見えない歪み
奏司は奏家本家へ荷物を取りにきた。部屋を開けると、いきなり信じられない光景が目に飛び込んできた。
「何をやってるんだっ!!」
一人の女が奨弥の服を持ちしゃがみこんだ。
「おまえ、誰だ。何してたか言え」
「若様、お赦しを……」
奏司の剣幕な怒鳴り声に、留守を預かる者が駆けつけてきた。
「こいつは何なんだ」
その男は三十後半に見える年輩者だった。
「元総代の身の回りの世話をさせております」
奏司は女を床に座らせた。男は気まずそうに厄介なものを見られたなという様子だった。
「説明してもらおうか」
御子姫が生まれた年、奨弥は十六で奏家総代になった。御子姫との婚約を条件に、総代の座に据えられた。
その時に奨弥付きの世話を専門にする女たちが五、六人新たに連れてこられ、衣食住の世話をしていた。
奨弥は奏家の悪習を当たり前のように受け入れていた。幼い頃から、家の中にはそういう女たちがいたのだ。
奨弥は本家の若様であり、総代でもあった。女に不自由することはなかった。
そうした女たちは、結局はけ口であり、道具と大差なかったのだろう。
洋巳を借り腹として利用する発想も、その延長にあったのかもしれない。
男が説明した奨弥の世話をしていた女は、奨弥が失踪直前まで可愛がっていたらしかった。女は三十後半で、本家で世話をする女たちのまとめ役として残っていた。
「お懐かしゅうて、お世話をさせていただいておりました。どうか、どうかもう二度と致しませんので、お赦し下さいませ」
奏司は、自分の知る父親とは違う姿を知り、頭が混乱してきた。
「話はわかったよ、一つ聞いていい? いったいどれくらいの人がこのこと知ってるの?」
「このこととは……」
男は、どのことかはかりかねて聞いた。
「この女の人が、体拭いたり父さんのお世話してる時に、 それ以上のこともしてたの」
「それは、私だけだと思います。他言せぬよう申しつけております」
「ってことは、命令したの? それとも、女の人がするのを許可したの?」
「私が悪いんです。どうかお赦し下さい」
女は泣きながら謝っていた。奏司は、その涙の意味が知りたかった。
「ねえ、なんで泣いてるの」
女は顔を上げると、奏司をじっと見つめた。奏司は、なぜかこれ以上責める気持ちがわいてこなかった。
「父さんのこと、好きだった? もしかして、ここで待ってた?」
「はい……」
奏司は女のことを責めるのはやめた。そして、そのまま世話を続けるようお願いした。
御子姫には、決して知られてはならない。くれぐれも気をつけるよう念を押した。
それとは別に、奏司は男に本家を管理する者を集めさせた。
「みんなに聞きたいことがあるんだ。ここにいる女の人たちのこと」
男たちは皆一様に口ごもった。御子姫から禁止するよう命ぜられたことが、ひそかに行われていたからだった。
なんとかして正直な内情を聞き出した奏司は、先程の父奨弥の話から想像したことと、当たらずも遠からずだと思った。
「俺さ、御子姫にはバレたりしてほしくないわけ。俺にはまだ全部わからない。でも、それでもこの里は何か歪んでる。人らしい暮らしが見えないんだ」
奏司は、真剣な目をして、集まった男たちを見渡した。
「戦しかないから。それ以外の欲求が全部、そういうことに行っちゃうんだよ。それを禁止したら、また別のところでおかしくなっちゃう、違う?」
奏司は漏れそうになるため息を飲み込み、冷静に対処していた。
「俺、この里を変えていきたいんだ。御子姫と話し合ってみるから、それまで絶対バレないよう、うまくやってよ、頼んだからね」
男たちの顔からは安堵の表情が浮かんだ。年端もいかない少年から、まさかの大人の対応が出るとは思ってもみなかった。
「あ、そうだ。みんなに言っといて。俺はそういうの要らないから。ここに泊まっても、絶対にやめてね」
