根津
悪魔憑きは、美味しいらしい。
食べると、力も強くなるんだとか。
大物とされる、長く生きて力も強い魔を倒して強くなるよりも、弱い人間を食べた方が簡単に強くなれると、魔たちの間では有名な話なんだとか。
―冷たい。
硬いし、石に触れてるみたいだと、ヤマネは思った。
縛られてはいないようで、手足の自由は効くようだと。
周囲の音に耳を澄ませて、人の気配はないようだとヤマネはゆっくりと身を起こした。
「起きたか、娘」
そう声をかけて来た魔を視て、ヤマネは言った。
「ちっさいね」
「なっ!失礼な娘だ‼だいたいそなたもそう変わらぬ大きさではないか」
わぁわぁとわめく魔は、人に近い姿をしている。
黒い袴と白い狩衣を纏った、まるで陰陽師のような服の下から覗き見える肌の色は黒と緑で、黄色い嘴とつぶらな瞳を持っている。
失礼なのはこの魔の方だとヤマネは思った。
ヤマネは魔より頭一つは優に大きいし、魔は頭に乗った小さな烏帽子でずるをしている。
それに、ヤマネはこれから成長期で背がぐんと伸びるのだ。
「私、帰るから」
ここがどこかはわからない。
けれど、こんな見知らぬ魔のいるところに長居をする気はない。
この場にはこの小さな魔しかいないようだし、さっさと逃げるに限るとヤマネは考える。
ヒシイが必死に手を伸ばしていた。
―海鈴ちゃん!
そう叫んでいたあの顔が、離れない。
「娘、一つ忠告をやろう。その陣を越えればそなた、無事では済まないぞ」
魔がヤマネの足元を指してきたので目線を視線に落とせば、血で描かれた陣のようなものの上にどうやら自分はいるようだった。
ヤマネは気にもせず影を呼ぼうとしたが、それを見越したかのように魔が言葉を続ける。
「そなたに憑いている魔で無理に破ることもやめておけ。弥仁様の陣は力技でどうにかできるものではないぞ」
やひと。
ヤマネを攫った犯人の名前だろうか。
「あら、どうして?」
「そなたら悪魔憑きの前で弥仁様はそなたを攫ったのだ。対策がないと思うてか」
「ふぅん?」
ヤマネは黒いのを呼ぶのをやめて、周囲を見渡す。
大理石の床。
少し離れたところに見えるのはダイニングテーブル。
天井には小さなシャンデリアが吊るされている。
普通の人間が暮らす、裕福な家の内装のようだ。
「誘拐犯が使うにしては、随分と立派なところね」
「弥仁様が小汚いところをお使いになるわけがなかろう」
なぜか自慢げに魔は答える。
「ねぇ、その『やひとさま』ってどこにいるの」
「教えぬ」
「私を攫った目的は?」
「教えぬ」
「ここはどこ?」
「教えぬ」
「『やひとさま』の腹心の部下は?」
「それはもちろんこのワタシめで……」
ハッと魔は口を両手でふさいだが、もう遅い。
ヤマネはニヤリと笑った。
「そっかそっかぁ。腹心の部下さんはやっぱり立派な名前をもらってるんだろうね。どんな名前かなぁ」
魔は口を押えていた手をパッと放して、嬉しそうに名乗りをした。
「根津と申す。植物の根に港の津と書くのだ」
上下関係のある魔は、上位の者が下位の者の名づけを行うことが多いだろうと聞いてみたのは、どうやら当たりだったようだ。
「『やひとさま』は、他にも部下はいるの?」
根津は首を横に振った。
「群れることを好まぬお方だ。唯一、ワタシだけが側付きを許されておる」
得意気に胸を張って、根津は言った。
ガチャリと扉の開く音がして、ひゅっとヤマネは息を呑む。
「ただいま、根津」
若い男の声だ。
「弥仁様!」
弾んだ声で根津が迎えた。
「おかえりなさいませ」
「悪魔憑きは?」
「目覚めております」
「なにかあげたの?」
「なにか、と申しますと……?」
「人の子どもだよ?食べたり飲んだりしないとすぐ死んじゃうよ。部屋のもの自由にしていいって言ったはずだけど」
ヤマネの前に立ったのは、ヒシイよりも若く見える男。
肌の色も、手足の数も、ごく普通。
人の姿にしかヤマネには見えない。
「喉乾いているでしょ。根津」
「ただいまっ!」
根津は慌てて駆けてゆく。
「やぁ、悪魔憑き。不死鳥の結界を破ったんだってね」
弥仁はヤマネの前に胡坐をかいて座った。
「そんな君に、破ってほしいものがあってね。こちらに招待したわけさ」
根津が陣の中に、盆に乗せたコップを置く。
「水だ」
喉は乾いていたが、ヤマネはそれに手をつける気にはならず視線をすぐに弥仁に戻した。
「誘拐なんて強引よ。あなた、人でしょ?魔女に依頼をすれば良かったじゃない」
「魔女は人寄りだ。僕が助けたいのは魔だから、魔女には頼めない」
弥仁は取り出した何かを陣の隅にサッとかけると、柔らかそうな三人掛けのソファを指さした。
「陣の効果を消した。夜明けの時間にその場所に案内するから、それまで休んでて」
ヤマネは恐る恐る陣の外に足を踏み出してみる。言葉通り陣の効果は消えたようで、異変は感じない。
「悪魔憑きを害するつもりはないけど、逃げようとしたり、君に憑いてる魔を呼んだりはしないこと。あちこちに術を仕掛けているから、それらに引っかかれば安全は保障できない。僕は別の部屋に引っ込んでるから、何かあれば根津に言って」
弥仁が出ていき、ヤマネは先ほど根津が持ってきた水を飲みほした。
ソファに触れると見かけ通り柔らかく、身体の小さなヤマネにとっては十分な広さもある。ここで寝ろということだとヤマネは受け取った。
根津はじっとヤマネを見上げていて、ヤマネがソファに寝転がるとソファのすぐ近くで座り込んだ。
「朝までそうやって見張ってるつもり?」
くすくす笑って聞くと、「そうだ」と根津は返した。
「あなたの主、魔女は人寄りだから悪魔憑きのわたしにって言ってたけど、どうして悪魔憑きが魔を庇うって考えてるの?」
「悪魔憑きは昔から、魔を庇う者ばかりだ。そうして人と溝が生まれ、魔の者たちに心を傾ける。今では一族に視える者も現れないと聞く。我らが視える人は異端だ。そういう者は、魔を視えず、知らぬ者から弾かれる。特にここ数代の悪魔憑きはその傾向が強い。人の中では孤独なのだ」
根津は悪魔憑きをよく知る口振りで語った。
「もう寝ろ。人の子どもは軟弱なのだろ。弥仁様が求めた時に眠くて力が出ないようでは困る」
それきり口を噤んでしまい、ヤマネも睡魔に逆らわず眠ることにした。
―わたしは魔が嫌いなのに。
そう思いながら、眠りについた。




