疑惑の底流(一)
美鈴は十八で戦人となった。
ひと月ほど美鈴の戦振りを見たのち、彩波はすべての戦人の前で宣言した。
「本日をもって、頭領は美鈴とする」
やがて妹の美琴も戦人となり、晃將もまた働くようになった。
美鈴の対を務めたのは、いずれも奏家分家筋の最も輪紋の力が強い者たちだった。
この頃にはすでに、奏家の力は本家から分家へと散り始めていた。
将隆は、奏家本家の力が短期間に弱っていくことを恐れた。
「父上、ここは秘術を用いて本家本筋を蘇らせるべきです」
「そのために、いったい何人を犠牲にせねばならんのか、おまえはわかって言っておるのか」
「もちろんです。分家筋は、こういう時のためにある。響家とて同じこと、本家筋でも娘を戦人にしたがらぬ者もおります。内々に手を回せば良いだけの話」
「おまえには総代の座は譲れぬ。おまえは、一族の者を駒か何かにしか見ておらぬ」
「そうやって、我々は乱世を生き抜いてきたはず」
「何を勘違いしておる。おまえのような奴が総代になっては一族が滅ぶわ」
世界大戦末期、未だかつてないことが起きる。
「なんだ、これは?」
「召集令状、ってある。まさか……」
奏家の里に、引退した輪紋衆への召集令状が届いたのだ。長いあいだ常世の穢と戦い、ようやく身を引いた者たちに、今度は国が戦えと命じてきた。
あり得ないことだった。
しかし国は、兵を欲していた。
引退後の輪紋衆は、その目に最も都合のよい男たちだった。
「これはどういうことだ!」
将大は、将隆を呼びつけると、将隆は平然と言ってのけた。
「軍部と取引しただけだ。引退した者たちはもう用済みだ。戦人を戦争に取られるわけにはいかないからな」
「当たり前だ。元よりそういう取り決めだ。なぜ引退した者を兵役なんぞに!」
「軍部は常世の大河を最終兵器にと言ってきている」
「それをなんとかするのが、総代の仕事だ!」
「だから、なんとかしているんですよ。用済みの神守と輪紋衆とで収めてきたんだ。褒めてほしいくらいだな」
「なんという奴だ!!」
「国賊となりますよ。私が一言漏らせば、父上、二度と戻ってはこられませんよ。よろしいんですか」
将大は、この時ようやく、将隆に情けをかけたことを悔いた。
さらに将隆は追い討ちをかける。国運をかけての戦争の雲行きが思わしくないのは、常世の穢のせいだとされている。表で戦争をしているのだから、裏でも大戦をするべきだと、軍部の要求を突きつけた。
それには、戦頭領である美鈴が反対した。
「それとこれとは話が別だろう。将隆、おまえは一族を潰す気か!」
「おまえも親父殿と同じように、帰って来れなくてしてやろうか」
「やれるものならやってみるがいい! 我々響家がいなければ、常世の穢は祓えぬぞ。響家は私の一言で動く! 奏家と同じだと思ったら大間違いだ」
「なんだと!」
「それに我々には、軍部が崇める国家元首のお墨付きがある。残念だったな」
美鈴の存在は、将隆にとって、初めて己の力ではどうすることもできない障壁となった。
そして、それこそが美鈴の悲劇の幕開けであった。
将隆の取引で、奏家は多くの引退後の輪紋衆を失った。
それはまた、対を失った経紋衆を大量に生んだ。
彩波と美鈴は、新たに女たちだけの里を興した。奏家との関わりを断ちたい経紋衆の女たちが、そこへ集まってきた。
奏家の里には、年老いた男たちばかりが取り残された。出征した男たちは最前線へ送られ、戻る者は一人としていなかった。
輪経紋衆に戸籍はあってないに等しかった。最初から、捨て駒同様の扱いであった。
穢との戦で命を落とせば、戦人の墓へ遺体は埋葬される。しかし表の戦争で死んでも、何も残らなかった。