奏司は取りに行った荷物を持ち、何食わぬ顔で戻ってきた。
父奨弥の話だけでなく、聞かされたことは奏家から響家への道すがらだけで、消えるようなものではなかった。
散歩をしようにもするあてもなく、結局響家まできてしまうと屋敷に入った瞬間から独りになれる場所はなかった。
「遅かったのう」
「そうかな。ちょっとひと段落ついたから、奏家本家の中の様子を聞いてただけだよ」
御子姫は何も言わず、じっと奏司を見つめていた。
問われる前から、何かを見透かされているようで、奏司は落ち着かなかった。
「そうか。それは大変じゃったなあ」
「いや、別に。新しく総代代理も選ばないといけないし」
「そうじゃのう。奏家の代理は選ぶのは難しいじゃろうな」
御子姫は言葉遣いもそつなく、いつもと変わらない様子だが、奏司には話をどう続けて良いのかわからなかった。
奏司は肝心な父奨弥の一件は伏せた上で、年配者の中に残る奏家の悪習への認識の違いを話した。
そして若い者たちの間での、思いもよらぬ割り切りを見せられた話をした。
「まだ、そのようなことが残っておるのか」
「ほんの一部だよ。でも、ただ乱れてるだけじゃないんだ」
「どういうことじゃ」
「好きとかいろいろ、そういうもの全部ぐちゃぐちゃなんだよ」
「ようわからぬ。何がじゃ」
「何がって……」
奏司は言葉に詰まった。
御子姫にはどう伝えたらいいのか、奏司は言葉を探していた。
御子姫にとって外の世界は最初から与えられていないものだった。だから、わからないのではなく、そういう問いを持つことさえ許されぬまま、ここまで来たのだ。
一方で、奨弥には、考えずとも女があてがわれていた。その時点で、すべてが違っていた。今でもそうだ。
──そのことに、父さんは気づいているのだろうか
「御子姫は俺のことどう思ってる?」
「どうって、申し分ないが、どうかしたか」
「そうじゃなくて、俺のどこが好きなの? 俺のこと本当にどう思ってるの?」
「大切に思うておる。命に代えてもよいと思うほど大切な存在じゃ」
その言葉選びに、奏司は御子姫の生い立ちを重ねてみた。これが精一杯の御子姫なりの愛の言葉なのだろう。
こんなことになるくらいなら、御子姫の前では、もっとうまく何も知らぬ顔をすればよかった。
何を見て、何を恐れているのか。それを御子姫に話してしまえば、何かが壊れる気がした。
奏司の脳裏にある父は、母洋巳に性の営みを強要されていた姿しかなかった。それだけではなく、御子姫を愛していたかどうかまではわからないが、執着は強く残っているのはわかっていた。
父と母の関係が何か歪であることは、子供の頃から感じていた。とても仲が良かったとは言い難かった。
父は自分にはやさしかったが、母には怒鳴ったり手を上げていた。それでも時々は嘘のように穏やかで、愛し合っているのだろうと錯覚してしまうほどだった。
いずれにせよ、今思い返せば二人とも異常なほど何かへの執着が強かった。
奏司は、自分が御子姫を好きなのは、どこからどこまでが自分の意思なのか悩んだことがあった。
子供の頃から御子姫のことを聞かされ、将来は結婚するのだと刷り込まれてきた。全部、父奨弥からだった。
人は一旦執着すると抜け出せなくなるのだろうか。
あの、父の世話をしていた女の人もそうだろう。
それともここの里のせいなのか。
──なんか、怖いな。なんなんだろう
昨夜も、そうだ。御子姫が乱れ、崩れていくのを、美しいとただ見つめていた。
──これ以上、ここで考えるのはよそう。ケガレに当てられそうだ
あと数日で、異形の里へ行ける。
そこには豪鬼がいて、剛拳がいて、余計なことを考えず眠ることができる。
奏司はいつのまにか幼子のように、異形の里へ帰る日を指折り待つようになっていた。




