澱み、噴き出す
異形の里へ着くと、見慣れぬ大きな車に気づいて、里の者たちが集まってきた。
奏司は車から降りると、お土産の菓子を配っていた。
そこへ剛拳と豪鬼がやってきた。豪鬼はいつもと変わらず奏司に抱きついた。
洋巳は剛拳の姿を見るなり、車から降りてきた。気がついた奏司が剛拳を呼んだ。
「内緒で連れてきた、母さん」
剛拳は驚いて、洋巳の前で立ち尽くしていた。その間に豪鬼は車からクーラーボックスを取り出して担いでいた。
「剛拳、俺今から御子姫のとこ行くから、母さんよろしくね」
洋巳はまだ四十そこそこなのに髪は真っ白になり、線が細くなっているように見えた。
剛拳はやさしく背中を押して、洋巳を家まで案内していった。土産の菓子を配り終える頃、眴は里長と戻ってきた。
奏司は大きく深呼吸をすると、里長の後について家へと入っていった。眴は里長に会釈して、奏司の後ろに控えて上がり、手前の間で待っていた。
御子姫は伏せていた布団も片付けられ、着物を着て正座していた。
「やあ、御子姫、どお……」
「控えよ!」
奥の間に入ろうとした瞬間、奏司の足元に扇子が投げつけられた。
「俺、謝りに来たよ。だから、さあ帰ろうよ」
「謝ると言ったな、何をじゃ」
「全部だよ」
「どうせ見当もついておらぬのじゃろ」
「ああ、わかんないよ、いつ来ても……」
「いつ来ても、なんじゃ」
「どうもしないよ、具合が悪くて、それくらいしか思い出せないよ。そういうのも含めて全部謝るから」
「そうか……」
御子姫は縁側の向こうを指差した。
「そこで土下座せい」
奏司は、仕方がない、それで済むのならと、縁側から庭に降りた。御子姫の方を見ると、いつものあの目つきだ。奏司はあきらめて土下座した。
庭の土は昨夜の湿り気をまだ残していた。額をつけると、ひやりとした泥の匂いが鼻先へ上がってくる。
奏司は、これで御子姫の気が少しでも済むのならと思った。
もともと自分には、何をどう謝ればいいのかはっきりわからない。ならば形だけでも差し出すしかない。そう腹をくくっていた。
だが、縁側に立つ御子姫の気配は、奏司の思っていたものとは違っていた。
怒っている、というだけではない。内側に幾重にも澱が沈み積もり、その澱みがそのまま人の形を成して立っているようなものだった。
「もっとしっかり地面に頭をつけぬか」
御子姫は庭に降りて、手に持った柄杓で奏司の頭を小突いた。
さらに頭を押さえつけ、真上から言葉を投げつけた。
「謝罪の言葉は!」
「ごめんなさい」
「はあ?」
御子姫は水桶から柄杓で水を掬うと奏司の頭にかけた。
「誠に申し訳ございません、じゃろうが」
奏司は耐えて微動だにせず、その通り謝った。
「聞こえぬ」
御子姫は頭に水をかけ続けた。
もっと水桶に水を汲んで持ってくるよう言うと、手伝いの者に奏司に水をかけるよう命じた。
さすがに手伝いの者は首を振って下がっていった。それがまた、御子姫の怒りに油を注いだ。
御子姫は次々に水をかけては水桶を持ってこさせた。
「まだ許すとは言っておらぬ。謝り続けぬか」
「誠に申し訳ございません」
「聞こえぬ」
水をかけ続ける姿に、さすがに眴が動いたのが奏司には見えた。顔を少し上げ眴を見つめ首を横にかすかに降った。
それがまた、御子姫の癇に障った。水をかけながら柄杓で奏司の額を叩いた。
その様子を庭の向こうから里の者たちが取り囲んで見ていた。
誰も止めようとはしなかった。
こうなってしまったらもう、止められなかったのだ。
里の者たちは御子姫の性格をよく知っていた。その怒りがどこへ向くのか、誰にも読めなかった。
ただし障りさえしなければ、気が済めばいつかは収まると待つしかなかった。
奏司は泥水に顔をつけたまま、遠巻きに見守る者たちの、息を呑む気配を感じていた。里の者たちは、こうして何度もやり過ごしてきたのだろう。
