疑惑の淵より
御子姫は前々から、しばらく頼むといったきり出かけて帰らないことがよくあった。大抵は響家本家筋のどこかであったのが、最近は分家筋まで訪ねているようだった。
祝言の時は、御子姫はまだまだ何も知らない子供だった。それがいろいろとあり、もう間もなく十五になろうとしていた。
「大祖母様、お久しゅうございます。ご無沙汰してもうて……お加減いかがですか」
「おやまあ、やっとかめやなも。立派になりなさって」
御子姫は母方の曽祖母の元を訪ねていた。曽祖母は三姉妹で三人とも一緒に達者に暮らしていた。
「まあまあ塩梅ようやっちょるよ、心配せんといてなも」
「今日はね、昔の話が聞きたくて……」
それを聞いた、一番上のマス江が渋い顔をした。
「おまはん、たぃだぃとろくさいこと、おきんさい」
御子姫は思っていた通り、聞くのをやめろと言われて、曽祖母たちの顔を見回した。
「そうじゃなも、まあ、おぶぅでも飲んで、いっぷくしやあせ」
真ん中のタキ江はお茶を勧めながら、せっかく遠路はるばる来てくれた御子姫の顔を嬉しそうに見つめていた。
一番下のカナ江がやさしく、泊まっていくか聞いてきた。御子姫は黙って頷いた。
ひと息では聞かせてもらえぬ話らしかった。
「おまはん、なにしに来んさった」
翌日になって、御子姫がひとり仏壇の前で手を合わせていると、マス江がやってきて隣に座った。
「不思議やなあって、ずっと思ってたんです。唱えるのは祓い言葉なのに、術で使うのは経紋」
「あんなも、神さんも仏さんも、ケガレ祓うためやったら力貸してくれやっせるで」
仏壇に位牌はなく、観音像が奥に据えてあった。左端に花が飾られ、そしてその横にお水とお仏飯が供えてあった。見上げれば右上に神棚があった。
「お願いです、教えて下さい。訳あって、どうしても知りたい、知らんとなにもできません。奏家を相手に」
マス江はやれやれとでも言うように、立ち上がった。
「ほんでなも、奏家と戦でも始めなさるのきゃぁなもし」
「待って、大祖母様。違います……逆です」
御子姫はまっすぐに、振り返ったマス江を見つめた。その眼差しには、曇った影は一つもなかった。
「そこへ、おんさいや。呼ばってくるで、待ちょりんせぇ」
マス江は御子姫を座敷に伴い待つように言うと、あとの二人も連れてやってきた。座敷机を囲むように座ると、お茶と茶菓子が出てきた。
「なにが聞きたいんか、いんでまった美鈴のこときゃあ」
御子姫は深々と頭を下げた。
祖母に聞いても結局詳しいことは何も教えてもらえなかった。祖母は御子姫の気性を心配して、知らぬ存ぜぬ、を押し通した。
「祖母様は、何を恐れておいでだったんでしょう。私の生まれたときのこと、ご存知でしたらぜひ。美鈴おば様のことも、もしよろしければ……」
曽祖母の三姉妹の中では、御子姫から遡って直系のカナ江が一番力があった。十六で初戦に出て、経験を積み頭領となった。
その後頭領はカナ江の子、御子姫の祖母へと引き継がれた。
祖母が生んだ子、妙佳には経紋がなかった。それがもとで祖母は離縁された。ここで奏家との縁は切れた。
真ん中のタキ江は娘を産んだが、異形であったため異形の里へ預けられた。異形を産んだことでタキ江も奏家から離縁されている。
頭領の役目は、マス江の娘が生んだ娘へと引き継がれた。
響家では、頭領は本家から必ず選ばれる。それも力が最も強い者が引き継いでいく。
先の大戦の時に亡くなった頭領というのはマス江の孫、美鈴だった。
すでにこの時代、奏家本家では、時の政府とつながりを持っていた。
響家頭領、美鈴が戦で急逝したとき妹の美琴は妊娠中だった。
出産後の忌明けを待つうちに、対である将隆は厄年を迎え戦から引退した。
同じく弟たちも皆続くように引退していた。それ以外の者たちは、見渡せば皆大戦で命を落としていた。
美鈴の対であった奏家総代、晃將も戦で受けた穢の傷が元で急逝した。それもまた入院中の事故だとされている。
穢との大戦中にも関わらず、上手く対のしきたりを利用し、奏家本家の将隆ら三兄弟は戦に出陣しなかった。
対が戦へ出陣できないあいだ、ともに出陣せずともよいという制約である。
これは、奏家の中でも問題視され、奏家を二分した。
すでにそのとき、本家三兄弟の権力は大きなものになっていた。
表立って事を構える者はいなかった。
そこで、話はひとつ前の時代へと遡った。
この国の外側では、世界を巻き込む大戦が続いていた。
一度は終結した火種も消えず、やがてこの国を焦土と化すさらなる戦へと燃え広がった。
その最中も、輪経紋衆は常世の穢との戦に追われていた。
国が不穏となるのに呼応するよう、常世の大河も荒れた。
そんな時代に、本家本筋からひとつ外れる家に、強大な経紋の力を持つ娘が生まれた。
名を、美鈴という。
「本筋には申し訳ないが、次の頭領は美鈴で決まりですね」
頭領の彩波を囲み、響家本家の者たちが合議していた。
彩波は黙って頷くほかなかった。本筋の娘はひとり。しかしその娘、妙佳は無紋だった。
そのことを、あえて口にする者はいない。
頭領の座が本筋から外れるとはいえ、美鈴もまた本家の血を引いていた。
ほかの本家の娘たちはまだ幼い。奏家との釣り合いを考えると、白羽の矢が立つのは美鈴しかなかった。
国が大戦で大きく動く中、奏家総代として表の仕事を担っていたのは将大だった。その傍らには必ず、長男将隆がいた。
「将隆殿は、頭脳明晰でいらっしゃる」
「表の仕事には、将隆殿のような切れ者が相応でございますな」
響家の無紋の姫は奥座敷に隠されて息を潜める一方で、奏家の無紋の若者は政治という武器を手に、日ごとに力をつけていった。
響家と奏家の代表による対の合議に、将隆も顔を出すようになっていた。
その日は、次期頭領となる美鈴の対を決める場だった。
「頭領として、力の釣り合いを見極めていただきたい」
彩波は戦頭領として、そこだけは譲らなかった。将大も最もだというように頷く。
「ただ、奏家本家本筋では輪紋の力の衰えが激しい。美鈴に見合う者が見当たらぬ」
そこへ、若い将隆が口を挟んだ。
「そうは申されますが、本来なら無紋は神守に落とすべきところ、妙佳殿はそのまま響家にお出でのようだ。それを鑑みれば、晃將になんの不服がございましょうか」
「なんと無礼な!」
彩波が床の間の刀を取るより早く、将大が、将隆を張り倒した。
「将隆! 妙佳はおまえの姉だ。総代の器とも思えぬことをぬかしおって!」
刀を手に仁王立ちとなった彩波も、そこでようやく動きを止めた。
この一件から、将大は将隆にさらに厳しく当たるようになった。
将隆は頭は切れたが、人を人と思わぬ質であった。




