第6話 すれ違いの先
期末テストはなんとか切り抜けたようで、補習の名前リストには載らなかった。
夏休みにも予備校の模試を学校経由で受けさせられるが、遊園地デートがその後ということもあって、勉強のモチベーションは下がることはなかった。
そんなことよりも、だ。
ダブルデートまでの一ヶ月、二人の間には、なんとも言えない空気が流れていた。
石段を登る足取りが重い。
日傘の影に出来るだけ入るように、傘の角度を調整するのに忙しかった。
56段の壁は急に厚くなった気がする。
こんなところで足を滑らせて手をついた日には、手がステーキになってしまう。
肩にかけた大きなクーラーボックスには飲み物を何本か持ってきたが、すでに1本は飲み切ってしまっている。
石段を登りきる頃には頭が朦朧とした。
うだるような暑さのせいか、俺が肩をたたくまで、千早はベンチの後ろの草むらをぼんやり眺めていた。
最近はいつもそうだ。
蒸し風呂みたいな暑さだから、頭が働かないのだと自分に言い聞かせ、千早を涼しい建物に連れて行こうとしても頑なに動こうとしない。
ただ時々思い出したように、限界がきてスカートを思い切りバサバサさせるのは、目のやり場に困った。
千早の体は触れるとびっくりするほど熱く、熱中症になるんじゃないかと心配するくらいだったが、千早の肌はシミ一つなく白かった。
それでも、直接日に当たるのは女の子は気になるはずだ。
俺は千早が日に当たらないように足元に傘を広げたまま立てかけた。
上半身は木陰に入っているから、まだマシなはずだ。
「何飲む?」
クーラーボックスに入れて冷やしておいたタオルを千早に差し出し、聞いた。
「いいの?じゃあ、水」
千早は顔をタオルにうずめ、気持ちよさそうな顔をした。
「はい」
前にジュースや麦茶を選んだこともあったが、余計のどが渇くからと水ばかりを選ぶようになった。
千早はお礼を言い、水を一口飲むと深い溜息をついた。
「お返し、どうぞ」
千早はそう言うと、赤いヤマボウシの実を手渡してきた。
「今が食べ頃なんだ」
そう言って千早は一つ指で摘み、俺の唇に押し当てた。
少し前はヤマモモだった。
唇を開き、実を口に入れると、千早の指が唇に触れた。千早の指が離れると、自分の手で鼻と口元を隠すのが、癖になってしまった。
鼻の穴が膨らみ、口元が歪むのを抑えられないからだ。
生温く、ねっとりとした甘さが口に広がる。
「めちゃうまい」
「皮と種は食べられないから」
そう言うと、千早は手のひらを俺の口元に差し出した。
「汚れるから」
俺は慌てて自分の指で摘みだし、草むらにポイッと投げた。
指先をペットボトルの水で洗い流し、千早を見ると、手を引っ込め、また少し考え事をしているようだった。
残ったヤマボウシをクーラーボックスにしまい、俺はスマホを取り出した。
「千早、前に遊園地に一度も行ったことないって言ってたよな?どんな場所か知れば、ワクワクするかと思って。今度行く所は当日のお楽しみってことでさ、他の遊園地のサイトとか動画、見ない?」
「いいけど」
千早は興味が持てないのか、返事はどこか上の空だ。
「どうして叫ぶほど怖そうなのに、乗っている人はなんで笑っているのかしら」
日本一怖いジェットコースターの動画を千早に見せても、本当に不思議そうな顔をした。
「今度行く所は、ここまで激しいのはないから」
「ふぅん?」
無理に誘って連れて行っても、千早は笑ってくれないかもしれない。
ダブルデートを提案したことを後悔し始めていた。
「もしかして高いところ苦手?」
「景色が遠くまで見えるから好きよ。ただ…」
「ただ?」
「あまりに速いとゆっくり景色が楽しめないじゃない。だからこれはあまり好きじゃないかも」
千早は動画を指さして、そう言った。
「ゆっくり景色を眺めるものも、あるから…」
俺は声を落として言った。
「陽太」
千早は手を引いて立ち上がらせ、日の当たるところに俺を引っ張った。
はずみで、日傘が持ち手を軸にコロコロと転がった。
「ここからの景色どう思う?」
石段のところまで連れていき、千早は俺に顔を向けた。
学校の屋上から見えるくらいの高さで、空は大きな入道雲に、遠くには電車の線路が横に長く伸びていて、その足元には、住宅地がひしめき合っていた。
「いい眺めだと思うよ」
何の変哲もない、遊び場所のほとんどない、ベッドタウンが広がっていた。
「私も好き」
そう言うと千早は握っていた手をさらにぎゅっと握り、俺の顔を覗き込んだ。
なんだか噛みしめているように目が少しうるんでいた。
思わず唾を飲み込んだ。ひどくのどが渇く。
「ねぇ、遊園地ってどんな服で行けばいいのかな?陽太のおすすめの恰好、教えて?」
千早はいつも制服で、それがとてつもなく似合っていたので、私服姿なんて想像したことがなかった。そもそも休みに会う女友達がいたことがなかったので、考えつきもしなかった。
「えー…と、動きやすい服がいいと思う」
俺たちは境内の脇で、全身が日陰に入る場所を見つけ、体をぴったり寄せて小さな画面を見た。
何を着ても似合いそうな気がする分、何を勧めたらいいか分からなかった。
ファッションコーディネートサイトやら、SNSやらを検索して一覧に出てくるものを順番に見ていった。
「色だけじゃなくて、みんな違っていてかわいいわね」
千早は熱心に見て、時々スマホを指でスライドし始めた。
いつも制服だから服なんて興味ないかと思っていたが、勘違いだったようだ。
「服好きなの?」
「そうね。こんなに種類あるなんて知らなかったわ」
目を輝かせて、真剣に見ていて、なんだか嬉しくなった。
「なぁに?なんで笑ってるの?」
「別に」
顔もほてり、汗をぬぐうように腕で額をこすった。千早の好きなものを食べ物以外で見つけられて嬉しくなった。
千早はかなり浮かれていたように思う。
この形の服で、あの色が素敵とか、着ていく服を何にするか、顔を紅潮させて語っていた。
千早も遊園地に行くのが楽しみだと言ってくれた。
俺は石段を降りながら、何度か振り返った。
石段のてっぺんが見えなくなるまで、千早は俺に手を振っていた。
千早と別れ、来た時よりも軽くなったクーラーボックスを手に、俺は千早がどんな服で来るのか、楽しみになった。
重苦しかった気分が今は感じられない。
コンビニを通り過ぎるとき、自動ドアが開き、冷たい風が心地よかった。
コンビニから出てきたのは女子高生だろうか。
無意識に目を向けると、その制服は紺色のセーラー服だった。
よく見ると、デザインは千早の制服とよく似ていた。




