十年越しの約束
奨弥は嘘をついていた。洋巳に腹の子を御子姫に渡すよう、仕向けるためのものだった。
妊娠がわかってからも、奨弥は魂込めと魂移しの禁術をやり続けた。どうせ同じことなら、呪言のように禁術を己の中で唱えながらの方が、これは目的のためだと割り切れる。
それだけ、残してきた御子姫への罪悪感に苛まれずに済む。
当然、奨弥の生活も荒れていた。
洋巳と一緒に店を手伝おうとした時のことだった。奨弥に言い寄る客の姿に、洋巳は我慢がならず、店を閉めた方がマシだとブチ切れた。
洋巳の奨弥への執着心もまた、凄まじいものがあった。
酒の残り香が抜けない部屋で、奨弥は何度目かのため息を飲み込んだ。
何も考えたくもない。自然に酒量も増えてきていた。
半年ほど経ち、腹の子も大きくなり堕すのも難しいようになってから、やっと洋巳は御子姫に会って話をつけてもいいと言い出した。
奨弥は剛拳と連絡をとった。御子姫へ直接連絡するのは気が引けた。御子姫に、今の姿を見せることさえためらわれた。
考えようとするたびに、奨弥は酒をあおった。
「御子姫殿、少しいいですか、奨弥殿のことで……」
戦の訓練の後、剛拳に呼び止められ、御子姫はしばらく聞かなかった名前を耳にし心がざわついた。
「何かあったのですか」
「はあ、連絡が……あの、お会いできないかと……」
言いにくそうに口ごもる剛拳に、御子姫はだいたい察しがついた。
御子姫は少しだけ態度をやわらげると、ためらうことなく話してくれるよう頼んだ。剛拳にこんなことをさせて、いったい何をしているのかと呆れていた。
「ここへは来られないので、街まで来てほしいとのことです。私もお伴しますが、よろしかったですか」
「私一人では、何か都合が悪いのか」
剛拳の様子を見ているだけですぐにわかった。愚直な男だ。
「剛拳殿を困らせるつもりはない。戦と訓練の合間を縫って、そなたの方で日取りを決めてくれ」
そうして連れてこられたのは、繁華街の場末にあるビルの地下の店だった。
店の名前を見て、御子姫は立ち止まり大きなため息を落とした。
店に入ると、洋巳が店の奥のテーブル席へ二人を案内した。それを黙って見つめる男がいた。
──まさか、奨弥……なのか?
別人ではないのかと思えるほどの変わりよだった。
御子姫は愕然とした。
その奨弥の隣へ、ぴったりと体をくっつけて洋巳が座った。
洋巳も、いかにもという感じの女に変貌していた。遠慮のない不躾な眼差しで、奨弥の前に座った御子姫を見ていた。
御子姫は、奨弥へかける言葉が見つからなかった。
剛拳は少し離れて座り、事の成り行きを見守っていた。剛拳もまた洋巳の変わりように、わかっていたとはいえ言葉がなかった。
「お久しぶりですね、お元気そうでなによりです」
洋巳の挨拶を無視して、御子姫は奨弥の方を見ていた。
やつれて髪も伸び放題、まだ三十そこそこだろうにもう白髪が目立つ。
「奨弥……殿」
かすれた声で、御子姫はやっと奨弥の名を呼んだ。ピクリと、奨弥が反応し御子姫を見た。洋巳は眉をしかめて、割って入り御子姫に向かって喋りかけてきた。
「黙れ!」
御子姫は洋巳を睨みつけた。
「私は奨弥殿と話をしに来たのじゃ」
「誰が話したって同じことよ。ねえ、見てわかるでしょ。奨弥のもの、ちゃんとここにあるの。奨弥はね、もう帰りたくないんだって……」
洋巳が勝手に喋り始めると、奨弥は洋巳の頰をぶった。 そして突き飛ばすと、あっちへ行けと追い払う素振りをした。
「だって、奨弥……私!」
「……っるせぇな! 黙ってろ!」
奨弥の目は、何か汚いものでも見るかのように洋巳を睨み舌打ちした。
洋巳はカウンター席に座って、二人の方を見ていた。洋巳の腹は少し目立つようになってきていた。
奨弥はテーブルに片肘つくと、前髪をかきあげそのまま頬杖をついた。
下から見上げるように、御子姫を伺っている。その目は生気が乏しく感じられた。
