其の一
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紅子は稔の手を振りほどき、動揺を悟られまいと彼を睨み据えて言い放った。
「――何が『愛』です。これが愛なものですか。それに貴方が言ったのです。それが『愛』かを決めるのは受け手の方だと」
暗に拒絶を滲ませた紅子だったが、男は彼女の言葉に動じることなく相変わらずうっとりとした笑顔で悠然と頷いてみせる。
「その通りだ。君が『愛』じゃないと言うのなら、これは僕の一方的な執着で愛にはならないかもしれない。だけど――」
稔は、ふと真剣な表情になると、紅子を真っ直ぐ見つめた。
「それでも僕は、君を選んだんだ。それを忘れないで」
そう言うと稔は、困惑を顔に浮かべている女を残して屋敷に戻って行った。
最早どうしたら良いかわからなくなってしまった紅子は、その場に立ち尽くしたまま冬晴れの庭をじっと眺めているより他なかった。
(どうして――)
ふと一片、眼前に舞い落ちる梅の花を追いながら、紅子は背中に軋むような痛みを覚えた気がして、身体を抱えて蹲る。
(どうして、私なの――)
***
その後、二人は顔を合わせないまま、明くる日の朝を迎えた。
紅子は内心どうしたら良いものか途方に暮れていたが、日々の務めは果たさねばなるまいと、朝食の盆を持って茶の間の入り口に座した。そして呼吸を整え、意を決して、いざ戸を開く。
「稔さ、ま――」
眼前に広がる光景に、紅子は思わず息を呑む。
卓袱台の上の湯呑みは湯気を立て、広げられた書物が縁側から吹く風に靡いている。――いつもと変わらない朝の光景だ。
だがそこに、稔の姿だけがなかった。
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