疑惑の底流(二)
少しずつ、編成に狂いが生じ始める。長期に渡る戦では、対の管理が命運を握る。
その破綻こそが、将隆の狙いだった。
さらに、篝火と閘門の管理。
常世の大河は、どこを見ても同じ薄闇だった。堤の篝火だけが、唯一帰港する目印になる。それを消されては、帰るに帰れない。
やっとの思いで帰港しても、門が開かねばなおさらだった。
常世に長く留まれば、いかに強い戦人であっても、穢に心身を蝕まれる。
そうした最初は些細な、事故とも故意ともわからない出来事が重なっていく。頭領として、美鈴は対処に追われていく。からくりを知る晃將にも打つ手がなかった。
「将隆め、やり方が汚い!今は大戦の最中だぞ!」
「これは計略だ。美鈴、大戦を中止しないか」
晃將は、幾度も美鈴に進言した。たとえ将隆の傀儡だったとして、晃將は対として美鈴を大切に思っていた。
「大戦を途中で止めることが、戦頭領にとって何を意味するかご存知か」
「知っている。だからこそ、そこを狙って将隆は仕掛けてきてるんだ」
美鈴の頭領としての意地と、まっすぐな気質を手玉に取った、蛇の生殺しのようなやり方だった。
無理な戦の継続は、怪我人をいたずらに増やしていった。穢に触れると、そこから一気に腐っていく。腕一本、脚一本欠けることはよくあった。
ただそうなると、戦に出陣することは難しかった。次は命が奪われる。
「腕一本くらいなくとも、詠唱さえできれば術は放てます!」
美鈴を慕って付き従う経紋衆は多かった。その対を見捨てることもできず、ともに戦に出陣する輪紋衆には、将隆は容赦しなかった。
戦を続けるほど、あれほどいた戦人は数を減らしていった。それこそが将隆の望んだ形だった。
表の大戦で目障りな年配者を始末した。今度は常世の大戦で己に従わぬ者を根こそぎ始末する。
総代の座などなくとも、覇権は己の手に落ちる。
美鈴は、その構図が浮かんでいた。そして、とうとう晃將の申入れを聞き、大戦を中止する決断を下した。
「次の出陣を最後に、此度の大戦を終結する」
将隆は、この時を待っていた。
その最後の出陣に、若き日の剛拳が参加していた。美鈴は剛拳を見上げると、頼もしい輪紋衆が残っておったものだと、笑っていた。
その前日、妹の美琴は将隆の目を盗んで美鈴に会いにきた。美琴は、将隆が厄が終わる寸前に子を孕ませられていた。抗うことはできなかった。
美琴は決して姉、美鈴には言わなかったが、そのやり方はひどいものだった。たとえ対とはいえ、美琴は心に大きな傷を負っていた。
「姉さん、気をつけて。あの男は、目的のためなら手段を選ばないから」
「わかっている。おまえこそ、対などにして申し訳なかった」
「ううん、いいの。私は私で、役目を果たすことだけ考えてる」
「無理はするな。体をいとえよ。ではな……」
美琴は、かすかな夜明かりの中、美鈴がにっこり笑いかけたのを忘れることができなかった。
最後の出陣は過酷なものとなった。
なぜなら、穢の姿が今までと変わってきたからだった。
「なんだ!? あの姿は……」
誰しもが、目を疑った。蜷局巻くかのように波打って、穢が迫り来る。
「まるで蛇のようだ……」
──最後の最後に、将隆め。穢になってとどめを刺しに来たか
その穢は大将船を狙わず、付き従う一回り小さい船へと襲いかかった。美鈴は副船に飛び移ると、そこには剛拳がいた。
「おまえ! 輪紋を出せ!」
美鈴は剛拳の出した見事な輪紋に経紋を打ち込むと、詠唱もそこそこに穢へ術を放った。蜷局を巻いて船を沈めにきた穢は一瞬に祓われた。
「撤退だ! 新しい穢は危険すぎる。帰るぞ!」
蜷局を巻いてくる穢は、大河を見事にするすると波打たせて迫ってきた。美鈴は、本来なら大将船を守らせる副船を先に逃がした。
しんがりに大将船。それは本当に美鈴らしかった。