奏司は、ここで自分が耐えていれば済むのだと思っていた。御子姫の中に溜まったものが噴き出しているのなら、まずは対である自分が受け止めるしかない。
だが、それを見ている側にはそうは映らないのだと、庭の空気が教えていた。
「水桶を持って来ぬか!」
水桶が空になり、腹いせに御子姫は奏司を柄杓で叩いた。
その重苦しい均衡を、最初に破ったのは豪鬼だった。
奏司がいくら待っても来ないので、様子を見に来た豪鬼は御子姫から柄杓を取り上げた。
「これ、豪鬼やめなさい!」
すると豪鬼は御子姫に向かって、ハッキリと「やめなさい!」と言った。
その声は、子供の真似事のようでいて、御子姫を怯ませるほど真っすぐだった。
まさか豪鬼に止めに入られるとは思ってもいなかったのだろう。庭の空気はそこでわずかに動いた。
「御子姫殿、そこまでにしてはどうです。里の者たちをご覧なさい。皆、どのような面持ちかわかりますか」
里長が頃合いを見計らって止めに入った。奏司は泥水の中、頭を地面につけたまま微動だにせずにいた。
御子姫は苛立ちを表情に滲ませ、奏司に頭を上げるように言うと、残った水を泥のついた顔にかけた。
「これで、俺は謝った。あとは御子姫が考えて。俺たちがやらないといけないのは穢を祓うことだ。俺もやっと戦に出られるようになった。唱も言葉も、戦人の里のみんなも、御子姫が帰ってくるのを待ってる」
それだけ言うと奏司は御子姫の元を去った。
豪鬼は水浸しになった奏司を連れてやってきた。
剛拳と洋巳は驚いて、まずは濡れて汚れたスーツを脱がせて、風呂で洗ってくるように言った。
奏司を心配して豪鬼があれこれ世話を焼いている。着替え用に自分の服を出してきたり。その様子を洋巳は微笑ましく見つめていた。
眴は御子姫への挨拶もそこそこに、奏司の様子を見にきた。何があったのかを説明すると、剛拳が最近の御子姫のおかしさを話し始めた。
風呂から出てくると、奏司は想定内だと言って平然としていた。
「ひめ、ダメ! ひめ、ちがう。そうし、そうし!」
「大丈夫だから、豪鬼、水かけられただけだから」
着替えを渡してくれる豪鬼の頭を撫でながら、奏司は泣くのをなだめた。
「確かに、少し驚きました。こんな一面がおありになるとは。ただどこか、箍が外れているというか」
「うん、きっとここに長く居過ぎたんだよ。止める人も、手綱を引く人もいないから、御子姫の本当の姿がどんどん表に出てきてるだけだよ」
奏司は眴の側に肩を落として、深く息をつきながら座ると、どこか力なく笑った。
「多分、戦人の里に帰れば、変わるはずだと思ってる。でも俺だけじゃ無理かも。だから剛拳も豪鬼も一緒に来て欲しいんだ。母さんと一緒に暮らす家もできてるから。里の外れで穢からは遠くて、静かなところだから」
「わざわざ新築されたのは、そのためですか」
「もちろん、母さんと住んでくれたら嬉しいけどね」
「ですが……」
「剛拳、母さんとたくさん話せた?」
「はあ、そりゃあまあ」
奏司はにっこりと、照れる剛拳を見て笑った。
「俺、待ってるから。豪鬼と剛拳が来てくれるのを」
「さあ、母さん、帰ろうか」
剛拳に向かって、御子姫を迎えに来るのは双子に頼むからと伝えた。
「だから、今、ここへ置きっぱなしの車は豪鬼と一緒に来る時に使ってよ」
帰る奏司を寂しそうに見つめる豪鬼に、奏司は抱きしめてこう言った。
「引っ越ししたら、毎日囲碁も将棋も、チェスだってできるから、待ってるよ、兄さん」
車に乗り込むと、豪鬼がいつまでも手を振って見送ってくれた。
奏司は助手席に座りながら、ふうーっと長く息をはいた。そして一言、参ったな、と笑った。
奏司は運転する眴へ軽く手を伸ばした。
「ねえ、手を握っててくれる? 運転の邪魔にならない時でいいから」
眴は投げ出された奏司の手のひらに、手を重ねて時折やさしく指をからませていた。




