亀裂
結局、直接御子姫と話し合うほか、埒が明かないので、奏司は一人、異形の里へ向かっていた。
里長には前以て連絡は入れておいた。里の入り口で待っていてくれたのは、豪鬼と剛拳だった。
豪鬼は喜んで飛びついてきた。車のトランクを開けてもらうと、いつも通りにクーラーボックスを担いで持っていった。
奏司は里長の家へ挨拶に行った。里長とは将大の話になった。
「今回は将大殿も、ご高齢に関わらず思い切った事をなさっていらっしゃいますな」
奏司は静かに頷いた。確かに、齢百歳越えには過酷な精進潔斎だと思った。
「御子姫は、会えそう?」
「お待ちでございます」
あれからどれほど経っただろうか、御子姫はまだ布団を敷いたまま養生している様子だった。それほど体調が良くないのかと、奏司は一瞬ためらった。
奏司が声をかけようとしたところだった。
「ようもまあ、今頃のうのうと、やって来れたものよ」
それくらい言えるのなら大丈夫だろうと、奏司は近づいて傍に座ろうとした。
「元気そうで……」
「寄るな!」
御子姫の奏司を見る目つきは、里を後にした日と変わらず、何か汚いものを見るようなものだった。
仕方がないので、なるべく顔を合わせずに済むよう、奏司は隣の間の離れたところに座った。
座った途端、御子姫はきつい口調で責め立てた。
「里に家を建てておるそうじゃな。私になんの相談もなしにか、よくそのようなことができたものじゃ」
「相談するつもりだったよ。間が悪かったんだ、あんなことがあって」
奏司にしてみれば、黙って進めたつもりはなかった。
里にいる間に、落ち着いて話せるなら話すつもりだった。それが無理だとわかって、すぐに報告書にまとめて送った。
御子姫はあのことがあってから、何を言ってもまともに受け取れない時がある。とくに奏司の言葉には、最初から拒絶が混じるようになっていた。
だからといって止めていれば、洋巳を迎える場所も整わない。奏司には、進めるしかなかった。
けれど、御子姫にとっては、それは勝手に自分の頭越しに決められたことにしか見えなかった。そう思えば、勝手すぎたのかもしれない。だが、取り合ってもらえない時はどうしたらよかったのか。
「私のせいにするのか!」
「そうじゃなくて。話す機会がなかっただけで、悪かったと思ってるよ、勝手に進めて。でも話ができる状態じゃなかったし。もう時間もなかったし」
「うるさい! 結局、私のせいじゃろ!」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
御子姫は黙った。そう言われたところで、返す言葉が見当たらない。
「本当はあの日、ゆっくり話す予定だったんだ。母さんの身元引受人になった。もうすぐ、刑務所から出てくる。一緒に暮らすつもりだ」
「なんじゃとっ!! あの、洋巳とかっ!!」
「俺の母さんだ。わかってるじゃないか。そりゃ、殺されそうになったのは覚えてるよ、けど……」
「それで家を建てておるのか。呆れたわ。里に住まわせるのは許さぬ」
「わかったよ。だけど、剛拳にはとっても会いたがっているんだ。剛拳と会わせるくらいいいだろ。それに豪鬼も」
「今、なんと言った。豪鬼と会わせるじゃとっ!?」
「ああ、鬼の子だからって、生まれてすぐ取り上げて里に預けたんだろ。豪鬼も大きくなったんだから、一回くらい会わせて……」
「ならぬ! だめじゃ、だめじゃ!」
御子姫は何を言っても、ことごとく許さぬの一点張りだった。
「あのさ、母さんも刑務所入って、しっかり罪も償ってる。それに病気にもなってるし、俺しかいない……」
「病気なら病院へ入院させておけばいいじゃろ」
ムカッとした奏司は、思わず触れずにいた奨弥のことを口にしていた。
「父さんみたいにか、それで本家に置きっぱなしにして、人任せにして、どうなったよ」