「晃將! 輪紋を頼む!」
大きな蜷局が、逃げようとするのを捕らえるように、機帆船の動力部へと巻きついた。美鈴は渾身の力を込めて、術を放った。
しかし、その横で、晃將が蜷局から穢を受け倒れているのを目にした。
「晃將!」
「来るな! おまえまで巻き込む」
祓いの言葉を唱え続ける美鈴の背後から、鈍い痛みが伝わってきた。
晃將は船尾で倒れていた。美鈴はその姿を目で追いながら、船尾の縁に倒れこんだ。
船は帰ってきていた。閘門が開き、閘室に入る。
もう一つの閘門を抜ければ、現世だった。
──帰ってきた
しかし、そこに美鈴の姿はなかった。
「おまはんも知っちょるげ、戦のしきたりは。ちゃんと死人はみんな連れ帰って、戦でいんだ人ばっかの里へ送って、祓い清めて埋めるんを」
「美鈴はなも、帰ってござらんかった……」
マス江は、声を震わせながら、やっとの思いで話した。
何十年経っても孫の戦死は辛い上、穢との戦で体が戻ってこないということほど、後々まで遺恨を残す出来事はなかった。
「そんな……どうして誰も……戦死したとしか……」
カナ江は御子姫の着物の袖を引っ張った。
「あんなも、戦に行った響家の本家筋の者はほとんどいんでまった。奏家も対やった人はいんでござる。だぁれも、なぁんも、おそがいで言わせん」
戦は、大河へ落ちることがないよう戦うことが大前提、として行われていた。命を落とす原因は、穢によって負わされた傷が元で穢に呑まれてしまうことにあった。
戦に出陣した者は、深手を負い、途中命を落とすことがあっても遺体は必ず持ち帰る。たとえそれが腕一本でも、祓い清めて戦死者だけの墓地へ埋葬する。
誰一人として、大河の穢の中へ残してくることはない。
死んでからもなお、穢のわく大河の中で穢と戦わせてはならない。
それが、長い歳月の末に定まった掟だった。
響家だとか奏家だとかなく、歴代輪紋経紋衆すべての総意なのだ。
美鈴の遺体がない。
これは大問題だった。
その時に、美鈴の近くにいた者は、対である奏家総代のみ。
その総代もまた、真相追求の審議途中で急逝してしまった。
美鈴の戦死の真相は、以降奏家が調査し、結局不明のままとなった。
誰も、解き明かそうとしなかったのは、それだけの力を持つ者が残っていなかったからだった。
奏家本家は、大戦を利用して覇権を得ようとし、ほぼ成功したといってよかった。
「ほんだでなも、わっちらは、なにがなんでも、おまはんをねつらう者から守ったらなかんかったんや」
「おまはんは、響家本家にだけ伝わっとる、本物の御子姫様やでなも」
「わっちらが望むんは、おまはんの幸せだけやで、たいもないことせんと、ええか!」
御子姫はにっこり笑って頷いた。そして、心に決めたことが、一つあった。
──もしも大河に残されたのなら、私が連れ帰ってみせる
美鈴が戦から戻らないまま戦死とされた時から、一族には遺恨がしこりのように残った。
御子姫が十二歳で頭領となるまで、支えてきた響家の本家筋は奏家本家を許さなかった。
対選びは元より、何もかもが慎重に行われてきた。
「おまはん、こんだけぎょうさん聞いて、どうするつもりやげ」
「どうもしません。私は奏家の総代を、奨弥様をお慕いしております。奏家と事を構えるようなことはいたしません」
御子姫は静かに笑いながら、心配そうに見つめる曽祖母たちを見回した。
「ただ……少々、奨弥様の叔父上の態度が、癇に障って……それだけです」
響家をまるで物のように、そう、自分の物のように好き勝手しようとするのに我慢がならなかった。
曽祖母からの話で、その人となりが理解できてきたので、御子姫も迂闊な態度は控えねばと考えていた。
曽祖母の元を出立する際に、マス江は美琴に会えるよう取り計らってみようと言ってくれた。美琴もまた、その機会を伺っていた。




