いなくなったシショー
思えば、あの人はいつだって自分の都合を押し付ける人だったなと、ヒロは思い返す。
事は一か月ほど前にさかのぼる。その人とのいつもの待ち合わせ場所が、忽然と消えたのだ。
商店街の角を曲がった細い路地にたたずむ、古びた古書店。
所狭しと並べられた、ぎゅうぎゅうと本が詰め込まれた見上げるほど大きな本棚たちは迷路を作り出していて、店の奥にたどり着くにちょっとしたコツがいる。
室内のわずかなスペースには、何に使うのかわからない奇妙なオブジェが飾られていて、店の雰囲気を怪しげなものへと変えている。
天井からもジャラジャラとした謎のインテリアが吊り下げられていて、初見のお客さんは怖がって逃げ出しそうな店内装飾だとヒロは思っていた。
一か月前のその日、ヒロはいつものようにその古書店へと向かった。
慣れた足取りで商店街を通り抜け、いつもの角を左へ曲がった。
「え?」
同じ道のはずだった。
周囲を見渡しても、見慣れた建物の風景だった。
けれど、その店だけが消えていた。
扉がなかった。
ただ何の変哲もない壁がそこにあるだけ。
ヒロは何度も周囲を見回して、場所に間違いがないか確認をした。
それから、扉があったはずの壁にペタペタと触れた。
つなぎ目もない、数メートルは横へ続く壁だった。
ヒロが最後に店を訪れたのは三日前で、その短期間で工事をしたとは思えなかった。
何より、壁には長年の劣化の形跡が見られ、新しく作られたものにはどうしても見えない。
ヒロは、その人の連絡先を知らない。
店がなくなってしまえば、あっけなくそのつながりは絶たれてしまう。
「は?意味がわからない……」
それからしばらく、店の扉があった場所からヒロは動けなかった。
店がなくなってからも、ヒロは一週間と開けずにその場所へと訪れている。
けれど、壁は変わらずそのままだし、変化は見られない。
あの人のことは夢だったのかと、時々ヒロは考える。
だって、信じられないほどに美しい人だった。
そして、変わった人だった。
初対面で自らを魔法使いと名乗り、人嫌いを自称したあの人は、言葉の通り他者との交流を望んでいない様子だった。
店はいつだって開いてるはずなのに、立地のせいか、わかりづらい店構えのせいか。
訪れる客をヒロは一度も見たことがなかった。
SNSとかで宣伝した方がいいんじゃないのかとヒロが尋ねても、あの人は「いらない」と興味なさげに返答した。
本棚の迷宮を潜り抜けた店の奥には、ぽっかりと空いた空間がある。
その空間には、四畳半の畳が敷かれていて、その畳の上には脇息が一つと、コップの置かれた小さなちゃぶ台、使い古された雰囲気のロングコート。
それから十冊ほど積まれたいくつもの本の山が常にあった。
本の山は全てを毎回きちんと確認していたわけではないが、どうやらヒロが店を訪れる度に本の種類が変わっているようであった。
その美しい人は、畳の上で脇息に寄りかかりながら手にした本のページを細く長い指でめくっていたことが多く、ヒロが真っ先に思い出すあの人の姿は、その神秘的な蒼い瞳の視線が本へと注がれている横顔だ。
ヒロは、美しくも奇妙な魔法使いのことも、商店街の古書店のことも。誰にも言ったことはなかった。
深い理由があったわけではなかった。
ただ、なんとなく言わなかった。
美しいあの人のことを、自分だけの秘密にしたかったのかもしれない。
こっそり作った秘密基地のように、誰にも知られたくないと、そう思って口をつぐんでいた。
ヒロしか知らない、美しい人。
誰も訪れない、古びた古書店。
探し方なんて、わからない。
ヒロにできるのは、店のあった場所を確かめることくらい。
もう一度、美しいあの人に会うことをヒロは望んでいる。
それはもう、心の底から強く、望んでいる。