御子姫はあの事を思い出させられて、声にならない悲鳴をあげた。
「自業自得なんだよ、なんでもすぐに人任せにするから」
「やめてーっ!!」
御子姫の切り裂くような声に、遠く離れた里の奥の家から豪鬼と剛拳が走ってきた。
奏司は落ち着いた様子で、二人に説明した。
「ちょっと言い争いになっただけだよ」
里長が戻ってきて、奏司に少し外すよう促すと、御子姫を一生懸命なだめていた。
奏司は豪鬼と剛拳に連れられて、家の方へ向かった。
「何を話されていたんですか」
「母さんのことだよ、もうすぐ出てくるんだ。一緒に暮らすことにした。そしたら、ダメだって、病院へ入院させておけって、ヒドくね?」
奏司は平静を装っていたが、相当頭に来ているようだった。
「それで余計なこと言って。でも、たった一言、父さんみたいにかって。それであんな声出されたら、もうムリかな」
「それだけ、心の傷が深いということです」
「仕事もできないくらい?」
剛拳は頷くと、困り果てた顔をしていた。
「里へもまだ戻れません。響家本家へも、奨弥殿の記憶が残る場所ですので、無理なようです」
「そうだろうね。俺のことも凄い目で見てたよ。穢れたものでも見るような」
奏司は、代わってやってもどうせ後から文句を言われ、やり直しになるのは目に見えていると思った。
だから最初から、全部御子姫が決めるべきだと言い切った。
「俺もそんなに暇じゃないんだ。また来るよ」
豪鬼が強引に腕を引っ張り、「ごはん、ごはん!」と奏司を引き止めた。豪鬼が抱きついて離れないので、あきらめてご飯を食べてから帰る約束をした。
奏司は何か困ったことがないか、剛拳に聞いたが特に……と返ってきた。
母洋巳の話をした時に見せた、揺れのようなものはすでに上手く隠されていた。
ご飯を食べながら、豪鬼がチェスをやりたがった。まだ奏司とはほとんどやっていない。夕方に車が来るまでなら、と食後に相手をすることにした。
すると、チェスをしながら、ナイトの駒を持って豪鬼が妙なことを言ってきた。
「ごうき、ひめ、いっしょ、ケガレ、たおす。ごうき、ついなる」
「豪鬼、対って言った?」
「ごうき、ひめ、ついなる。ひめ、いった。ついなる、たたかう」
奏司の背筋には、すうっと一筋戦慄に似た冷たいものが走った。
豪鬼はただ、嬉しそうに駒を握りしめ、奏司へ差し出してくる。
ついさっきまで笑いながらご飯を食べ、子供のように目を輝かせてチェス盤を覗きこんでいた、その豪鬼が。
御子姫の口からはもう戦の形として語られていたのかと思うと、奏司の胸には名のつけようのない感情が激しく渦巻いた。
御子姫が傷ついていることはわかってはいる。
あの日のことを思い出せば、まともでいられないのもわかる。
だが、それとこれは別だった。
豪鬼は、戦のために都合よく並べる駒ではない。奏司にとって豪鬼は、もうとっくに、守る側の者だった。
御子姫がもし本気でそんなことを考えているのなら、今ここで止めなければならない。
奏司は立ち上がると、里長の家へ走った。
戸を開けるなり、奏司は奥の間の御子姫に聞こえるように大声で怒鳴った。
「御子姫ぇーっっ!!」
里長が止めるのも振り切って、奥の間まで行くと御子姫に食ってかかった。
「おまえ、豪鬼をなんだと思ってるんだっ!!
おまえは戦のことになると、やり方が鬼なんだよっ!!
何が戦頭領だよ、頭領ってのはそんなもんじゃないっ!!
人を戦の道具にしか見ることできないんなら、おまえもアイツと同じだっっ!!」
「アイツじゃと…」
「名前が聞きたいかーっ!!」
ひっ……と顔を伏せる御子姫に、奏司は釘を刺した。
「おまえ、豪鬼になんかしたら、ブッ殺すぞ、いいなっっ!!」
いくら御子姫の考えでも、自分のあずかり知らぬところで、豪鬼に何かあったらと思うと、奏司にはそれこそ許し難かった。




