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御子母の惑星─みこものほし─第一部 運命  作者: 宮生さん太
第七章 反転──力の代償

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父、奨弥(二)

「ケガレ、ケガレ、いるっ!!」


 結界の外では、豪鬼が狂ったように御子姫を呼び続けていた。

 剛拳が止めても、豪鬼はやめなかった。結界の向こうにある異変を、豪鬼だけははっきりと感じ取っていた。


「何をする気だ、豪鬼!」


 豪鬼は輪紋を繰り出した。剛拳が止める間もなく、幾重にも放たれた輪紋が結界の表面へ重なっていく。


「ケガレ、はらうっ!!」


 輪紋に共鳴させるよう、柏手を打つと高らかに唱えた。


「ト、ホ、カ、ミ、エ、ミ、タ、メ、ッッ!!」


 パーンッッ!!


 乾いた破裂音が山へと響いていく。

 もう一度。

 さらにもう一度。

 結界に阻まれ、豪鬼の力は中へ届き切らない。それでも柏手の音だけは、深い水底へ落ちる石のように、どこまでも響いていった。


 奏司は暗い場所にいた。


 何も見えない。

 ただ、ぬめりと生臭さを帯びた嫌な臭いだけが満ちている。

 耳の奥で、乾いた音だけが何度も弾けていた。


 ──なんだ、これ


 パーンッ、とまた音が響く。

 柏手だ。

 そう思った瞬間、奏司はゾッとした。あの臭いは知っている。

 常世の(ケガレ)がまとわりつかせる、あの独特の臭いだった。


 ──まさか


 その時、どこか遠くから、かすれた声が漏れ聞こえた。


「……ぁぁぁぁぁぁぁ……」


 御子姫の声だった。


 奏司の意識が一気に浮上した。

 自分は何をしている。何が起きている。考えるより先に、拒絶だけがこみ上げる。


 ──頼む、戻れ、戻れ!


 焦るほど、闇のような影はまとわりついた。奏司はがむしゃらに輪紋を繰り出し、大祓詞を唱えようとした。


 その時、ふと昔の記憶がよみがえった。


「……奏司、この(ことば)だけ憶えておけ。おまえはまだ小さいからこれで良い」


 奏司は、輪紋を二つ繰り出し二つ向かい合わせにした。その中心に向かって柏手を打つ。


吐普加美依身多女(トホカミエミタメ)


 闇が、ざあっと引いた。

 どこかで舌打ちがした。


 奏司が我に返った時、目の前には御子姫がいた。

 裸同然の姿で、手首を縛られ、怯えきった顔でこちらを見ていた。


 やったのは自分だった。

 たとえ自分の意思でなくとも、その事実は変わらない。


「御子姫……」


 近寄ろうとした途端、御子姫が後ずさった。その怯えに、奏司は息が止まった。


「いやじゃ、いや……いやあああ……」


「しっかりして、奏司だから」


「嘘じゃ、また、いやじゃ……あっちへ……」


 奏司はそれ以上言わず、御子姫を抱え上げた。井戸端へ連れて行き、手押し井戸のハンドルを力いっぱい動かす。冷たい清水が二人に降り注いだ。


 何度も何度も水をかけた。

 自分にも、御子姫にも。


 洗えば消えるようなものではないとわかっていた。それでも、そうせずにはいられなかった。


 御子姫はしゃくり上げながら震えていた。奏司は黙ったまま御子姫を風呂場へ連れて行き、乾いた布で体を拭き、髪を拭いた。手首に食い込んだ腰紐は水を含んでさらに固くなっていた。


