澱み、兆し
洋巳との暮らしがようやく落ち着いてきた頃、珍しく御子姫の代理を務める双子の唱から電話があった。御子姫の様子を見に異形の里へ行く前に話がしたいという。
奏司はついでに、御子姫の部屋に置きっぱなしの私物を持ってきてくれるよう頼んだ。
「奏司さんはもう、こちらへ帰ってきはらへんのですか」
「そのことは来た時に話すよ」
奏司は洋巳がテレビを消し、聞き耳を立てているのを背中越しに察した。
「明日の午前中、御子姫の代理を務めてる双子が来るけど。母さんどうする? ここにいる?」
「ええ、いるわ。ご挨拶しなきゃ……」
奏司は前日に仕事の予定が入っていたため、洋巳が一人になるので眴に来てもらっていた。
奏司が戻るとすぐに、双子が訪ねて来た。洋巳は丁寧に挨拶をしていた。
双子にしてみれば、奏司の母というより、御子姫の背中へ切りつけた人という印象の方が強く持たれていた。
「もう、刑務所で罪も償って来てるんだから……」
洋巳は奏司を遮るように、深々と双子に頭を下げた。
「御子姫様にお会いになられましたら、生涯死ぬまで忘れずに償わせていただきますと、お伝え下さい」
「母さん、もう十分だから。御子姫には罪を憎んで人を憎まず、上に立つ者、寛容が大切だと言っておいて」
「それは火に油かもしれませんので、上手にお伝えしておきます」
言葉が奏司の方を見て、少し苦笑いしながら言った。
奏司は双子に、先日里を訪れた時の御子姫とのやりとりを話した。
病の原因はこれまで過労としか聞かされていなかったため、双子はかなり衝撃を受けたようだった。
「そっちで困ってること、ない?」
「そうですね、やはり姫様が病気で不在ということが漏れ伝わっているようで、ちょっと」
「表の方は、大戦続きだったことと、厄年で……と上手く説明はついてるから。ただ、まあ、問題は穢の動向かな」
奏司は、先日御子姫に会った時に伝えるつもりだったことを、双子に託した。
「俺は将大さんから連絡があるまで戦には出られない。戦人の里へ行くのも禁じられてる。今、俺に巣食ってるケガレのようなものは八割がた祓い終わった」
不安そうな顔を覗かせる双子に、奏司はにっこりと笑い返した。それは双子には今まで通りの奏司の笑顔に見えた。
「あと少しだから、くれぐれも無茶な戦だけはしないよう言っておいて」
双子が帰る間際に、奏司は菓子を渡した。仕事で出かけた先で名物だというので、朝買ってきたこしあんの餅だった。
「重いですね」
「里のみんなの分もあるから、トランクには入れないでね。傷みやすいから、着いたらすぐ配って食べてもらって」
双子とのやりとりの中で剛拳の名が出てくると、洋巳は少し落ち着きを失っていた。
「剛拳は、今、異形の里にいるの? どうして?」
「母さんが産んだ鬼の子と一緒に暮らしてるよ」
「えっ……ウソ」
「嘘じゃないよ。俺も、十歳からその子と一緒に暮らしてた」
洋巳は泣き始めた。今まで、心の奥深くに隠していたものが一気に溢れてきたように、嗚咽が漏れていた。
「今すぐは無理だけど、母さんの生活が落ち着いたら、里まで連れて行ってあげるから」
「御子姫様は、約束通り大切に育てて下さったんだね。剛拳まで……」
「うん。だから母さんも、もう少し元気になったら会いに行こうよ」
洋巳は涙を拭っても拭っても、次から次へとこぼれてきた。
取り上げられたと思っていたものが、どこかで生き、育ち、しかも剛拳と共にあった。
それだけで胸の奥で凍りついていたものが溶けていった。洋巳には深い感謝の念しかなかった。
双子は異形の里を訪れた。
奏司からの助言で、豪鬼へのお土産の肉だけは山ほど持って出た。
里長の出迎えに礼を言い、里の皆への奏司からの手土産を見せた。言葉は集まってきた皆に土産を渡していた。
唱はこしあんの餅を持って、御子姫に会いに家の中へ入っていった。
豪鬼と剛拳が双子の到着に気がついてやってきた。
