別れ芽
響家本家では、血の契りを控えた若い経紋衆の女たちが親元を離れ集団で暮らしていた。
血の契りを結べば対は本家を出る。だが頭領となった者だけは本家に住み、総代は奏家本家から通ってくるのが常であった。
奨弥が御子姫の元へ来なくなって五日が過ぎた。
何も告げずに、突然来なくなったので、御子姫は奨弥の身に良からぬことが起きたのかと心配になった。このままでは戦にも影響する。
そこへ剛拳が、造船の件で御子姫の元へやってきた。
穢の大型化に備え、副船の増強が進められていた。
「剛拳殿、奨弥様が帰ってこんのじゃ。何か聞いておらぬか」
「そうですか。よかったら船を見に行かれませんか」
剛拳は、双子も一緒に連れて、間もなく完成する副船を見に行くことにした。
造船所では、真新しい船が完成を待つばかりだった。双子が甲板の方へ見に行っている間に、剛拳は一通の書状を御子姫へ手渡した。
「……なんじゃ」
御子姫は書状を見るなり、勢いよく破り捨てた。
「一年待てと。なんの冗談じゃ」
剛拳が拾って渡そうとすると、御子姫は燃やすよう言って受け取らなかった。
手が、小刻みに震えていた。
──そういうことか
「姫様ーっ! 主の船より立派に見えるーっ!」
船の上からはしゃぎながら双子が大声で呼びかける。御子姫は手を振り返した。
「穢は待ってはくれぬ。船が完成次第、即刻訓練せい。順次、イタチの掃討を行っていく」
「御子姫殿の対はいかが……」
「要らぬ!!」
双子の息の合った動きを見ながら、御子姫は剛拳に言った。
「大砲が撃てるようにしてくれ」
「双子なら、やれるかもしれませんな」
「あと、何年ある。厄まで」
「三年といったとこです」
「そうか……剛拳殿は先の大戦の時はいくつじゃった」
「二十歳そこそこの若造でした」
「対は……」
剛拳は珍しく、聞かれたまま話を続けた。
「穢に受けた傷が元で失明し引退しました。まだ二十歳でした。私は戦へ戻らねばならんかったので、相手の親から離縁してくれと頼まれそうしました」
「そうか……大戦は心して挑まねばならぬな。勉強になった、ありがとう」
大戦を起こすつもりなのか心配する剛拳に、御子姫は大笑いしながら否定した。
今の力では、とても大戦などできぬ。最低でも一年は鍛えねばならない。
気がつけば、現世では十年が過ぎる。
奨弥を忘れるには、ちょうどよい。
「剛拳殿、私は頭領じゃ。己の都合で戦などしておったら、誰もついては来ぬ。とにかく今は、最低一年、鍛錬を繰り返し、力をつけさせねば。怪我人どころか、死人が恐ろしゅうて大戦などできぬわ」
以後、戦と鍛錬の予定は御子姫の指示で組み直された。
そんな中、奏家総代の席は空席とされた上で、将吾の婚姻が正式に発表された。それは奏家の中で静かに何かが決まった合図でもあった。
御子姫は曽祖母の元へ向かっていた。
かねてから取り計らってもらっていた、美琴とやっと会えることになったのだ。それも、きっと将吾との縁談がまとまったおかげかもしれなかった。
「大祖母様、ごきげんよう。どうもありがとうございます!」
玄関には見慣れぬ綺麗な草履が一足あった。
──もう、お着きになっていらっしゃるのかしら
カナ江に案内され座敷に通されると、四十半ばくらいの上品な訪問着を着た女性が待っていた。
美鈴の妹、美琴であった。加えていうなら、奏将隆の妻、将吾の母親である。
「姫様、ようやっとお目にかかることができました。この度は、将吾に良いご縁をいただき、まことにありがとうございました」
「こちらこそ、お会いできて嬉しゅうございます」
将吾は、御子姫が用意した縁談を大層気に入り、二つ返事で承諾して婚姻まで進めていった。