テーブルに無造作に置かれたもう片方の手を、御子姫は両手で優しく包んだ。
「もうよい……何も言わんでも。わかった、剛拳殿から聞いた」
奨弥は御子姫の手を振り払おうとした。
テーブルに一雫、涙が落ちたのを見て、手が止まった。
「子が生まれたら、十まで育ててくれんか。戦が終わったら会いに来る」
それだけ言い残して、御子姫は席を立った。
「ホントに別れてくれるんでしょうね!」
立ち去ろうとする御子姫に、洋巳がつっかかった。奨弥はそれを見て、洋巳をぶん殴ろうと拳を振り上げた。
それを静かに剛拳が止めていた。
剛拳は奨弥と目が合うと、一礼し無言で御子姫の後を追った。
店の外で、御子姫は声を押し殺して泣いていた。
何より、奨弥の変わりようが切なくて、胸が張り裂けそうだった。
御子姫と剛拳が帰ると、洋巳が奨弥へ食ってかかった。
「なによ! あの態度! 結局まだ御子姫のことが好きなんでしょっ!」
「うっせえなぁ!! おまえ、俺のこと信じらんねぇのかよ!! わぁったよ!!」
イスを蹴飛ばし店から出て行こうとする奨弥を、後ろから抱きしめ洋巳は謝り続けた。
「俺を独り占めできたら文句ねぇんじゃ、ねぇのかよ!!」
すがりつく洋巳の手を振りほどき、奨弥は突き放した。
「いっつもいっつも、人のこと監視しやがって!! いい加減、うんざりなんだよっ!!」
「そんなこと、ないっ!」
「あやまれ」
ボトルからウィスキーがグラスに注がれる。
それをゴクリと飲み干すと、奨弥は床に叩きつけた。
街から里へ戻ると、それまで黙っていた剛拳が気になることが……と、御子姫に尋ねてきた。
「あの、店で、子を十歳まで育ててとか、仰っておられたように……」
「そうじゃ。実は、本気で大戦をせねばならんような……ことになりそうなのじゃ」
「と言いますのは……」
「どうやら、将隆殿から、表の政治向きのことで話があってな」
御子姫は剛拳に、近々将隆と表の政治向きの席へ行くことを話した。将弥が失踪したことで、奏家の御子姫への対応にも変化が現れてきた。
特に、将隆は御子姫を呼ぶことが多くなっていた。
「剛拳殿には、大戦に向けて、若い輪紋経紋衆の鍛錬をしっかりとお願いします」
「そうでしたか。確かに最近の穢の様相は、昔、大戦に行った頃の雰囲気には近いものがありますな」
「不思議なものよな。どれだけ日々一掃しようと、十年くらいの周期で急に、とめどなく湧いて出るようになる。仕方がない」
御子姫は、将隆と表の政治向きの席へ行く前に、豪鬼のところへ行ってくると言い、剛拳へ後を任せると出かけていった。
剛拳は御子姫の心中を察すると、豪鬼に会うのもどうなのかと心配した。豪鬼は洋巳が産んだ子である。
豪鬼は、どんどん若い頃の奨弥に似てきていた。きっと元服式の前はこんなであったろうと思えるようだった。
「豪鬼!!」
御子姫が来るのを、どうやら足音か何かで聴き分けるのだろう。御子姫が家に着く前に飛び出して、いつも豪鬼は柿の木の側で出迎えた。
「いつもここで出迎えてくれるのう」
それを育ててくれている夫婦に話すと、御子姫が豪鬼と約束をしているからだと教えてくれた。
御子姫は気がつかないうちに、豪鬼が赤児の時から柿の木より外へは出てはいけないと教えていたという。
結界の力を考えると、家の前にある柿の木から向こうへ行くのは危険だと、そう教えていた記憶が蘇ってきた。
「そうか、そうか、豪鬼は賢いのう」
豪鬼を抱きしめた途端、涙が落ちた。
あれほどまでに変わってしまった奨弥に、それを気づいてあげられなかった自分に。御子姫は我慢していた涙が止まらなかった。
すると、豪鬼まで一緒に、えーん、えーんと小さく声を出して泣き出してしまった。御子姫の涙を小さな手で拭いながら、一緒になって泣いていた。
それがまた愛おしくて、大丈夫だと抱きかかえながら、御子姫は泣くのをやめた。