双子は、豪鬼が奏司とそっくりなことに驚いた。鬼だと聞いていたが角も見当たらない。豪鬼は礼を言って肉のクーラーボックスを持っていこうとした、その時であった。
家の奥から御子姫の剣幕な怒鳴り声が聞こえてきた。
唱が持ってきたこしあんの餅を、美味しいと言って二つほど食べた時に、奏司からの土産だと告げると、急に人が変わったように怒り出したのだ。
「こんなものを食わせおって!」
御子姫は、先程まで美味しいと食べていた餅を、庭先に向かって投げつけた。餅は土がつき台無しになった。
唱は一瞬、何を見せられたのかわからずにいた。
御子姫はたしかに美味しいと言って笑みを浮かべていたはずだ。それが、奏司からの土産だと知った途端、まるで毒でも投げ捨てるように餅を庭へ叩きつけた。
餅を配っていた言葉は、里の者たちが餅をもらう手が止まったのを見ていた。庭先に投げられた餅の箱を見つつ、遠慮がちに土産をもらうと去っていく。
言葉に会釈をしながら、誰一人として声を出さない。ただ、息を潜めて気配だけが遠のいていく。
里の者たちにとっては、どうやらもう日常茶飯事なのだと、言葉の目には映った。
「いったい、どうなさったのですか」
何が何やらさっぱりわからない唱は、御子姫に聞くしかなかった。
「うるさいっ! そなたら、何しに来たのじゃ。私は大丈夫じゃ。さっさと去ね」
「姫様、少しお話をさせて下さい」
「うるさいわ」
唱は引き下がらなかった。御子姫の傍らに座ると、その態度をたしなめた。
「御子姫ともあろう御方が、いったい何を些細なことで腹を立てておいでか!」
御子姫が奏司からの土産の餅を怒って投げ捨てた様子は、集まっていた里の人々に見られていた。
しかも癇癪を起こしている姿は、あの事があってから頻繁に見受けられた。もう里の者は、誰もが見て見ぬ振りは当たり前となっていた。
言葉は里長から最近の御子姫の様子を聞いていた。奏司とのことは、本人から聞いたが、その後の御子姫の様子については初耳だった。
それでも二人は、話さないわけにはいかなかった。
御子姫と奏司には、揃って戻ってもらわなければならない。それも早急に。
言葉も唱の隣に座ると、今起きていることを御子姫に報告した。
特に奏司については、奏将大とともに過酷な穢祓いを行なっていることを伝えた。
「奏司のことなど、どうでもよいわ!」
「そういうわけには参りません。姫様と奏司殿は、つい先日契られたばかりの、頭領と総代でございます。姫様はよくわかっておいでのはずです」
「それがどうした! いちいちうるさいわ」
唱がそんな態度の御子姫をものともせず、話を続ける。
「姫様の身に起きた事を今後一切なきよう、奏家の者たちが命をかけて精進潔斎をし、穢と化した者を封じようとしているのです。奏司殿は、常世の眼を持つ者の力を借り、体に巣食った穢を祓っておいでです」
「だとしてもじゃ、あやつの私に対しての暴言暴挙の数々、思い出してもはらわたが煮えくりかえるわ!」
「姫様、奏司殿の口が悪いのと遠慮会釈の無い物言いは、本家へ来られたその日から変わってはおられません。それに、聞けば正論でございます。そんなこと姫様は十分ご承知のはずではありませんか」
「いいや、私を見るあやつの目つきが、どうにも我慢ならんのじゃ!」
「それは姫様がそうだからではございませんか。奏司殿はどうしていいかわからないと嘆いておいででした」
御子姫は双子があまりにもうるさいので、だんだんと鬱陶しくなってきていた。ここで、とりあえずでも何か納得することを言っておかなければ、彼女たちはずっと傍で話し続けることだろう。
双子は御子姫のお目付役でもあった。
「わかった。ここへ来られるようになったら来て、謝れば許してやるわ」
「本当でございますね! そのようにお伝えしますよ」
「ふん!」
御子姫がそう易々と奏司を許すはずもなかった。
ただ、そうでも言わねば、この胸の澱は沈みそうにもなかった。




