第2話 彼女ができた翌日
彼女ができた。
興奮のあまり、寝られなかった。
おかげで目がショボショボするし、寝不足で頭がぼんやりする。それでも、気分はずっとふわふわして、地に足がついてない感じだ。
昨日はどうやって別れたんだっけ……?
……
…そうだ。ヘタレたせいで、よろしくと挨拶した後、また明日来ますと俺が言ったんだ。
そしたら、彼女——千早が微笑んで手を振ってくれたんだったな……
千早……と心の中で呼び捨てにするだけでも胸が苦しくなり、顔が赤くなるのが分かる。異性を呼び捨てにするのは実に幼稚園以来だ。
初対面なのに、俺はすっかり心奪われている。何しろ可愛いのだ。これからもっと仲良くなっていけるのかと思うとニヤニヤが止まらなかった。
俺は今日も会いに行くと決めた。
時計をチラリと見る。
しくった。
この時間だと朝会いに行くには無理そうだ。
学校に間に合わない。
いや待て。
千早も制服を着てたじゃないか。学校前に来ることなんてあるのだろうか。朝練のある部活とか入っているなら無理そうだし……よし、昨日と同じ時間に行ってみよう。
正直、俺は千早が神様だなんて考えていない。かといって、俺に一目ぼれしてきたのかと思えるほど、自惚れるつもりはない。
いや、でも。
なくはないのかもしれない。
あるいは、少し変わった考え方の子なのかもしれない。
ドラマチックに考えると、シチュエーションとしては悪くないのかも…?
俺みたいに運命の人を求めていたりしたのかも…?
それに…
……
やらかした。
また失態を犯してしまったことに気づいた。
なんで連絡先を聞いてないんだ。
昨日は千早と付き合うことになって浮かれすぎていた。
今どき学生ならスマホくらいもっているはずなのに……
神様だという突拍子もない言葉に流されて、恥ずかしくて、そそくさと帰ってしまった昨日の自分を恨んだ。
いやいや、逆に考えろ。
今、思いついて良かったじゃないか。
告白シーンを半日も噛みしめることができたのだから。
結局、からかいかもと思いながらも、浮かれ、緊張していたんだ。
…あぁ、でも。
…からかい、だったらどうしよう。
…いや、それこそ、だ。
それは今日行って確かめよう。
会って、それでちゃんと確認して、それで……
……昨日の今日で何を話そう?
ソワソワするのが止められなかった。目の前にヒラヒラと単語帳が揺れ、話しかけられた。
「ずっと上の空じゃね?五月病か?」
「いやいやいや……分かる?」
「小テストの単語確認したいって言い出したの、お前だろ。これなら一人でやっても変わんなくね?」
その言葉にハッとする。
「いや、マジごめん。続けて」
要領のいい佐藤は数少ない友人だ。俺より頭もよく、気がきく奴だ。出席番号が近く、1年生の時に話しかけられ、なんだかんだ仲良くしている。
「たぶんこれとこれは出そう。そこの英文も」
英単語の小テストなんて、全部覚えるしかないのは分かっているが、宿題に追われ、単語の暗記まで行き着かなかった。何より昨日の出来事で、すっかり忘れていた。
佐藤は勘がいいのか、先生の出しそうなものが分かるのか、たいてい上位の成績を取っている。前に勉強方法を聞いた時なんて、
「授業聞いてたらわかるだろ、こことここの問題抑えときゃいいんだよ」
とだるそうに言われた。半信半疑で言われた通りにしたら、その部分が本当にテストに出たのだ。自分の全部の問題解く勉強法より点数は上がった。
認めたくなかったが、こういう本質を捉えるのが上手い人間が頭がいいやつなんだろうなと思う。
俺はそっち側の人間ではない。
かといって、佐藤に頼りっぱなしも悪いし悔しいので、いざという時だけ頼ることにしている。
佐藤にお礼を言い、授業が始まるまでの短い間で必死に頭に叩き込む。そのおかげでなんとか追試は免れた。先生が優しいのか、10問中6問以下しかできなかった生徒は放課後できるまで居残りさせるのだ。今までは50%の確率で居残りをさせられていた。
でも今日は、いや、今後も居残りをするわけにはいかない。
「今日の小テスト、サンキュー」
「お、今日は追試なしか?」
「おかげさまでね」
「そりゃどーも」
放課後になり、佐藤はスマホをいじり、けだるそうにしていた。
俺は手早く荷物をまとめていた。
「今日どっか寄ってかねー?」
珍しく佐藤が俺を誘ってきた。
「彼女は?」
「なんか急に用事が出来たんだと。暇だろ?」
俺は興奮を抑えられなかった。いつもなら佐藤の都合に合わせて遊びに行っていたが、俺にも都合があるのだ。
「ふっ…今日は無理だ。俺も用事があるんだよ」
「まじか、だる」
「マジ。悪い、じゃーな」
つまらなさそうな顔を尻目に俺は教室を出た。
