所の光景が目に映る。
化け物の口が、青年の上半身に噛み付いたところだった。宗治郎が地面に体を打ち付けるまで、宗治郎はその様子を呆気に取られて見ていた。
【第12回 豆知識のカモメ】
粛善は目がいい。ゆえに見ている。
「あんっなどデカい芋虫のヨダレまみれのすきっ歯の中にカモメを入れたらあとでなんて言われるか! やめろやめろ、噛むな、喰うな、そんな汚い牙を潔癖じみたカモメに突きつけたら、ほら、あーっ! すんっごい顔しとる!!」
(当主様うるさい……)
お読みいただきありがとうございました。
《次回 再会(3)》
サブタイトル終了です。喰われたカモメとその後。
どうぞよろしくお願いします。