相手は、一度対を組んだ優帆の妹で帆波といった。
帆波は響家の中でも美しいと評判の娘だったが、戦に出て戦えるほど体が丈夫ではなかった。
「帆波は力はそこそこあるのじゃが、生まれつき繊細でな、穢との戦には向いておらぬゆえ、奥の方で働いてもらおうかと思うておったところ、それならと……」
「まあ、そうでしたか。それでは、我が家でも大切に、この身に代えましても大切にさせていただきますね」
御子姫は、この美琴のくどいくらいの言い方に少し引っかかりを覚えた。
「どういうことですか、私にはさっぱり……」
「姫様は奏将隆というお人をよくご存知ないからです。
将吾が脚を失い生死の境をさまよっていた時でさえ、あの男は烈火の如く怒り、出来損ないと罵り……生きていても仕方がないとまで言ったのです。将吾の縁談についても、長いことあの子にとっては針の筵だったでしょう」
美琴は堰を切ったように話し始めた。やっと奏家の目を気にせず話せる場を得たからだろうか。
それでも時折、聞き耳をたてる仕草は抜けず、側によっては小声で話す。
「こうして私が里のお祖母様の元を訪ねることができたのも、ようやくあの男の意にかなった縁談が整ったからにございます」
将隆という敵を知らねば戦はできぬ。御子姫は悟った。
御子姫の表情の奥を読み取るかのように、美琴は話を続けた。
「姫様、私は響家の者です。たとえ、将隆と夫婦となり子ができたからとはいえ、あの男から見れば、生涯、私は響家の者で信用ならないのです。私がどう動くのか、絶えずじっと見られているのです」
美琴は声は小さく静かだったが、厳しい口調で続けた。
「よろしいですか、姫様。帆波に将隆を見張らせたり、ましてや何か探らせるような真似だけはさせないでくださいましね。
後悔は、決して取り戻せません。どうか、お忘れなきようお願い申し上げます」
美琴がここまで念を押すということは、何かあれば命に関わる状況にでもなりかねないのだろう。御子姫は何度も頷きながら、美琴の話をよく聞いた。
そしてとうとう、美鈴の死の真相にも話は及んだ。
「姉の美鈴は、将隆のやり方に絶えず意見をしておりました。姉の気性では真正面から臨んでしまったんでしょう。あの男からすれば、目障り極まりなかったに違いありません」
戦から引き上げる時、頭領の船は船団のしんがりを務めていた。美鈴はすでに深手を負いながら、最後尾で穢の追随を祓っていたという。
第一の閘門までは船に乗っていたとされるが、第二の閘門が閉じた時には、その姿は忽然と消えていた。
大戦後行われた一族の公聴会では、そこまでしか話は出なかった。その後、審議がなされることはなかった。
「その時、対の晃蔣殿は瀕死の重症でした。病院へ行き見舞った際に、悪いことをした、と一言ありました。そのあと、私にしか聞こえないくらいの声で、トグロに巻かれたのを見捨てた、と。
機会を狙って、そうしろと将隆に命じられていたようです。そのことを話されるのを案じて、将隆に口を封じられてしまったのでしょう。
このことを話せば、どんなことが起きるのか恐ろしく、ずっと今まで二十年以上黙って参りました」
奨弥が御子姫の元へ現れなくなって、ちょうど一月が経とうとしていた。
奏家本家で、華々しく、将吾と帆波の祝言が挙げられた。
独り身で参加した御子姫は、珍しく上機嫌の将隆に、総代の席をしばらく空席にしてもらえるようお願いしていた。将隆は、御子姫の己に対する振る舞いを気に入っているようだった。
時を同じくして、奨弥は洋巳を探し当て、彼女の店で酒を飲むようになっていた。
洋巳の目前には、あれほど恋い焦がれた奨弥が現れてしまった。




