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御子母の惑星─みこものほし─第一部 運命  作者: 宮生さん太
第八章 隠主(おに)、覚醒(めざめ)し時

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御子姫の気鬱

 御子姫は双子の母、織音(しきね)に連れられ、異形の里より渋々帰ってきた。

 奥を預かる者たちが数名出迎えに出たが、御子姫は織音に促されるまま、無言で自分の部屋へ入った。


 模様替えされ、御簾(みす)は取り払われ、仮眠用の小さな一間もなくなっていた。

 御子姫は文机(ふづくえ)の前に座らされると、封筒に入った至急の仕事をするよう織音に言われた。


「今日中にしいなあかんのでっしゃろう。見てますさかい、早うちゃっちゃとお気張りやす」


 双子も戻ってきて荷物の片付けを手伝いに任せると、織音に茶を運んだ。

 

「二人もついていながら、どなんしたらこないになるんや」


 双子は御子姫の部屋の継ぎの間に控えていた。


「奏司はんは?」


「いろいろとお忙しいようで、本日はいらっしゃいません」


「奏家本家はえらい工事してはりますなあ」


「はい、少し前に将大殿がいらっしゃってかなりその……それで一新すると」


「その時姫様は、奏家へ奉公に来てはる女たちにもわざわざ酷い仕打ちしはりまして」


「あれは戦人じゃのうて、ただの飯炊きじゃろう」


 織音は深いため息をつき、しばらく双子の屋敷に滞在すると言い出した。


「しばらく毎日様子を見に来ますさかい、ええどすな」


 御子姫の顔が引きつった。と同時に、継ぎの間に控えていた双子の顔も強張った。


「姫様はもう少し、上に立つ者の何たるかを学んでおくれやす」


 織音が一旦引き上げると、双子もついていった。気兼ねする者がいなくなった途端に、御子姫は怒り出した。


「ああもう、うるさい。工事の音で頭が割れるわ」


 戻ってみれば、多くの新しい建造物の工事が進められ完成間近のようだ。すべて書面で報告されているが、膨大な量に嫌気がさして御子姫が見ていないだけだった。


 なぜだろうか、初めのうちは自分の代わりに一生懸命な奏司を頼もしく思っていた。

 ところが、自分のはるか上をいく提案に、いつしか御子姫はついていけなくなっていた。しかも仕事が早いので、なおのことだった。


 元々御子姫は、人に采配させその出来を吟味するのは得意でも、不得手なことは人任せだった。

 戦から遠ざかった時間の中で、その自負さえ豪鬼と奏司という天賦の才に脅かされ始めていた。


 それほど、あの奨弥に乗っ取られた奏司による圧倒的な陵辱は、御子姫の自己認識を根底から覆してしまったのだろう。

 奨弥はただ御子姫の体だけでなく、精神的に打ちのめす言葉の責め苦を味わわせ続けた。自尊心が人一倍強い御子姫にとって、それはただ体を差し出した者たちとの決定的な違いだった。