 御子姫には豪鬼のスウェットの上下を着せ、毛布でくるんだ。


「御子姫、落ち着いた? 奏司だよ。わかる?」


 顔を覗き込むと、御子姫の体は反射的に引いた。

 その動きが、奏司には何よりこたえた。


 遠くから、なお柏手の音が聞こえてくる。

 豪鬼だ。


「御子姫、結界解ける? もう、祓い清めたから」


 奏司はそう言い残すと、先に家を出て結界の際まで歩いて行った。


「豪鬼、わかるか」


 柏手の音が止んだ。


「そうし、きた。そうし、わかる。ケガレ、いなくなった。ひめ? だいじょぶ?」


「大丈夫だ。剛拳、いる?」


「奏司殿、おりますぞ」


「御子姫がちょっと……あいつが出てきて……」


 そこまで言って、奏司は言葉を切った。

 口にした瞬間、現実になる気がした。


「まさか……御子姫ひとりで、ずっとこの中に? ねえ、誰もこの結界解けないの?」


「無理だそうです」


「そう、わかった。剛拳、あとは頼むよ」


「奏司殿?……奏司殿っ!」


 奏司は踵を返した。

 御子姫のところへ戻る。


「御子姫、結界を解いて。もう、きれいにしたから。祓い清めたから」


 御子姫は首を振った。まだ奏司を見ても、奨弥の影が重なって見えているのだろう。


 その時、奏司は悟った。このままでは、また同じことが起きるかもしれない。


「このまま結界解かないと、俺、また乗っ取られたら同じことしてしまう。それは二度としたくない」


 奏司は家の裏へ回り、(なた)を持って戻ってきた。


「御子姫、ごめんね。これしか思いつく方法がないんだ。もっと早く、こうしていたら、こんなに傷つけずに済んだのに」


 鉈を見た御子姫の顔が強張った。

 だが奏司の目は本気だった。




 その時、内側で奏司に話しかける声がした。


(死ぬのか。ようやくその気になったか)


 奏司の鉈を持つ手が止まる。


(おまえが死ねば、俺は自分の体へ戻る。そうしたら姫はまた俺のものだ)


 ──どういうことだ


(おまえはバカか、言葉通りだ。おまえがいなくなれば総代に戻って好きにさせてもらう。ちょうどいい具合に将隆は死んだしな。俺は自由だ)


 ──そんなことができるものか


(忘れたのか、おまえは俺の体の俺とも会い、おまえの中の俺とも話をしているだろう)


 ──ウソだ!!


 奏司は歯を食いしばった。

 鉈を握る手に力がこもる。


(嘘だと思うのなら、死ねばいい。姫は俺のものにする。双子に戦をやらせ、姫が壊れたならなおさら都合がいい)


 奏司は、初めて明確な憎悪の念を持った。


 ──それなら、父さんの体を始末してから死ぬよ


 奨弥の声が止まる。


 ──常世の(ケガレ)の中に突き落としてやる


 沈黙だけが残った。


 ──今度出てきたら、本当にやる。覚えとけ!