足取り軽く、神社へ向かったが、ガタガタの石段を上るころには、へとへとになった。
56段、数えないとやってられない。
無駄に急で、こんなに整備されてないから、人が来ないんだろと舌打ちをしたくなった。
息が切れるが、それとは別の高鳴りが胸にあった。
彼女はいるのだろうか。
階段を登り切って、一息つく。そうして、あたりを見渡した。
本堂の左側、ペンキの禿げたベンチに腰掛け、足を投げ出し、ベンチの後ろ側に生えている茂みの葉を撫でている女の子がいた。
昨日と同じ制服で、まっすぐな黒髪が、顔を隠していた。
「千早…さん?」
何となく話しかけにくい雰囲気で、俺は呼び捨てにする気にはなれなかった。
撫でていた手が止まり、顔が俺の方を向いた。
「陽太」
千早は一瞬目を瞬かせて、俺の方に近づいてきた。ひどく緊張する。
「さん付けって変なの。千早でいいよ」
千早はにこりと微笑んだ。
「ねぇ、私、陽太の話が聞きたいな。今日は何して過ごしていたの?」
千早は俺をベンチに座るように促すと、俺のことを聞きたがった。
「大した話はないけど…」
俺は学校生活の話を始めた。この辺じゃ進学校に通っている俺は制服を着ているだけで一部から尊敬の眼差しを受けることがあったが、千早からはそんな俗っぽい視線は見られなかった。
「ふふ、充実していて楽しそう」
「そうかなぁ、テスト多いんだよなぁ」
千早はただただ楽しそうに、相槌を打ったり、感心したりしてくれる。
「千早は?どこの学校なの?」
「私は……どこだっていいじゃない。私、神様だから」
俺を見つめていた目が急にそれた。なんだかそれには触れないでほしいという拒絶交じりの返事で、俺は言葉に詰まった。
学校のことはあまり話したくないのだろうか。千早が聞いてきたから、俺もただ聞いてみたかっただけなのに。
「……えぇと、そうだ。そういえばさ、お礼はいつすればいい?」
「お礼?」
千早が目をパチパチさせるたびに、まつ毛の長さが際立った。
「ほら、彼女が出来たらお礼しますって祈ってたじゃん、俺」
「あぁ…そんなの……あとでいいわよ」
「あとって?」
「ちゃんと“彼女”になれてから」
千早はそういうと俺の左手をきゅうと握った。優しく包んで、ひどくあたたかい。
これは嘘なんかじゃない。
千早は本当に俺のこと、好きなんだ。
だますメリットなんてそもそもないのだから。
ただ、千早は自分のことを神だというが、それには半信半疑だった。
でも、そんなことはどうでもいいことなのかもしれない。
千早の笑顔はただ俺にだけ向いている。
千早の眩しい笑顔を目に焼き付けるだけで足りない。
「あのさ、付き合ったんだからさ。連絡先、交換しない?」
「俺、QRコード出すから」
「きゅー…何?」
「これ、スマホ」
俺はポケットからスマホを取り出した。
「……」
「ほら帰ってからでも話せるし」
「……持ってないの。それ」
「持っていないって、スマホを?」
「神様だから?」
「……」
千早は静かに、悲しそうに頷いた。
「じゃあ、写真撮ろうよ」
「……写真」
「そしたら俺、さみしくない…し」
ますます千早は黙りこくってしまった。
「あ、俺だけ写真持つのも不公平……か」
「そう……そうよ。陽太だけ写真持つなんて、ずるいわ」
千早は元気を取り戻したらしい。
「写真なんかなくても、私、いつもここにいるから。いつだって、陽太が会いたくなったらここに来て、ね?写真なんかより、思い出をたくさん作る方が大事だと思うの、私」
家の事情でスマホを持てないのかもしれない。そういうこともあるだろう。
そもそも神様なら仕方がないのだ。
俺は言い聞かせた。
「そうだな」
千早とは出会ったばかりだ。事情なんてそのうち聞けばいい。
暗くなる前に俺は千早と別れた。家まで送ろうと提案したら断られてしまった。もし、千早が人間の女の子なら夜遅くまで薄暗い神社に残すのは嫌だったからだ。それに千早は神社でしか会いたくないと言った。
帰りの道すがら、俺は少し寂しそうに笑う千早を思い出した。千早が一人でもさみしくないものを渡したい、そんな気持ちが、沸き上がった。
そうだ。
写真が無理なら、せめて自分の写真だけでも渡したい。
そうしたら千早も写真を撮らせてくれるかもしれない。
とてもいいアイディアな気がする。
俺は急いで自撮り写真を撮り、コンビニに立ち寄り、写真をコピーした。出来上がった写真を意気揚々と確認すると、背景が薄暗いせいかひどく顔色が悪い。
なんていうか、キモイし、写りが悪すぎる。
綺麗な千早に持たせるにはとんでもない代物だ。
こんなもの、渡せない。
俺は自分の写真をびりびりに破り、ごみ箱に捨てた。




