其の三
「見ない顔だな」
「旅の方かしら。でも女人一人なんて」
方々から話しているのが聞こえる。
(私のことだわ)
そう悟った紅子は笠を目深に被って顔を隠す。――なるべく目立たないように簡素な出で立ちで臨んだつもりだったが、ここは余所者があまり出入りしない里なのだろう。先程からたくさんの視線を向けられている。
だがここで怯んではいられない。大事な知己の命が掛かっているのだ。
文を寄越したのは、稔を拐った人物だった。
中身は案の定、稔を返して欲しくば所定の場所まで来いという内容だ。
しかしそれには奇妙な条項が付け加えられていた。
(――稔さまを助けなければ、紫の命が奪われる)
犯人は、要求を呑まなければ紫を殺すと言ってきたのだ。
不老不死である稔に、とりあえずは命の心配はない。しかし紫は違う。
ようやく静かに暮らせることになった彼女を、危険にさらすわけにはいかない。なんとしてでも犯人の意向を阻止せねば――。
そのためにはまず、紫の安全を確保しなければならない。
そうして紅子はすぐさま屋敷を発ったのだった。
***
誰かに話しかけられでもしたら厄介だ。早くここを立ち去らねば。そう思った彼女は、人目につかないところを選んで足早に街道を抜けようとした。
「ちょいとあんた、見ない顔だね。旅人かい?」
心配していた矢先に、里の者とおぼしき女に声をかけられた。しまった、と紅子は内心、舌打ちをする。
女の呼び掛けに応えず立ち去ろうとしたが、彼女は前に立ちふさがったまま道を開けてくれない。無理やり追い抜こうとすると、不意に女が耳元で囁いてきた。
「女の一人旅は危ないよ、ここのところ何かと物騒だからね。ほら、何だかお尋ね者が逃げ回ってるそうじゃないか。――たとえばそう、梅に髑髏の刺青の女とか、ねえ?」
女が言い終わる間もなく、紅子は周囲の人間から見えないように女の胸に短刀を突き付ける。
「――文を寄越したのはお前か」
射殺すような視線を向けて低い声で問う紅子に動じる様子もなく、女はにたりと笑う。
「そんな物騒なものはしまっておくれよ。――でないとあんたも死ぬ(点)かもしれないよ?」
そう言うと女は、自ら短刀の切っ先に胸を押し当てようと身体を傾ける素振りを見せた。紅子は咄嗟に飛び退いて身を引く。
「馬鹿な真似を」
「その反応、あんた本当に人形になっちまったんだね」
女はけたけた笑うと、突如、胸襟を開いて見せる。わずかに露になった胸元には特に詰め物なども見当たらない。紅子はぞっとした。
「――本当に死ぬつもりだったのか」
「あたしが注目してほしいのはそこじゃないんだけどね。ほら見てよ、ここ」
そう言って女が指差した先には、髑髏と菖蒲の刺青があった。それを目にした途端、紅子の顔色が変わる。
「才花衆――」
急いで走り去ろうとする紅子の背後にいつの間にか回り込んだ女は、そのまま彼女を後ろから組伏せた。
「あたしは菖蒲。迎えに来たよ、雪梅姫」
直後、何か香を焚き染めた布を鼻にあてがわれた紅子は、言いようもない苦痛に襲われ、そのまま気を失った。
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