輪紋衆の男たちは、出征の際に髪を切り落とし残していった。その遺髪は集められ、美鈴の手によって将隆の元へ叩きつけられた。
「おまえに、この重さがわかるか!」
「こんなものをわざわざ持ってくるとは、戦争は終わったんだ。捨ててしまえ」
「さすがにそれは……」
「おまえまで俺に口ごたえするのか!」
兄の将隆から遺髪の処分を任された次男は、父である将大に遺髪を持って会いにいった。将大は遺髪を受け取ると、総代の座を次男に譲ろうとした。
「父上、それは困ります。私の命に関わります。兄上は、私が引き受けようものなら、決して許さないでしょう」
「そうか。私は総代を退いて、この遺髪を持って、残された輪紋衆とともに、東方の山へ入ろうと思っている」
戦時中から、一人、また一人と、奏家の里から輪紋衆が出征していくのを見送るたび、将大は己の非を詫び続けていた。
そして対の女たちがいなくなった里を見て、将大は決心したのだった。
「将隆、おまえが欲しいのは総代の座だろう。だがしかし、それは譲れぬ。おまえが奏家に与えた打撃は大きすぎた」
「それは、響家の女どもが勝手に里からいなくなったからでしょう。私の責任ではない」
「だからこそだ。おまえは表の顔として、大きな失策をした。それが一族を割ったのだ! それがわからんか、大馬鹿者が!! もう誰も、おまえには従わぬ」
それは、手痛い事実だった。将隆に人望はなく、あるのは恐怖で従わせる術だけだった。
それさえも、国が敗戦を期したため、国家権力者の地位は一時的に空洞化していた。
それならば、国家元首のお墨付きを持つ響家の方が上になる。
「次期総代は、我が弟の子、晃將にする」
響家頭領は美鈴、奏家総代は晃將。
輪経紋衆の戦人の里は、新体制で動き始めた。
そして、総代を本筋の一つ外に出して決したこと、実を優先させることの見返りとして、将隆は美鈴の妹、美琴との対を手にした。
それが、将隆が父、将大から引き出した条件でもあった。
表の大戦が終わると同時に、その揺れ戻しは常世の大河にまともに跳ね返ってきた。
「今度こそ、正真正銘、常世の大河で大戦をせねばなりません」
戦頭領の美鈴は、十年に渡る大戦を行うことを決定した。
常世の大河の荒れ具合は、日々穢を一掃しても翌日には溢れかえるというものだった。しかも、穢は祓っても祓っても、どこからともなく湧いてきて切りがなかった。
常世では、現世とは時の流れが違う。常世で一時間戦えば、現世では十時間が過ぎている。ほぼ十倍の時間が現世では流れていた。
十年大戦とは、現世での十年を指す。常世で戦う者にとって、その十年は同じ長さではなかった。
常世の大河の時間軸はゆっくりだった。
常世の大河での出陣の制約はいくつもあった。
一番は、厄、であった。厄の年には体力もさることながら、祓う力が半減した。
他にも、月経、妊娠出産などがあり、対が出陣できなければ休む他なかった。
一度、血の契りを交わした者は、余程のことがない限り、対以外の者と対を成して戦をすることはなかった。
その制約をうまく利用すれば、戦へ出陣せずに済む。
しかし、戦人として、常世の穢を祓うことを生業とする者として、それは最も恥ずべき行いであった。己の存在意義を問う、行為でもあった。
ただ、将隆にとってそんなものは関係なかった。己こそが指針。罪悪感の欠片さえ持ち合わせない男だった。
「戦に出陣するには、精進潔斎をしなければならん。その制約を破れば、戦には出られん。女が抵抗しても、無理やりやってしまえ」
「響家の女子は手強い、そう上手くいきますか」
「二人がかりで抑え込め。足りねば三人でもな。そしたら、次の応援の船には間に合わん。応援もなしに、常世で長時間の戦は死ににいくようなものだ」
将隆の命令は絶対だった。