 奏司はそこで悟った。

 奨弥にとっても、向こうの体は必要なのだろう。そうでなければ、あそこで黙るはずがなかった。




 鉈を持ったまま立ち尽くしていた奏司へ、御子姫がようやくかすれた声を投げた。


「そんな物を持って、どうする気じゃ……」


「御子姫?」


 奏司は駆け寄った。


「もう大丈夫?」


 御子姫は小さく頷いた。

 だが手を伸ばすと、やはり体は避けるように引いた。

 奏司は鉈を縁側に置いた。


「結界を解いてほしいんだ」


 御子姫はしばらく奏司を見つめ、それからようやく結界を解いた。

 豪鬼と剛拳が駆け込んでくる。里長もほどなく姿を見せた。


「御子姫殿、家へ戻ってお休みください。いかがですか、戻れますか」


 御子姫は頷いた。

 奏司は剛拳に目を向ける。


「俺はいいから、御子姫を頼むよ」


 豪鬼がそばへ寄っても、御子姫の体は一瞬ぴくりとした。

 その傷がどれほど深いか、奏司にはそれだけでわかった。


 養い親たちが淡々と後片付けを始めていた。汚してしまった畳も建具も、部屋中一式取り替えられるよう奏司は手配した。


「奏司さんは大丈夫ですか」


「え? 俺は……そんなことより、本当にごめんなさい。大切な家なのに」


 そう答えながらも、奏司の体には感触だけが生々しく残っていた。

 自分の意思ではなくとも、自分の体でやったことだ。

 それがたまらなく気持ち悪かった。


 奏司は頃合いを見計らって里長の家へ向かった。

 里長に上がるよう勧められたが、奏司は丁寧に断った。


「何があったのか、お聞きしても構いませんか。散歩しながらでも」


「そうだね、里長に相談した方がいいかもしれない」


 二人は連れ立って里山の方へ向かった。


「当分、御子姫を里で預かってほしいんだ。心が元気になるまで」


 里長は頷いた。奏司は少しだけ救われた気がした。


 それから奏司は、自分の中にいる父奨弥のことを、知っている限りすべて話した。

 御子姫への異様な執着。

 そして今日、自分がケガレのようなものの中にいたとしか思えないことまで。


「俺、気がついたらケガレの中にいるような気がしたんだ。あの、ぬめっとした、生臭いような臭い。で、ここへ来た頃に教えてもらった詞で祓えた」


「ケガレですか。豪鬼が結界の向こうに穢がいると言って、祓おうとしておりましたが、結界に阻まれて思うようにいかなかったようでした」


「そうだったんだ。豪鬼がやってくれなかったら、俺、気づけなかったと思う」


 珍しく、里長は深くため息をついた。


「なんと、奨弥殿がそのようなことを……」

  

「信じられないかも知れないけど、あいつは俺に自分のために、御子姫と結婚させるために作った、そう言ってた。小さい頃、何回も聞かされたよ」


「なんと仰られましたか、自分のために作ったと?」


「うん、ハッキリ言ってたよ。だから、こういうことだったんだってわかって、怖いなって思ってる」


「奨弥殿は奏家本家本元のみが受け継ぐ禁術を、ご自分の欲のためだけに使われたのか。なんということをされたのか」


 奏司は、里長の驚きと落胆に、背筋が凍る思いだった。


「奏家の禁術って何? 聞いても大丈夫?」


「奏司殿は、奏家の本家本元だと、奨弥殿の書状があって総代の座に着かれました。それなら、奨弥殿の御祖父上(そふうえ)に会われてお話しされてはいかがでしょうか」


「いるの? 俺、なんにも知らないんだけど」


(かなで)将大(しょうだい)という方です。ご存命です。少し遠方ですが東の山間にこもっておいでです。私から連絡しておきましょう」


「マジで! 里長、ありがとう!」


 奏司は思わず里長に抱きついた。

 里長は少し笑った。


「グッジョブですな」


 これでようやく、奏司の顔に表情が戻った。


 里長の家へ戻ると、奏司は帰る支度を始めた。


「俺がいると、御子姫は落ち着かないと思うから、今日帰ることにするよ」


「そうですか、今夜ぐらいは泊まられては。御子姫殿がもし気がつかれて、いらっしゃらないと知ったら、どう思われるか」


 奏司は迷った末、頷いた。


「そうかな、里長がそう言うなら、車は明日朝イチで手配し直すよ」


 その夜、御子姫は一番奥の間に、豪鬼と剛拳は中の間に、奏司は手前の間に休むことになった。奏司はあちこち電話をかけたあと、麻縄を取り出した。


 奏司は眠るのが怖かった。


 眠った隙にまた奨弥が出てくるかもしれない。

 だが眠らなければ、それ自体が仕掛けられた罠のようにも思えた。


 奏司は自分の手首に縄をかけ、それを柱へ結びつけた。


「そこまでしなくとも……」


 誰かがそう言ったが、奏司は首を振った。


「そうじゃないと、眠れないんだ」


 そのまま横になる。

 闇が来るのが怖かった。

 それでも瞼は重くなる。


 奏司は、柱に結ばれたまま眠りへ落ちていった。


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