其の二
異様な状況に紅子は咄嗟に身構える。この部屋に来るまでの間、屋敷の何処にも稔の気配はなかった。だから稔は間違いなく、ここに居るはずだった。
慎重に部屋の様子を目視で検分していく。特に争った形跡はないが、座布団が何かに引き摺られたかのように縁側の方へ寄っている。彼女は詳細を確かめるべく静かに中に入った。
その瞬間、びゅん、と音を立て、一本の矢が紅子目掛けて飛び込んできた。
彼女は咄嗟にそれを掴むと、矢が放たれた元を睨む。
「何者だ――」
だが紅子の問いかけに答える者はない。
女は表情を険しくして辺りを窺っていたが、やがて手の中の矢を改めて見やった。その矢羽のそば、本矧の部分に小さく折られた紙が括りつけられている。開くとそれは文であった。
そこに書かれた内容を見て、紅子は凍りついた。
くしゃりと文を握りつぶすと、彼女はゆっくりと部屋を後にする。
身の毛もよだつほど美しい、憤怒の表情を浮かべて。
***
遠くから水音が響いている。
――ぴちゃ
それが不快で、男は耳を塞ごうとする。水は嫌いだ。近づきたくない。
だがどうしてか、手が重く動かない。
――ぴしゃ、ぴちゃ、ぱしゃ、ぱしゃ
(やめろ、聞きたくない)
強くなる水音に、恐怖のあまり男の呼吸は浅くなっていく。
――ぴち、ぱちゃ、――ざばあっ
「――っ!」
冷たい重みが身体に叩きつけられる衝撃に彼は目を覚ました。どうやら水をかけられたらしい。
水滴に霞む目を凝らすと、どこからか僅かに差し込む光に照らされた人物がこちらを向いているのが見える。
「――誰だ」
男が問いかけると、目の前の人物がゆっくりと近づいてくる。だんだんと焦点が合っていき、その正体に気がついたとき、彼は絶句した。
黒い装束に身を包んだ人物は、にたりと不気味な笑みを浮かべて男を眺め、悠然と口を開く。
「ようやく会えたな、稔」
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