 奏司は、学業と表の仕事が忙しく、御子姫が響家本家へ戻り三日目にやっと来ることができた。


「お母さんまだいる? あとで家の方行くよ。これ、奥とあとはみんなで。御子姫はこっちのが好きかな」


「いつもお土産ありがとうございます」


 奏司は唱に案内されて、御子姫の居室へと向かった。御子姫はたまった書類を部屋中に散らかしていた。


「姫様、奏司殿がいらっしゃるってお伝えしましたよね」


「そっちの部屋でよい」


「姫様! そういう態度はいけないって。何度も申し上げましたよ」


「いいよ、もう。今日は顔見に寄っただけだから」


 奏司は唱を制して、控えの隣の間に座った。唱が小言を言いながら書類を片付け始めると御子姫が大声で文句を言った。


「私は奏司のように頭が良うない。決まったところに広げてあるのじゃ。もう! わからんようになってしまう!」


 その光景を奏司は黙って見ていた。何かというと、御子姫からは自分と奏司を比べる言葉が、わざとかどうかわからないが、発せられることが多くなっていた。


「元気そうでよかったよ」


「何がじゃ! 来るのが遅いわ、もう何日経ったと思うとる」


「ごめん、今、試験中だから」


「なんかようわからんが、今日は泊まっていくのか、帰るのかどっちじゃ」


「ごめん、今日は帰るよ。仕事の邪魔しちゃ悪いから、俺もう行くね」


 奏司はなかなかこちらを向かない御子姫に、わざわざ廊下側から回って顔を見て話した。


「俺と比べなくていいよ。やってる仕事が全然違うんだから。俺には御子姫の仕事はできなければ、代わりなんてさらさらできないよ」


 奏司は、なぜ御子姫がここまで変わってしまったのか、その原因が何かを考えていた。


「じゃあ、また。三日後くらいには来れるよ」


 御子姫は口を開けば、憎まれ口とまではいかないが、つっけんどんな愛想の一つもない物言いしかできない自分に腹が立っていた。


 御子姫は、本当は奏司と仲直りをし、以前のように振る舞いたかった。

 その理由が、奏司を想っているからというより、奏司とは(つい)なのだから上手くやっていかなければ戦にも響く、そんなふうにしか考えられない自分にもうんざりしていた。


 広げられた書類の中には、アカメ対策のものが多く含まれている。早くどうするか、いくつか提案されているものを決裁し、戦に出なければならない。


 御子姫は嫌という程わかってはいた。ただもう、気鬱でやりたくないだけだった。

 それを甘えている、さっさとやれと言われて、挙句に頭領なのだからもっとしっかりしろと駄目出しをされているのだ。

 戦の勘とでもいうのか、今まで無尽蔵にあったものが、掴めない。御子姫は苦しんでいた。


 仕事がひと段落ついたのを見計らって、唱と言葉がお茶と茶菓子を持ってやってきた。


「あの、姫様、母のことですが……」


「もうよい、織音殿の仰られることは、言われて仕方のないことばかりじゃ」


 奏司が御子姫が好きだろうと買ってきてくれた塩金平糖とお茶をいただく。


「奏司は出雲まで行っておったのか……」


 出雲といえば、もうそんな時期かと、御子姫は現世の時の経ちようも早いものだと思った。




 奏司と眴は街へ出ていた。総代の仕事もあれば、何より奏司は学生だった。

 二人は別々に行動し、昼過ぎにマンションで落ち合う予定にしていた。


 奏司は大学の課題をやりながら、ぼんやりと外を眺めていた。この部屋を気に入っていた。一人で考えを巡らせるには、広さや外の景色がちょうどよかった。


 玄関のドアを開ける音が聞こえた。


「おや、早かったですね」


 眴は買い物袋を提げて帰ってくると、手早く冷蔵庫に食材を収め、風呂の支度を始めた。

 無言でそれを眺めていた奏司の隣に腰かけると、ネクタイを緩めながら顎に手を伸ばし、そっと口づけた。


「どうかしましたか?」


「ここで二人で暮らせたらいいのに」


 昼下がりの日差しは、気がつくと影の角度を変えていた。


「お昼は食べましたか?」


 奏司は首を振った。


「お風呂に入ってゆっくりしましょう。何か作りますね」


 奏司は立ち上がり眴の肩に腕をのばすと、長い口づけを交わした。


「眼帯取って。眴のこっち側の黒い目が好き」


 瞳の奥を覗き込む、吸い込まれそうな黒い眼差しを知っているのは、自分だけ。奏司はそう思いたかった。


 そういえば、と奏司は思った。風呂で湯をかけて以来、眴は濡れても肌が透けて見えないよう濃い色合いのシャツを着るようになった。


「入りますよ」


 ただもう、奏司には肌を見せることをためらうことはなくなっていた。

 髪を洗う眴に、奏司は自分以外にも常世(とこよ)の眼を見せたことがあるか聞いた。


「聞いてどうするんですか」


 髪を洗い終えると、眴は奏司の髪を洗い始めた。


「いいよ、自分でやる」


「そうですか、何か今日はぼーっとされてるので」


「風呂から出たら話すよ」


「そうですか。私も大切なお話がありますので」




 できあがった料理を眴がテーブルに運んでいる。ソファに座ったまま、奏司はぼんやりと外を見ていた。窓の外は夜の街灯りが一枚絵のように見えていた。


 眴の作った食事はどれもやさしい味がした。だが、奏司はそれを味わいながらもどこか上の空だった。


 食事が終わる頃、奏司の方から眴に尋ねてきた。

 眴はためらいがちに、里長から厳しく叱責されたことを前置いて話し始めた。


「実は、私の常世の眼は、(ケガレ)をよく視る代わりに、穢にもとても弱いのです」


 それを聞いた途端、奏司は激しく動揺した。


「どうして今まで黙ってたの」


「それは眼を持つ者の宿命のようなもので、大したことでは……」


「ウソだ。隠さないで! そんなことで長は怒ったりしない」


「では、決してご自分を責めないと約束して下さいね。私は強い穢の影響が続くと、鬼化(キカ)します。異形の姿になったらもう戻れません。眼を持つ者は、皆多かれ少なかれ同じです。ただ常世の眼は特別なようで……」


「そんな大事なことを今まで、なんで!」


「ですから、私はそれでもいいと覚悟して来たんです。奏司さん、あなたの元へ。ケガレのようなものを取り除きに」


「だったら、もう」


 いいよね、と言おうとして、奏司は黙った。何がいいのだろう。


「じゃあ、眼帯をしてるのは、眼を開けてたらダメだからだよね。どうして言ってくれなかったの。俺の言うことって、眴には全部命令になってるの!?」


 奏司は怒って立ち上がるとテーブルを叩いた。

怒って部屋へ戻ろうとする奏司を、眴は後ろから抱きしめた。


「怖かったんですよ。本当のことを言えば、あなたは遠ざかるでしょう」


 抱きしめられたまま、奏司はその腕を握り返した。


「そんなことしないよ。もう、できないよ。もう、眴がいなくなることなんて考えるだけで」


 ──耐えられないよ


「奏司さんは、十分御子姫殿のことで傷ついておいでだった。だからそれ以上、傷つけたくなかっただけです。命令だなんて思ったことは一度もありません。それに、あなたはこの眼が好きだと言って下さった。実の親でさえ忌み嫌ったこの眼を」


 眴は、言葉を詰まらせながら一言呟いた。


「この醜い私を」


 全身にところどころ醜く浮き上がった、ケロイドのような痣にも似た経文。そして穢の棲む常世のような眼。響家の男特有の線の細さ。


 そのどれ一つとして、今ここにあって許されるとは思えなかった。


「俺は、その眴が好きなんだよ。離したくないんだ」


 眴は奏司を抱きしめたまま泣いていた。黒い瞳から流れ落ちる雫は、他のそれと何ら変わりはなかった。


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