其の十三
稔の言葉に二の句が継げず、紅子は黙り込む。彼女の気遣いを察してか、男はその頭をぽんと叩いた。
「さ、そんなことはどうでもいいさ。今はこれからのことを考えないと」
それもそうだと思った紅子はひとつ頷くとまた思案する。
菖蒲は頭領を蘇らせるために稔の技術が必要だが、ただ誘拐しただけでは思い通りにならないと踏んで紫を人質にとり、稔にとって重要な存在である紅子を介在させることで交渉の余地を引き出そうとした。
一方、昇は紅子に稔を殺させるために、こちらも紫を人質にとる必要があった。要は紫の命が惜しくば稔を殺せということだ。
改めて実感される事態の深刻さに、紅子は表情を曇らせた。
「大人しく菖蒲の要求をのんだところで、いずれにせよ私たちは消されるということですね」
「まあひとつ救いがあるとすれば、紫さんは助かるってところかな」
救いがあるとして導きだされた結論にはあまりに救いがなかった。そもそも相手のいいようにされた挙げ句、破滅するなど、いくら一度死んだ身とはいえ得心いかない。そもそも稔は死ぬことに抵抗はないのか。――紅子は段々と腹立たしくなってきた。
苛々と百面相する女を横で面白そうに眺めていた稔は、そんな彼女の様子をよそに不敵に笑ってみせる。
「そんなにかっかしないで。大丈夫、彼らの思いどおりになるつもりはないよ。それに僕の最期は君とともに美しく彩られると決まっているんだから、誰にも汚させたりしないさ」
一部同意しかねる表現が含まれることに紅子は眉根を寄せて首を傾げたが、何か打開策があると見える稔の様子に少し安堵した。
「では、稔さまには何かお考えがあるということですね」
「――少し、引っかかっていることがあってね」
そう言うと稔は顎元に手を当てて、何か思案するように目を伏せた。
「そもそもだ。頭領を人形にする目的は何だろう? 彼が人形になったとて、紅子さんが死んでしまった時点で山辺の直系の血筋はもう絶えている。それに才花衆が一夜で城をひとつ落とすくらいの強者揃いなのだとしたら、彼ら自身の中から新しい頭領を選べばいい。もしどうしても山辺家の人間の存在が必要だというならば、頭領を生き返らせなくとも、紅子さんに頼めばいいようなものだ。でもそうじゃない。菖蒲の目的はあくまで『頭領の蘇生』だ。これが何を意味しているのかさえ判れば、突破口になるかもしれない」
「私ではなく、頭領――私の父でなければならない理由――」
紅子は何か手がかりはないかと必死で記憶をかき集めた。
すると、父の晩酌の世話をしていたときのことを、ふと思い出した。
「刺青――」
そう呟くと、紅子ははっとした表情で稔の顔を見る。
何事かを感じ取った男は黙って頷き先を促した。
「父が申しておりました。私の背中の刺青は、一族を背負うという意味がある同時に、私から背後を奪う――退路を断つという意味があると。そして才花衆にも同じように刺青があって、それは各人、違う場所に違う意図をもって施されている、とも言っていました」
そんな意味があったのか、と感心すると同時に、紅子の背中の刺青に込められた意図のおぞましさを稔は苦々しく思った。
紅子は表情を険しくしながら続ける。
「そのとき疑問に思ったのです。刺青は肌に彫って絵柄を作るもの。それなのに何故そこに『奪う』という意図があるのかと」
そこで言葉を切ると、女は表情を固くした。核心に迫るのを感じ取った稔はゆっくり頷いて身構えた。
「あれは単なる願掛けなどではなかった。その言葉通り、身体の一部を『奪う』秘術――」
紅子は苦悶の表情を浮かべて、きつく指を握り込んだ。
「父はそれを、才花衆に施した。そしてその術は、父にしか解けないのではないでしょうか?」
つまりは、才花衆は刺青を彫られた位置の臓器――すなわち命を頭領に握られていたということだ。だからこそ、山辺家が失われたいま、その支配を逃れるべく菖蒲たち才花衆はその術を解除できる彼の復活を望んでいるのかもしれない。
だが、と稔は首を捻った。そもそもだ。たとえなにがしかの術が掛けられていたとして、術者が死ねばそこで術は途切れるのが定石だ。というのも術は術者の魂と結び付いており、その魂が冥府に渡ればそこで術は現世での効果を失うからだ。
つまり、頭領が死んだ時点で、その呪いは本来終わっているはずなのだ。しかし才花衆はまだその秘術に命を握られ続けているのだとしたら、それは一体どういうことなのだろうか。
ふと、稔の脳裏に閃くものがあった。――それが秘術ならば、あるいは、そういうことがあるかもしれない。
不意に突風が木々を揺らす。その騒がしさに稔が思考から我に返ると、目の前の紅子は表情を暗くし、震えを抑えようときつく身体を抱いていた。
無理もない。ただでさえ罪深い父親がさらなる残虐な所業を行っていたという事実は、清廉潔白な彼女にとって耐え難いことに違いない――稔はそう思った。
今にも泣きだしそうな女の身体をそっと抱くと、男はこの上なく優しい声で囁く。
「僕に考えがある。――大丈夫、悪いようにはしないよ」
潤んだ黒曜石の瞳で不安げに自分を見上げる女の頬をそっと撫で、稔は言った。
「紅子さん、君の背中を僕にまた見せてくれないかな」
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